日記書いた。

書くか、という気分なので書くのだが、書きたいことなど別に何もない。ずっとパスタを茹でている。パスタを茹でるのが好きだ。そしてニンニクの扱いばかりが上手くなり、1年後の将来が曖昧にぼやけてゆく。男たちはみな乳化の深みにハマる。煮物ひとつ作れないのに。エマルションのぬかるみは、囚われたが最後。抜け出すことはできない。だから1年後のことは、もうちょいしてから考える。

仕事をしているのだけど、仕事があんまり進まない。文章を書く仕事なのだけど、しばらく書くと疲れてしまう。すると休憩タイムに入る。休憩タイムは、一度入ると、休憩してしまう。最近は League of Legend の試合動画を見ている。日本では全くと言っていいほど流行っていないが、海外ではかなりメジャーなゲーム。というかEスポーツ! 自分でもやりたいのだが、自分でやるのは疲れる。リアルスポーツもやりたいけれど、部屋の片隅で腹筋ローラーで遊ぶのが限度だ。そしていいか、腹筋ローラーは部屋の片隅でやるもんじゃない。わかったら部屋の片付けをするんだ。というかそもそもが仕事中なのだが、休憩が本業みたいになっているな。休憩の取りすぎは良くないぞ。ほどほどにしないと。生きていられることに甘んじているが、ホントはそんなに甘くないと思う。勝ち取らずに享受する生に浸るんじゃないぞ私。

でも実は人生に疲れてきている。疲れは怖い。どこからでもやってくる。玄関の扉を開けた瞬間にサッって入ってくるし、眠っている間はベッドの下とかでうごめいている。とにかく疲れてくる。疲れからくる疲れ。疲れというよりは無気力に近いのかもしれない。何かをやろうという気がなくなっている。元気がないわけではないのだけど。どうにも身体がオンにならない。流れに乗せたい。成功の流れ。その流れは私を成功へ導く。億万長者はみなこの流れに乗っているという。乗りたい。流れに。ところがどっこい、そうもいかない。無気力ばかりは耐え難い。何にもならずに腐ってゆく。流れのあるうちは清流でいられるが、流れがないなら淀まないではいられない。このどろっとした淀みのような身体を、だから乗せなくてはならないのだ流れに。乗るのだ。そうだ音楽だ。足りないものは音楽だ。音楽をかけよう。音楽をかけて、夜通し踊ろう。でもいま休憩してっから。これひとときのおやすみだから。派手には踊れないや。ひっそりしなきゃ。ベッドで淀む、休憩タイム。

春になって私、実は希望に満ちている。でも身体は淀んでいる。こういうのねじれ国会って言うらしい。どっかのニュースで見た。それじゃあどこかのタイミングで外に出よう。気持ちのいいタイミング。いつだろうそれは。いつ訪れるだろう。それを心待ちにしている。白馬の王子様よりは現実的? かどうかも怪しい私の人生。あまりに儚くて小せえ。内容なくてごめんね。

仕事に戻るその前に、もうちょい休憩に戻ろう。