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上手く生きれないと気付いてしまった君へ。

「周りの皆」のように上手く生きていけない。

そんな生きづらさに俺が気付いてしまったのは高校生の時だった。


どうすれば皆が言う「普通」になれるのか。
どうすれば「出来損ない」から抜け出すことができるのか。

そんな事ばかり考えていたら俺は生きることが、人間が嫌になった。

だから俺は「周りの皆と同じであろうとする」ことをやめ、忘れようとした。

そんな俺(大学生♀)はこれから自分の経験を元に、主に生きづらさをテーマにして更新していきたいと思う。




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俺は高校時代に不登校になり、中退している。


元は中学までは毎日学校に行っていた。
「多数派が進むレート」を外れないよう周りからの圧がすごかったからだ。


だが、高校に通い始めて約半年。
今まで気付かないふりをしていた何かが爆発し、もう限界だと思ってしまった。

俺の意思とは関係なく「普通」でないと怒鳴り、否定し何時間もの説教をしてくる親が大嫌いだった。

「気持ち悪っw」「早く死ねよ」
そんな言葉を平気で使うという記憶しか俺にはない為、今も学校という集団が嫌いで気持ち悪くて仕方がない。


不登校になってから二度と高校へ行くことはなく、そのまま中退した。

周りが言う「普通」に俺はなれなかった。
その前に鬱になりそうだわ...。


のちに受診した精神科で発達障害の傾向があったことが分かった。
自分が何かおかしいのは薄々勘づいていたのであぁそうなんだ、程度だったのだが(((




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そんな俺も現在通信制高校を卒業し、何とか大学生をやっている身であると同時に、

高1までの約16年間、本心を押さえ込んできたことの反動なのか嫌な事への耐性が皆無に等しい。

大学も現在ほぼ行けてない状況だが、何とか行ける講義(3分の1くらい)だけ行ってる。

だが今は比較的親と和解し批判の数は減った。
しかし、それで楽になれたかと言うとそうでも無いし未だに生きづらさは残っている。

そう、「他人と自分との差による劣等感」
「今後社会に出ていく中で誰かに批判されるかもしれん恐怖」の主に2つである。


「学校に行けない」
「周りの当たり前がどうしても出来ない」

このような悩みは中々周りから理解されないかもしれない。
それどころか批判され、お前は何も出来てないと怒られてしまう。

自分は出来損ないだ、みっともない。
そう思う気持ちが痛いほど分かる。
俺の場合幼少期から植え付けられた劣等感はそう簡単に消えてくれやしない。

「人並み」に暮らし愛されてきた人間がずるい、自分だってそうなりたかった。

だけど、
自分を愛し許してやれるのは結局自分なのだ。

今は出来ないことだらけで
「出来ない自分」を許すことは難しいけれど、

様々な生きづらさという苦しさを抱えながらも、生きることを選んでいる君は誰よりも頑張ってるよ。



なりたかった自分はいつの間にか「周りの理想」にすり替わってしまう。

それに気付けたからこそ、君も俺も
「周りの理想の自分」ではなく、
今度は「自分が理想とする自分」になろうとすることはいくらでも出来るはずよ。

まあそんな事言ってたって現実社会は汚い部分ばかり見えちゃう訳で、これからも世の中はクソだと思うことの方が多いだろう、俺の場合。


だけど、俺もいつか出来ない過去の自分に、「大丈夫だよ」って言ってやれるような大人になりたいと願う。

そうして俺は「周りと同じでないといけない」という考えを捨てた。
少しは生きやすくなった、多分。


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