なにか一つでも昨日とは違う実感が得られたら

人間30歳を超えてくると成長というよりも衰えの方を多く感じるようになって。体力の衰えというか、単純に無理が効かなくなったなってのはよく感じます。具体的には寝不足のときのパフォーマンスの低下具合とか。

とはいえ、衰えの一方でこの年齢でもなにかした成長できるものはあるはずで、これまでもこれからも自分の人生を良くしていくのは自分以外の何者ではないわけで、圧倒的成長!なんていうと臭いけども、それでも僕たちは昨日よりも今日を、今日よりも明日をできる限り良くしていきたいなと思うもので。

毎日の積み重ねが大事なのだとわかってはいても、その実感が得られないとなかなか継続というものは難しく。

そういう意味で、やはり毎日の自分の記録をしていくというのはすごく大事なことなのかなと。

例えばレコーディングダイエットとも呼ばれる、自身の体重を毎日記録していくというもの。ダイエットなんて一朝一夕で結果の出るものではないけれど、少しずつでも記録していくことで後で見返したときに具体的に数字でその変遷を見られるようになると、それが一気に意欲につながっていくというか。

人間少しずつの変化はなかなか感じられないし、モチベーションにも繋がりにくいけども積み重ねたものをの後から見返した時、見返したそれが確かな結果を伴っていた時、それは圧倒的な意欲へと変わっていくのだと思うのです。

あるいは記録していくことで伸び悩んだときに、自分がどれほど伸び悩んでいるのかということにも気付けるわけです。実際のところ、データ取りなんかを一切せずにがむしゃらに進めていると今時分が伸びているのか、あるいは停滞してしまっているのか、下降線をたどってしまっているのか、はっきりと気づけなかったりします。そこを明確にするためにも、やはり日々の記録というのは有用です。

人間はある年齢を超えると、なにもしないでいると衰えていく一方です。その反面、いくつになっても成長を図ることはいくらでもできる。年齢とともに衰えていくわけですから、現状維持では堕ちていくしかないわけです。そうなれば成長を目指すしかないわけです。

日々の記録は、そういった堕ちていくしかない現状維持を、昨日の自分よりも少しでも上方修正できた、堕落の現状維持から抜け出せているとsの目で確かめることができるように、何か一つでも昨日と違うという実感を得るために、それを得ることができるだけでわたしたちはすごく生きやすくなるように、自分の生きた証なんて立派なものじゃなくてもいいから、せめて日々を刻んでいくことを意識していきたいと思うわけです。

なにか響き合うものがあったらサポートしてくれると喜びます。 喜びます。 喜びます。