今すぐ余生を送りたい

いやまて、そもそも余生ってなんだ?いつからが余生なんだ??

一般的には余生っていうと定年退職したあとのことを指すようなイメージだけど、現代だと定年退職したって再就職することも多々あるし、少なくとも709歳くらいまでは多くの人が働いているイメージ。

あるいは定年しても体のリズムが抜けずに、なんとなく働いていないと落ち着かないみたいな、ある意味では趣味として仕事してるみたいな。いやまぁね、特に責任もなく、多くのことを求められないで働くってのはたしかに楽かもしれない。

そう思えば、別に働いているかどうかは余生というものとは関係ないのかもしれない。再就職して働いていても、その働き方によってはもはやそれは余生なのではないだろうか。

この混沌とした世の中、早期リタイアだとかFIREなんて言葉で踊らされてしまっている方々もいるけれど、例えばサラリーマン生活を続けていたって考え方によってはもはや余生といえるのではないだろうか。

現代の価値観ではあまり上昇志向ってのは歓迎されない雰囲気がある、ある意味では社会全体が諦めてしまっているような。それでいて美味しい話には飛びつきがち、要するに上を目指しはしないけど、でも楽してそこにたどり着きたい、そんな社会なのかなって感じる。だからまぁ、本気で頑張ってる人は意外とトントンと次のステージにいってしまっているようにもみえる。もちろんそこは生半可なものではないんだろうけど、でもそうやって上がっていく人たちに置いていかれながらもその背中だけはずっと見続けてきた。

諦めの社会なんて言ったけど、ただ諦めにも二種類あるのではないかと思う。もっと良くなりたいと望むけど、でもどうせ自分には無理だからと今のままを選ぶ諦め。そしてもう一つ、自分の望むものをしっかりと定義して、そこにいられるのならいいかなという諦め。校舎はこれはこれで幸せなんじゃないのかなって思う。

もちろん、これには多くのものを捨て去ってこそというわけで、それを選ぶことで他のものはきっぱりと諦めるということである。その見通しが甘いとあとからたぶん辛くなる。

でもそことうまく付き合っていくことができれば、意外と悪くないんじゃないだろうか。人並みではないかもしれないけど自分並み。自分で選んで勝ち取るならそれはそれでいい。

そうたって手にしてしまえば、意外と早く余生は訪れるんじゃないだろうか。苦しいことはほどほどに捨て置き、楽しいことに注力する。耳障りのいいFIREなんかよりもよっぽど幸せに感じる。

幸せかどうかを決めるのは自分自身とはよく言ったものだ、まぁそれをわたしが選ぶかどうかはまた別の話だけれども。

なにか響き合うものがあったらサポートしてくれると喜びます。 喜びます。 喜びます。