花見という刹那の楽しみ

お花見ってこんな状況でもなければ今年も毎年の楽しみとして望まれてると思うんだけど、お花見の刹那っぷりってなかなかすごいよねぇ。

まともに桜の咲いているタイミングでお花見をしようと思ったらいいとこ土日2回分でこなさないといけない、数人レベルでやるならまだしもある程度の人数でやろうと思ったらなかなか厳しいよね。

なんなら天候の問題もあるし、雨が降ったら野外でお花見なんてやりたくないのはもちろん、この時期って風も結構強かったりするから悪天候で一瞬で桜が吹き飛ばされちゃうなんてことも。

そう思うとお花見ってなかなかな貴族のお遊びだよね、平日に集まれる人種が一番お花見を楽しめると思う。

なんてーかさ、子供の頃はそうでもなかったんだけど、大人になって大きい公園とかでお花見すると出店とか出てるじゃない、あれめっちゃ好きなんですよね。

こう、一気にお祭り感が出てくるというか。フェスや初詣なんかでもそうだけど、このお祭り感がすごく好きなんですよね。食べ歩きが好きすぎる。

一般的には花より男子と言いますか、花見にかこつけて騒ぎたいだけ、お酒飲みたいだけなんてのはよく言われるし、実際に花見で騒いでいる方々を目にすればそれは概ね間違ってはいないのかななんてことも思うわけですけども、それはそれで一つの文化としていいんじゃないのって思うし、それでなくっても、それこそお酒飲まなくても、大人数で騒がなくても、それこそ一人で桜のあるところを歩いているだけでも楽しめるのがお花見なんじゃないかなって思うわけですよ。孤独のお花見、意外と悪くないのでは。

それでなくっても春のお散歩って気持ちいいじゃないですか、そこに桜が付属してくるとなれば気分もいいというもの。孤独なんてどうってことはない、桜がすべてを解決してくれる。

なんで桜なのかなぁなんて考えてみると、例えば時期的なものだとか、あるいは日本人のDNAに桜が刻まれているからだとか、なんか色々な理由がありそうだけど、こういったものを全部含めた上でこの刹那的な切なさがいいのかなってダジャレで言ってみます。

ちょっとタイミングが合わなくって今年はお花見いけないかも……、来年はいけたらいいなぁ……、こんなふうに思えるものがあるのはその刹那によるものなのかなって。一瞬、というほどのものではないけど短い期間、限られた期間でしか楽しめないものだからこそ価値があるのかなと思えます。

ありふれたものかもしれないけれど、そこにはたしかに希少性があるし、だからこそ朝早くから場所どりさせられたりするんだろう、あんな何日も前から並ぶのはアップルストアの前だけでいいんですよ、お前らソニーストアの前にも並べよ、物売るってレベルじゃねーぞ!


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