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どうしてアナログ手帳が必要なのか?

今でこそ一年に1冊で落ち着いているものの、数年前までは用途の言い訳を用意して一年に5~6冊の手帳を買っていた私。スケジュール管理もメモも、断然「紙の手帳派」である。

世の中に、「紙の手帳派」は意外に多い。インスタでちょっと検索すると、それはそれは凝った紙面がいくつも発見できる。しかし、手帳とペンとコーヒーを撮っただけの写真も多い(紙面は写っていない)。そういったタイプの投稿は、コーヒーを飲みながらゆっくり手帳タイムをつくっていること自体に価値を見出す人々から、多くの「いいね」を得ている。

スケジュール管理の効率を考えると、デジタルは非常に便利である。予定は常に最新に更新され、クリックするとすぐオンラインミーティングに参加できる。仕事のスケジュール管理は、デジタルで完結できてしまう。一方で、管理の主体が時々わからなくなることもある。PCやスマホの画面に表示される一日のスケジュールはまぎれもない私のものなのに、デジタルに管理されそれに従って動かされている感覚に陥ることもある。特に、週の半ばの水曜・木曜あたり。

紙の手帳は、この主客逆転を正してくれるアイテムなのではないだろうか。誰だって、自分の人生を主体的に生きたい、ライフバランスを管理したいと願っているはず。この、人生の「管理」「主体性」を、種々の手帳術で実践できている気持ちになれるのである。その究極はフランクリン・プランナーだと思うが、日記やイラスト帖、コラージュノート的な手帳の使い方も、未来手帳なるものも、大同小異なのではないかと思う。

未来の予定を書き出して実行に向けて夢想する、現在の自分のtodoを書き出して☑を入れていく、今日一日を振り返ってイラストや言葉で記録する……。もしかしたら、手帳に書いても書かなくても、未来はそれほど変わらないかもしれない。一人の人間の一日のtodoなど、☑を入れなくても次々消化していけるレベルかもしれない。日記やコラージュで飾らなくても、楽しかった今日という日そのものは変わらぬ価値を持つだろう。それでも、どう生きるか、どう生きたか、その充実感と意味が、人間にとっては大切なのである。その意味で紙の手帳は、自分の人生を「創っている」実感を与えてくれる。

デジタル全盛期の時代、紙の手帳は、「記録」から「創造」へと、その役割を進化させているのである。

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