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おなじ時間

「なんだか、独特な文章なんです。」
わたしの文章を昔から読んでくれている人にお会いしてみた。
自分の文章がそう思ってもらえているとは、これまで気づかなかった。人のことを観察していると思っていたわりに、自分のことはあまり見えていないのかもしれない。
ただ、そう思ってもらえることはとても光栄でありがたいことだと感じた。その人は、何度もわたしが書いたおなじ文章を繰り返し読んでくれているとのことだった。
それはとても嬉しいことだ。
その人の書く文章も、わたしの心にはすっとなじむので好きなのである。noteに登録した初期の頃からずっと追いながら、読ませてもらっているし、キラリと光る言葉の言い回しがある。
なんだか文章から、軽やかなリズムや風を感じるけれど、実際にお話してみて、本当に柔らかな風のような方だと思った。
でも文章に対する情熱がすごい。
まだまだ、きっと内に秘めている炎があるにちがいない。
出逢った日、ちょうど嬉しいニュースも飛び込んできたらしい。
おめでとうを直接伝えられたことも嬉しかった。

わたしが文章繋がりでお会いした方はこれまで何人かいる。
年齢も性別もそれぞれで、どの方も魅力的で素敵な人たちだ。
日記を書いている人が多い。
詩集をだしている人もいる。
私自身は、日々のことや、小さな作品を綴っている人に惹かれやすいのかもしれない。
勝手に、とても大切なお友達と思っている。
noteを始めた当初は、誰かに会うなんて思わなかったし、初対面では人見知りもするので、すごく慎重に思っていた。
けれど、やはり感銘を受けた人には思いを伝えたいし、お誘いを受け一度はおなじ時間を過ごしてみたい気持ちが勝った。

ここ数年は、言葉を出すことが恐くなってしまっていた。そして、言葉を出そうとおもうほど、ますます言葉はわたしから遠ざかっていった。
きっかけはたくさんあった。文章を書く会社での嫌がらせとか、人間関係とか、言葉の限界を感じたりとか、noteを書いてる人達が身近にいることでの、リアルな身バレへの警戒とか。あとは、小説を書いていると、不思議と自分が小説とおなじ時間を辿ることが増え、まるでノンフィクションになって引き寄せているような、とにかく下手なことは書けないのでは、と感じた。そして、書かない間に、自分の作品がまるで賞味期限切れで古い作品になってしまったようにも感じた。もともと、自分の過去も織り混ぜて作っていたので、長い時間を費やすことで自分の心境が変わってきてしまったからだと思う。
そうこうしている間に、がんじがらめになった。わたしは文章が本当は好きではなくて、書きたくないのだ、と感じた。書きたくないし、書けないのに、無理して書こうとしている。
それなら、この数年は書かなくていいやと思いたち、現実の人付き合いとか、お仕事とか、好きな趣味とか、色々そちらを思う存分やっていこうと。
あとは、母や家族との関係を見直していった。
母との心の確執が昔からあり、昨年頃からはだんだんとその確執が溶けてきたようなイメージだ。でも、心と向き合う時間は孤独で、だいぶ自分なりの歩みよりなど努力を要した。

不思議と今年は文章をまた少しずつ、無理しない程度に書きたいと思っている。
今までも、素敵な文章を書く人に会うたびに、その人からの励ましの言葉や、嬉しい言葉で救われてきたし、文章を書きたいとも思って少し書いたりもしたけど、これからもマイペースに書きたいことを、書いていけたらいい。

話しは変わり、最近は一時期通っていたスクールでの集まり会があった。
パンデミック終わり、それぞれ数年振りに会う人もいた。
スクールに通っていた頃、仲間とたくさん美術館や、ランチにお出かけした。
そのなかで、定期的にメッセージをくれる方がいた。
私よりだいぶ年上の方なのだけど、
「今日はあなたに会いたかったから集まりに来たのよ。」
と、伝えてくださった。
なんだかそれが嬉しかったし、みんなでもお話できて、色々なことをシェアするひとときは、楽しくて心からほっとする時間だった。
その方とこれまで何度か訪れている、岡本太郎美術館へ行く約束をしてお別れをした。

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