誕生日4日前

平成最後の夏。恥ずかしながらnoteでその事実を知った。

職場では夏風邪がはやり、皆鼻水をすすりながら出勤し、連日の猛暑でエアコンも効かない中、繁忙期で忙しく早出残業が続いている。愚痴を言い合いなんとか仕事をこなしているというのが現状だ。

私は、1988年生まれだ。昭和と平成が同じ学年に混ざる世代に生き、戦争も知らない、バブルも知らない、就職氷河期の世代だ。ゆとり世代と言う人もいる。

小学生の頃には、先生が生徒たちに道徳の時間「平成を生きる子供たち」の話を何度もしていた。ぶっちゃけ内容は覚えていない。「21世紀をこれから生きてくんだ。君たちには希望がある!」というエールの部分だけ覚えている。

昭和の最後に生まれ、平成で育ち、31歳からは新しい年号でスタートする2018年20代最後の夏。

この夏はどんな自分に逢えるだろうか。変わらないところと、変わって行くところときっとあるはずだ。

そして、数々の出会いが訪れたけど、何度経験してもやっぱり別れは辛いものだ。

一昨年の秋、父を亡くした。義理の父だが、私のことを最期の最後まで気にしてくれる父だった。本当の父のように愛してくれていたし、家族を一つにまとめてくれた。

本当の父は会うことなく、私が高校生の頃亡くなった。彼の友人にずっと、私に会いと話していたようだ。

だけど、どんなに会いたくても父たちはもういない。

その事実を受け止め、一つ一つの出会いが尊いものなのだと感じて、もっと日常を大切に生きていこうと感じた。

仕事に行きたくない日をなんとか淡々とこなすのは、今を生きていくためだ。父の形見の腕時計があると仕事ができた父に守られた気持ちになる。お守りだ。

先日、手作りのワンピースを作りにワークショップの参加をした。誕生日には、自分の着るものを自分で作りたいと感じたからだ。

それこそ学生の頃以来触っていなかったミシン、初めてロックミシンも使った。カーブを縫うのが素人には難しく、なんども手直しした。あとは袖と首元を手縫いすれば完成だ。

ワークショップの先生は、「手作りの服のいいところは、縫い目に歪みなどあっても、愛情が湧いてすごく大事に思えるところ。気持ちが良いんです。」と話していた。

私はすごく納得してしまった。いつか自分の住む家も手作りしたいと思うようにもなった。

自分を取り巻いているもの、全てに形があるが、形のない目には見えない部分まで目を向けられるか。

それは直感からくるのか愛情からくるのか。もしくは愛着か、喜びか好奇心か。

それらを見つめる目を、歳を重ねるごとに養って行きたい。

平成最後の夏は、人生の転換期かもしれない。

#平成最後の夏

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