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つれづれ杏子 #001

たとえば食べ物の好き嫌いの話。
「わたし○○苦手なんだよね」って言い出した時に
「わかるー!○○不味いもんね!」って返ってくると萎える。
いや、わたしが苦手なだけで、あなたも美味しくないと感じるのは
わたしたちの勝手なんだけどさ。
○○好きな人だっているじゃん。そこまで否定しなくていいじゃないか。
やりすぎだよね、って心のなかで思いながら
さりげなく、わたしはその人と今後は好き嫌いの話をしたくないなぁと
うすくうすく膜を心に張ったりする。

だって世界には食べたことのないものがたくさんあって
信じられないような味してたって
それがものすごくおいしい、ご馳走だ、って食べてる人だっている。
わたしは日本に生まれて日本でお母さんのごはんや給食を食べて育ち
たまたまこの味覚が形成されただけなんだ。

ちなみにわたしはどうしても食べられないものはないけれど、
芋類は食べなくても生きていける。

南の島で暮らす人達の主食だよ、芋類。

そんなもんなんだよ、個人の味覚なんて。

好き嫌いは味覚に限った話じゃない。
人の顔、音楽、美術品、服装とか。色だって。
みんな違ってみんないい、のはずなのに
芸能人の誰が美人で誰は不細工だとか
米津玄師のあの曲めっちゃいいけどこの曲なんで流行るのかわからないとか。

個人の感想として述べるのなら相応しい言い方をしてほしいと
言語過激派として感じるわけですよ。

好みの話なのに善悪とすり替わっていたり
個人の感覚を話すのに主語がでかくなりすぎていたりすると
おいおいちょっと待ってくれよ、と思ってしまうよ。

違いを認めるやさしい世界が好きなんだ、わたしは。
聞こえはやさしいけど、ある意味バサっとしてる。
自分は自分で、他人は他人と割り切ることだからね。
でもそれは対等であることのように感じる。
人をその人個人としてきちんと輪郭をもたせて見ている。
そういう視点が好きだなぁ。

"やさしさは強さの上に成り立つものでしょう?"

過去にわたしがTwitterに残した言葉だ。
自分で首が締まるくらい、わたしの課題でもある言葉。
甘やかすのは簡単だ。
嫌われ者になる覚悟で最善のために動けるか。
あー、ほんとに首締まるわw
そしていくら考えても答えが出せないくらい難しい。
やさしさって。

つらつらと書いていたら
脱線してそのまま迷子になったような気がしますが
きっちりまとめることを目指すと
やはりわたしの首が絞まりますので
たまにはメモ書きの延長みたいな徒然を
ここに残していきたいと思います。

倍にして返すくらいの文章を書くよ!!!!!