クレヨンしんちゃんは本当に社会学的。

映画:クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲をみて。

女子高生あんぱんまん論。  

これは私が提唱したい論理なのであるが、まさしくあんぱんまんを嗜好する年齢にはある一定の法則があるというものである。
詳しく述べると幼少期、あんぱんまんが好きだったという人が少なからず多いとする。小学生中学生と、あんぱんぱんに対する好きという気持ちどころか興味関 心がさっぱりなくなるであろう。しかし不思議なことに高校生になると女子たちのスクバのキー ホルダーのキャラクターとして現れ始めるのだ。そしてさらにはギャルがこぞってかアンパンマン展 に行き出す。
これをあんぱんまん論とする。

これは少し大人になり、新たな可愛さを見出したのかまたは懐かしさからなのかはっきりとわからないが、少なからず幼少期に感じていた感情を想起させているのであろう。

さあそろそろ本題に入ろう。 日本では懐かしいにあやかった商品はたくさんある。共に育ち、あなたの傍にあり続けたものが 形を変えて存在し続けているのである。

最近では動物の森が従来のゲーム機からアプリになり爆発的な人気を得た。次にたまごっちだ。最近では20代の女性向けの製品として販売を始めた。 それはやはり「懐かしいもの」を形を変えて提供することでつい手を取ってしまう商品になり得ているのではなないだろうか。

つまり懐かしいにあやかったものはその販売戦術が著しく誤っていなければ行って数の指示は得られるのである。ではこの「懐かしさ」が人々を惹きつけるものは なんなのであろうか。

それは懐かしいもの、過去のものに触れることで時間をさかのぼったような感覚つまり、死に向かい生きている私たちを忘れ去れてくれる安心感、なのではないだろうか。映画の中でもクレヨンしんちゃんはボロボロになりながら、死にかけながら最上階まで上り 詰める。さらに家族もわざわざ行く必要があったのかと問いかけたくなるほどの鉄壁で落ちそうになりながら戦っている。これは死に直面している姿を露骨に描き出すことで人間は死となり合わせに生きているという現実を強調し、勝利することでそれがいかに素晴らしいことであるか示 していたのではないだろうか。

この死と隣り合わせの世界と対照的に、20世紀博の中では恐ろしく時間の流れが穏やかであり、さらにケンが「最近走っていないな」とつぶやくほど物理的にもゆっくりとした時間が流れている。時間の流れが早いほど、死へ近づくスピードが早いとするの であれば、流れが遅い世界を作り出したのは納得がいくことである。そもそも「死にたくない」という願望から作り出した世界なのであるから、最後に2人が「死ねない」ではなく、「死にたく ない」と言ったのも納得がいくだろう。

この映画の隠れたメッセージとして、「死がない世界は 本当に幸せなのだろうか。」という問いがあるのではないかと感じる。人間は生まれたときから 期限が与えられ、それを全うして生きようとする。全うするためには平等に与えられた時間の質 を上げることで他人を差別化し、優越感に浸る。だからこそ一生懸命に挑戦し、学び、美味しい ものを食べ、いい気分になり、素敵な人に巡り会いたいと思うのではないだろうか。まさに幸せの民主主義である。努力した人は幸せになっていく、そしてたまには幸せを追求しすぎて崩壊する。 この論理から考えると、20世紀博が作り出した世界は幸せの社会主義であり誰しもがある一定 の努力である一定の幸せを得ることができる平等な世界だったのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?