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グローバル子供の本音とその後。

【グローバル子供が東京大学で多文化共生学を学ぼうと思ったワケ。】

ご無沙汰しております、めい子です。
突然ですが、来年の4月から東京大学の大学院に進学する運びとなりました。親との就職活動騒動から約1年、紆余曲折あり、学問を極める道を選択致しました。

以前グローバル子供の本音。という記事で

今私は大学で異文化理解という授業を履修している。
つまり異文化の相互理解の手法や文化ごとに違いが生じる理由を学術的に研究しているのである。この授業を私は親にも受けさせたいと思った。グローバル子供に育て上げたいという前にまずもって親の方が異文化の理解能力が必要なのではないのだろうか。

という文面を公開したわけですが、この「異文化理解」という分野がまさに私の大学院での研究対象なのである。

地球上において多文化共生を実現する手法を探り、私はメディア・アートというアートの力を用いて文化の表現という名の可視化、そして対話へと導く術を研究する。

研究内容はここでは省かせていただくがまた詳しくかける機会があれば書いていきたいと思う。


そこで、本日は「文系院進」というテーマで少し語りたい。文章の冒頭を読み、「これが世に言う学歴ロンダか」と思ったあなた、是非読んでいただきたい。

まず、日本で文系院進すること自体まだまだ珍しいし、本当にたくさんの人に「就職はどこなの?」からの「なんで?」と言われまくりました。

私としては院に行くのだから研究するしかないでしょ!と終始突っ込んでいたがおそらく1年前までの私も同じように思っていただろう。

というのも、私自身去年の2月まで普通に卒業して、就職して、ってなる予定だったのですが、4年生の2月から8月という微妙すぎる時期に留学をしていたため
①就活期間に思いっきり日本にいないということ
②留学先の海外の友達の多くが院進する、
という環境から漠然と「院進」という言葉が頭の中に浮かんでくる環境の存在

そして決定打としては海外の大学生に揉まれた留学生活を送ったことが院進を一つの進路として意識し始めた所以にあった。

新しい留学生に会うたびに、なに学部?からのなに研究してるの?と聞かれることが多く、私は「法学部で政治学科でジャーナリズを研究してるんだ」としか答えられない中、私の海外の友達は具体的にこの理論だったり、この問題をこの側面から研究してるんだってめちゃくちゃ具体的に答えてる人がほとんどで。

待って、私4年間なにを学問してるんだっけ、となり、今まで学部だけ言って終わっていた会話の薄っぺらさにスーパー回し蹴りされたくらいショックを受けたのがきっかけでした。

この時点で私はまだ多文化を研究したい!というのは漠然としており、研究テーマの査定をスタートしたと同時に自分を背水の陣化するために大手外資金融の内定をお断りし(正式な答えを伸ばしまくっていた)本を読み漁り始めたのが4月。

人生で一番病んでいた7、8月の香港大学での留学と香港でのインターンを経て、9月日本に帰国後、本格的に勉強を始めた。

勉強といっても私の受けていた院は試験などがなく、成績、研究テーマと論文が一次審査、そのあと口述試験がある、というタイプのところだったので、研究テーマを定めるために大量に本を読みまくって、いろんな知識を入れるみたいな勉強をしていた。

私は思考力があっても理解しないと素材を自由に使うことができないタイプなので、同じテーマの本を何十冊も読んで、繰り返し頭に叩き込んで自分のものにしてから、思考するという勉強方法をしていた。
そのため図書館で借りた本の総数は半年で200冊、アマゾンで30冊くらい購入しそれをひたすら読みまくる生活を夏休み、4年秋学期、クリスマス、正月と過ごしていました。

そこから元から興味があった多文化共生とアートに研究テーマを定め、メディア・アートという切り口から研究するに至ったのである。

この学部は一般的な大学院と少し違っていて、統合人間学を極めつつ、自分の研究をする!という感じであり、自らが様々なフィールドに赴き研究をしなければいけない。

なのでこれから2年間全精力を尽くし、行き当たりばったり生活をしていくのである。

そんなこんなで私の院進決意からの決行過程を記したわけであるが、みんなとの卒業旅行にいけなかった、という以外後悔は全くない。

本日4月1日、新社会人として世界に羽ばたいていった同期達とは少し「違う道」を歩んだめい子、という捉え方もできれば、ほとんど誰も見つけることのでもない「隠れた道」を発見しためい子、と捉えることもできるからである。

つまり「違う」と考えるのはマジョリティの主観に過ぎないけど私は海外の大学で本気で勉学をして、院進が「違う」道なのではなく、日本ではあまり拓けていないがためにみんなが気づかなかった道、と思っている。

私が小中を過ごしたドイツ時代の友達はGAP year という大学卒業後の真のモラトリアムを堪能している人がほとんであり、日本だとまだまだ考えられない進路(社会が受け付けない)だけど、ヨーロッパではそういう選択肢が舗装された道として若者に開かれてるのは羨ましいと思う。

グローバル子供の本音。の記事では親との価値観の対立を赤裸々に語らせてもらったわけだが、1年経って考えてみると、私と両親の持っていた「人生の地図」が大きく違っただけであり、地図上にない道を娘が突き進もうとしてたら止めたくなる両親の気持ちも分からなくもない。

ただ、私は、私がその道を突き進んで切り開く先導者になり、これからのグローバル子供達が日本で生きる上で新たな道を築いていきたい。

だから院にいって多文化共生、異文化理解をもっと学術的に研究することで、立派な道を築くための道具や技術、知識、そして人脈を集めていきたい。




以上がグローバル子供のその後でした。

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