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愛とは、生かし、生かされること

「愛とは誰かのことを好きになることだ」。この定義自体はもちろん間違っていませんが、今僕が付け加えたいのは、愛とはむしろ「他者のおかげで自分を愛することができるようになることだ」と、そういうふうに考えてみたいと思います。
引用(平野啓一郎さんより)

たしかに、私が深く付き合ってきたのは、私の存在そのものに自然と自信を持たせてくれる人たちだ。
だから、自分を愛することができている。
私も、私の大切な人たちにとって、そういう存在でありたい。

誰かを失ってしまう悲しみはもちろん、その人の声が聞けない、その人と抱擁できない、いろいろなことがあると思いますが、もう一方で、「その人の前でだけ生きられていた自分を、もう生きることができない」という寂しさがあるのではないでしょうか。
引用(平野啓一郎さんより)

親しくしていた友達と、ふとしたことがきっかけで疎遠になってしまったとき、これにすごく近い感覚があった。
その人が生きている限り、また会って話すことはできるけれど、"あの頃の私と、あなた"はもういないのである。

『死』について、想起した映画が2つ。
1つは、『Tuesdays with Morrie(モリー先生との火曜日)』。

徐々に全身の筋肉が動かなくなって、最後は心肺停止に至る。いわばゆっくりと死んでいくALSという病気にかかったモリー先生と、大学時代の教え子ミッチの、実話に基づいた物語。

ミッチ
"『愛し合わなければ死ぬ』と先生は言うけれど、人間はどうせ死ぬ。愛しても、死んでしまう。愛したって変わらない。その苦しみから何が学べるんです?"
モリー
"死で人生は途切れるが、絆は切れない。
さよならは、こうするんだよ。
『愛してる』
"
ミッチ
"僕もです。"
モリー
"ああ。きっと永遠に愛してくれる。"

もう1つ想起した映画は、『COCO(リメンバー・ミー)』。

日本でいうお盆を、メキシコでは"死者の日"として盛大なお祭りをやるのだけれど、その"死者の日"を題材にした家族の物語。

いかにもディズニーなハートフルコメディでありつつ、
【現世の家族に忘れられると、故人は2度目の死を迎える】
という設定があったのが刺さった。
以前のnoteでも触れたことがある。

"愛の反対は、憎しみではなく、無関心である"
というのは、マザーテレサの有名な言葉だ。

愛すれば、永遠に生き続ける。
愛とは、生かし、生かされること。

※平野さん関連のnoteはこちら

#愛 #生きること #モリー先生との火曜日 #リメンバーミー

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