クリティック・アラベスク

東京藝術大学先端芸術表現科 長谷部浩研究室では、批評のサイトを開設しました。演劇、ダン…

クリティック・アラベスク

東京藝術大学先端芸術表現科 長谷部浩研究室では、批評のサイトを開設しました。演劇、ダンス、展覧会、映画などさまざまなジャンルの批評を掲載していきます。

最近の記事

桃青の園

 辞世の句の起源は、はっきりとわかっていない。漢詩や和歌、俳諧といった短詩の形式によって詠まれる。日本では、江戸時代にもっとも盛んになって以来、権力者も詩人も絵描きも、善人も悪人も、皆々世に別れを告げて、消えていった。  古代ギリシャの叙事詩のように、壮大なテーマと長い形式による詩が流行っていたら、とんでもない。堂々たる語りを終える前に、ぽっくりだ。短詩であるからこそ、完結した言葉を残せた。  歴史に残る辞世の句の多くは、周到に用意され、代作も多い。死人に口なし、ではない

    • 粋なお辞儀

      中井駅での電車の乗り換えは地下鉄の駅が離れているため、一度外へ出て、橋を渡って川を越える。 通勤や通学での利用が多いため、朝方は都心へ向かう都営大江戸線中井駅へ人が流れ、反対に夕方は西武線中井駅へ人が流れる。この一本道では時間によって人の流れが変わる。 ところが、中年のサラリーマンがいかにも日本人らしいお辞儀をしたあの日は、何かが違った。 夕方ごろ、私は人の流れに逆らって地下鉄の中井駅へ向かっていた。 西武線の中井駅を降りると、いつもの川のような人の流れは途絶え、観光客ら

      • 「フツーじゃない」にとろける

         演劇には、変な人が、奇抜なキャラクターが登場したほうが面白い。わたしはそれを、わざわざ言われなくても知っている。だけれども、現実で自分が「変な人」になってしまうのは嫌だ。できるだけフツーに、問題なく暮らしたいし、そうできていると信じたい。  ……本当に?  止まらない悩みに寄り添う作品に出会った。  うさぎストライプの『バージン・ブルース』を観た。うさぎストライプは、平田オリザ氏率いる劇団・青年団から派生した団体である。平田氏が提唱している「現代口語演劇」の手法をベー

        • 父は人間だった

          子供は成長の過程で、正しさや善さを学ぶ。 最初にそれを教えるのは親だ。親は師であり、裁判官である。私の場合つい最近まで、父を神だと思っていたふしがある。ふし、というのは、あえて思い返してみればそう感じるのであって、当時は自分の考え方を分析したりはしなかったから。たとえ普通を喪失しても、父が認めてくれればいい。私の世界を創造した完全な存在だからだ。全てを知っていて、絶対に迷わない。言葉にするとどうも閉鎖的で不健康な響きだが、このくらい壮大だった。でも、私は成長の過程のどこかで

          かつての今

           目的はわからないけれど、わたしはこれから先、この瞬間を文章に書くことがあるだろう。泣きじゃくりながらもこんなことを考えるものなんだな、と思っていることも含めて、鮮烈におぼえているだろう。そして、言葉にするだろう。           映画館のスクリーンには、草原を駆け出す小さな女の子の足元が映っていた。地面を蹴り出す音だけが響いていた。川辺の石を持ち上げて、なにか生き物を探しているのかもしれない。水の流れる音がした。石と石のぶつかる音がした。  女の子の母親は、「あらゆる詳

          コンクリートマーキング

           アスファルトが剥がれて半分くらい土が露わになっている駐車場、前は銭湯があったが、かれこれ5年以上も雑草が群生している空き地、テナント募集中の空き店舗前。このような人が見向きをしなくなった土地がコンクリートジャングルの都内で犬の散歩をするとき、どれほど役に立ったことか。  犬は住宅地に立っている電柱を伝言板として、当然のように他の犬のマーキングに自分のマーキングを重ねる。用を足す独特の挨拶で自分の存在をアピールするのだ。ところが、電柱近くの住人にとって、それは公共物とはいえ放

          コンクリートマーキング

          奇妙な世界

          学部3年 蜂谷亨子 もし道端でズワイガニに出くわしたら。もし魚が喋るとしたら。もしココナッツで発電をする発電所があったら。 そんないくつもの「もしも」から生まれた短編が集まり、1冊の中に奇妙な世界観が形成されている。  panpanyaの2冊目の単行本で2014年に出版された「蟹に誘われて」を読んだ。全18篇からなる短編集である。 表紙のデザインや内容が独特で、なんとも言えない不思議な気持ちにさせられる。 何気ない日々が淡々と描かれるタイプの内容だ。その日常が私達とは少しず

          フォリナーとフォリナー

           先日、大学の食堂で昼食をとっていたら、聞きなれない響きの話し声が聞こえて、左隣のテーブルに3人の留学生が座っているのに気がついた。 「かれ……あなたはすこし、としうえ思う」 「いいえ、わたしは22歳です」 「違うよ、と思います」 時々聞こえる英語のアクセントから2人はイギリス人の学生で、1人は中国人の学生らしいとわかる。日本語はその3人の誰にとっても母国語ではないのだということは明らかだったが、ちぐはぐな会話でも、3人の中で何かやわらかい空気が共有されている。まるで、3人の

          フォリナーとフォリナー

          闇と光の扉

          Do you know where the entrance is? 声をかけてきた外国人の老夫婦は、美術館の入り口がわからないらしい。彼らの持つガイドブックに、見たことのない文字が並んでいた。聞けばイスラエルから来たと言う。イスラエルには、新国立美術館のようなガラス張りの建物はあるだろうか。私はしばらく玉ねぎ型の屋根を想像して、アラビアンに対する自分のイメージの乏しさを感じた。偶然行き先が同じだと伝え、二人を連れて正面の自動ドアをくぐり、人混みの奥のミュシャ展へ向かう。

          灰と赤の国

          修士一年 島崎紗椰 「プレーゴ!」  威勢のいい声がとんできて、目の前にガタンと大皿が下ろされる。 「ぐ、グラツィエ」  気合いを入れて「r」を発音するが、恰幅のいいウエイターは気にする風もなく軽く笑って去っていった。  イタリア語は「r」が大事。その程度の知識しか持たず飛び込んだものの、カタコト英語でも笑顔が返ってくるし、何より「なんとなく」が通用する国だというのが幸いだった。 「ああ、パスタ?ロングパスタね?」  パスタ、パスタ、と呟きながら手で細長い物をジェスチャーす

          黒い夢群像

          修士一年 島崎紗椰  微睡みからふと目覚めると、車は止まっていた。運転席がガチャリと開き、冷い外気が車内に滑り込む。海沿いの凍りつくような冷たさが、熱をもった頬に気持ちいい。まだ眠ったままの凝り固まった身体を無理矢理に起こす。  車を降りると、悪魔が出迎えてくれた。眼球を剥き出し、鼻の穴を広げて、パッカリと口をあけた真っ黒い顔。全身の半分を巨大な顔が占めている。上に一本、下に一本、立派な牙が生えて、その間からざらついた舌がつきでて、唇をいやらしく舐めている。顔の威圧感とは不

          引き出しの中の後悔

          何かとても大きく心が動いた日には、ああこの瞬間は死ぬまでずっと忘れることはないんだろうなと、ふと思う。日常の中で忘れていても、似たにおいや温度、色や音によってふいに記憶の引き出しから現れる、そんな思い出たちをすでに数え切れないほど隠し持っている気がする。楽しい思い出ばかりではない。涙が止まらなかったことも、歯を食いしばったことも、そして後悔していることも。とある老人ホームの風景を描いたベルギーのダンスカンパニーの公演『ファーザー』は、死を待つ老人が妄想した世界に観客を迷い込ま

          手紙

          日曜の夕方に、私は紙の専門店を訪れた。友人から聞いていた店は、駅から歩いて15分程度の場所に品よく建っていた。小さな鈴の音を鳴らして扉を開くとすぐに、色の濃度に沿った綺麗な並びが目に入る。図書館と同じ空気。そう広くない店内で、どこに何が置かれているのか、見渡すことができる。 棚に対うと、棚の一番端に収まっている深い紺の封筒に目がいく。薄っすらと光る粒を含んだなめらかさに惹かれ、迷うことなく手に取った。罫線のない種類の並びから便箋を見る。私は、目の細かい和紙のような質感が好み

          塵の意味なき

           割、分、厘、毛、糸、忽、微、織、沙、塵、埃。  わり、ぶ、りん、もう、し、こつ、び、せん、しゃ、じん、あい。  一割は10分の一で、一分は100分の一。そして、一厘は1,000分の一。と、このままどんどんどんどんくだっていくと埃(ほこり)になってしまうらしい。       わたしの家には切り刻まれた本が何冊もある。ページをごっそり抜かれた本から、ところどころ言葉が抜き取られて虫食いになった本まで、たくさんある。他人事のように書いたが、ぜんぶ自分のせいだった。本を素材にした作

          クリティック・アラベスク

          東京藝術大学先端芸術表現科 長谷部浩研究室では、fecebookページにて批評のサイトを開設しています。演劇、ダンス、展覧会、映画などさまざまなジャンルの批評、紀行文や随筆を掲載しています。noteでの公開もはじめました。どうぞよろしくお願いいたします。 fecebookページ https://www.facebook.com/critic.arabesque/ Hiroshi Hasebe Lab at Tokyo University of the Arts has

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