フォリナーとフォリナー

 先日、大学の食堂で昼食をとっていたら、聞きなれない響きの話し声が聞こえて、左隣のテーブルに3人の留学生が座っているのに気がついた。
「かれ……あなたはすこし、としうえ思う」
「いいえ、わたしは22歳です」
「違うよ、と思います」
時々聞こえる英語のアクセントから2人はイギリス人の学生で、1人は中国人の学生らしいとわかる。日本語はその3人の誰にとっても母国語ではないのだということは明らかだったが、ちぐはぐな会話でも、3人の中で何かやわらかい空気が共有されている。まるで、3人の中だけで通じる新しいことばが作られていく過程を見ているようだった。

わたし自身も、こんなふうに新しいことばを生み出したことがある。

 この春、アメリカを旅した。と言っても、向こうに住んでいる母の親友や実の従兄に会いに行き、目当ての美術作品を見に行くための短い旅行だ。それでもわたしにとっては初めての海外旅行で、眼に映る全てのものが新しく、耳に入ってくるすべての音に身体が震えた。
 母の親友が住むユタから従兄の住むニューヨークへ移動する飛行機は混雑していた。学校のリスニングの試験のようにクリアーな英語の音声なら辛うじて聞き取れても、空港で流れてくる早口のアナウンスはなかなか難しい。同行してくれた友人とわたしは。この飛行機でいいんだよね、この座席で合ってるよね、と確認を繰り返していた。
 三連の座席の窓側に彼女、中央にわたし、そして通路側には黒人の若い男性が座っていた。日本で乗る飛行機は、国内線でも各席にオーディオシステムが取り付けられていたり、液晶画面でテレビ番組を観ることができるものも珍しくないが、アメリカの国内線はそういったものが付いていない。およそ3時間半のフライトをネットサーフィンでもして過ごそうかと思ったが、スマートフォンをWi-fiに接続するためにどうやら会員登録が必要だというので早々と諦めてしまった。友人は旅の疲れか、窓の外の景色を見ながらうたた寝を始めた。
 退屈をしのぐために、わたしはふと思いついて落書きを始めた。朝のワイドショーで見た女性キャスターのうろ覚えの似顔絵に、食べたハンバーガー、スーパーで見つけたサラダオイルの大きなカートン。
 暫くすると飲み物のサービスが来た。何を頼んでも、ロータスのメイプルビスケットかプレッツェルをつけてくれる。わたしはクランベリージュースとビスケットを貰った。隣の男性はコーヒーを貰っていた。ふと横を見ると彼は、スマートフォンで子供の動画を見ながらニコニコしていた。そのカバーには娘さんと思しき小さな女の子の着飾った写真がプリントされている。出張か、単身赴任の方なのだと理解した。
 落書きを続ける。今度は、ユタの空港で見かけた家族だ。金髪碧眼のお父さんと、ブロンズの髪の毛のお母さん。ブルーのダウンを着て大はしゃぎの男の子。頭のてっぺんにお気に入りのヘアゴムを結び、ごきげんな女の子。お母さんの腕に抱かれている赤ちゃん。何気ないシチュエーションだった。
 すると最後の1人を描き終えたところで、隣の男性が突然話しかけてきた。
「それ、すごく素敵だね!そういうタッチのイラスト、僕は本当に好きだよ」
驚きながら、サンキューとこたえる。
「よかったら、僕の娘の顔を描いてくれない?」
彼は自分のスマートフォンのケースをわたしに差し出した。民族衣裳なのか、可愛らしい赤いドレスと白いエプロンを着て、頭には紅白二色のターバンのようなものをつけ、少し照れた表情の女の子。おそらく2歳か3歳だ。ヤ、オフコースと答えて、ボールペンで描き始める。
 その間、彼はずっと嬉しそうにわたしの持ったペン先を見ていた。これから家に帰るところなのだろうか。家族が揃ったわたしのイラストを見て、早く会いたいと思ったのではないか。わたし自身、母と離れて暮らしていた時期があったので、待ち遠しさがピリピリと伝わってきた。急ぎつつ、丁寧に描きあげる。
「ありがとう!写真を撮ってもいいかい?娘に見せたいんだ」
「ええ、でもこの紙をあげます」
ノートの一枚のページを破って差し出す。
「本当に!ありがとう、いいお土産になったよ」
 彼のことばは、旅行中に出会った誰よりも聞き取りやすく感じられた。私はそんなに流暢に英語が話せるわけではない。だが、彼に返事をするのは決して難しくなかった。伝えたいことが口をついて出てくる。
 着陸に向けて機体の降下が始まった。わたしは、気がつくと再び彼に話しかけていた。
「あの、……あなたに絵を気に入ってもらえてとっても嬉しかったです」
「こちらこそ、描いてくれてありがとう。僕はね、ドバイの近くの小さな国に住んでるから、アメリカにはめったに来ないんだけど。本当に出会えてよかったよ」
彼にとっても英語は母国語ではないらしかった。英語だけど、きっと少し違うことばで、フォリナー同士の会話はとめどなく続く。
「娘さんによろしくお伝えください」
「もちろん!ありがとう!」
「さよなら」
「さよなら!いい1日を」
今まで聞いた中でもっとも素敵なグッドバイとハヴ・ア・ナイスデイだった。

 彼はこちらに小さく会釈して飛行機を降りていった。いつの間にかうたた寝から目覚めていた友人が、この顛末をいつから見ていたのか、座席の下の荷物を取り出しながら
「よかったね」
とつぶやいた。
「うん、……本当によかった……。」
続けて何か言おうかと思ったが、やめておくことにした。日本語は、さっき話していたことばよりもずっと難しかった。

(学部3年 石原朋香)
#旅行 #言葉 #エッセイ