カクアラネバナラヌ、で楽しかったことは、なかったんだった

いろんな人の意見や言葉を読むのはいいとしても

なんだかステキな感じの カクアラネバ を薦められ そっか!と素直にやろうとするのは それ自体はいいことかもしれない だが

待て、それはアカンやつだよね 何度もそういうのダメだったじゃん?

自分の性質にあったやり方 見つけ出したり 偶然出会ったり

そっちだよ (なんでかはいちいち書かないけど)

それとか、ルサンチマンまじりな 説教くらっても、ためになるところより、ダメージのほうが、大きい。

そういう時は、思い出したい。

実績があって、真面目で、えらいな、という人らの、まさに偉いねというところじゃなくて…

もっと、素な。

ただもう、今この時のみを、問題にした。

わがままな、感情的な。人間で、生で

野性的な。

なんだけども それは相手を信頼して、尊重しているからこその態度。

態度や言葉のいろいろ。

それが、快かったし、今でも、生きている。

日頃は忘れているのに。脈々と。

煎じ詰めると、自分を信じる、という態度なのかもしれない。

だから相手にとっての自分も尊重する。

それは権威主義じゃなくて、柔軟な考え方だった。

お説教なんて全く思わなかった。会話、だった。

会話、

それは恐ろしいもの。

恐ろしくて、この上なく魅惑的なもの。


*人を創造に向かわせたり、本来望むような生きた活動に向かわせるものは、戒めではなくて、解放とか笑いとか希望だろうと改めて思ったことを書いておく。



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