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気が進まないけど書いてみた

どういえばいいのか

よくわからない。でもわかることもある。うん。

眠ることは大事だと思う。眠って、起きる時、気にかかっていた悩める判断について、わかることがあるから。ただ起きているとき、にはわかっていないことも、謎が解けるみたいに、よしとおもう。

それから、自分の体が感じる感覚は大事で、メッセージだ。特に痛み。

記憶に残る、夢も。 そのどちらも自分から出てきている。だから、何度も触って確かめるように、意識を向ける。

何かを言うのはむつかしい。こうしてタイプすることだけで 声も聞こえず、筆跡もわからず、目の前にいるでもなく、姿も見えず。そういう形で何かを伝えるのは…。文章からは、なにかは伝わってくるものだけど、それでも、ただそういう条件の中で思うことを言葉にすることは、難儀だ。黙っている時間も、何もしていないのとは、ちがって、確かに書くことをしている、と感じることがある。言葉にすると全部、違うのだ。言葉にする時ではないのかもしれないし、なにもかもわからない。だから黙って何かを思う、何かを抱えている。卵を抱いているとかいう気分だろうか。

まあ、本当は、シンプルな会話がしたいな。いつもそう思ってる。すごく貴重な時間だ。相手を感じる。

困ったときの友がほんとの友、と言ったりするんだけど、それはきっとそうなのだろうけど。でもそうやって、友に対して評価しなくても、いいと思うときもあるよ。

何かを書くときに、私は正しい、あなたは間違っている、ということを言おうとなんて、していないつもりだよ。私はこうだよ、と言っている。それだけだ。

いつもいつも、どっちがより良いのか、とか、どっちが正解なのかとか、競争したり、争ったりする必要なんて、あるかな?私にはよく、わからない。すごいしんどいことだし、それで、気分よくなれるのかな…

大概にするとか、テキトーとか、ちょっと空間を設けることって、すごくね、大事だ。追いつめすぎることなく、相手の空間を侵さないということ。相手の個人を尊重して、信頼して、手放すとか、引く、というニュアンス。

ほっと息がつけるようにするんだ、そこに空気が流れるように。無理してなにか、大変そうなことまで、しなくちゃいけない、というんじゃなくて。何も特別でも難しいことでもなくて、ただ放っておくみたいなことだと思う。ここから先は、いいよ、君のスペースだ、と。

そうすれば自分の心も、休まる。

自分を認めてくれる人がいる、困ったとき助けてくれる人がいる、もしそうならそれはとてもシアワセなことだな、と思う。なかなかないことだと思う。自分には困ったとき心から信じて相談できたり、助けてくれるって人がいるかっていうと、どうも曖昧だし、わからない。友達でも疑わしく思うこともあるし、わかってもらえないこともあると予想する。ただ、助けてくれるってとこまでいかなくても、耳を傾けてくれるという人はいるんだろう。そしてそれだけでも、とてもありがたいなと思う。

いちいち否定しなければ気が済まないような相手なら離れるほうがいいし、また常に否定されるかそういう攻撃的な雰囲気を出してこられるだけでも、そう感じているならもうこだわらないで、離れたほうがいい。不幸だし、そんなのは。

我ながら当たり前のことを書いていて困ったものだなと思うけど。

ある時から、相手を変えようとしたりわかってくれないと悲しむより、これがこの人なんだなとただ思うことにしたら、話が多少かみあわなくても、いいやと思えるようになったし、ただ相手は生きているんだなとかそんなふうに感じているとき、以前よりも、もっと「流れている」と思った。黙って互いに思いあう、ってことが出来ている気がした。ささやかな、すぐ忘れてしまうような瞬間だけど…かすかだけど満足感がある。

打てば響くような知性の働く人ほど、次々に反応する思いや考えがあふれてきてしまうものかもしれないけど、切っては捨てを繰り返して進むことだけでなくて、時には黙って相手の言うことを聞いたり、感じたらいいんじゃないのかな、どうだろ。自分が次になにを言うか、だけに集中するんじゃなく。そこに自分だけが存在しているわけではないのだし…。まあ正解がなにともわかっていないので別に、それでなにがうまくいくって保証もないし、そういう話でもないんだけど。

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