エンターテインメントで悲しくなったら、

「終わらない恋」は、絵画である。

↑多分ね。

そんなタイトルの展示(絵画は終わらない恋、みたいなタイトル)をしていた現代アートギャラリーに、通りがかりに入ったことがあった。入ったときにその展示をしていたのではなくて、以前にそういうグループ展をした際のカタログが他の印刷物などと一緒に置いてあった。その絵画展のカタログが何より、心に残った。あの通りはすぐ浮かぶけど、ギャラリーの名前は今思い出せない。

さて暫くノート更新しないうちに日々が過ぎてしまった。数日東京に行っていて、毎日、ここあそこと忙しく移動し続け、たくさん歩けたのはとても良かった。疲れきって眠ることの充足感。大丈夫か、というほど疲れても、ふらついても、食べて眠る。するとあら不思議、復活してるよ素晴らしい。
しかし、元々詰め込み上手とはいえない為に忙しない移動中にノートを書き上げて更新、までは仕切れなかった。ただ書こうと思うことだけが溜まってゆく。そろそろ、書かないと、書かないことが普通になるのだろう、と再開…

東京から戻ってきた後、読みさしのままの本や、聞き込むつもりだった音楽や途中までしか観ていないドラマ、漫画など、ちょっとの間楽しんでみた。するとすかすかした馴染み深い悲しみが現れてきた。

全く、エンターテインメントは、どれだけ心を慰めてくれるのだろう?
確かに慰めはくれるのだが。

ドラマでも音楽でも漫画でも…娯楽は、慰安は、それを享受する時間の間さえ、迫りくる崩壊の予感は消えてはいなくて、いったい、こうして気を逸らしたことで、それでも後悔しないと言い切れる何かを与えてくれるのだろうか?
それとも、笑ったり涙ぐんだり様々に気持ちよくなりながら、いつのまにか、なし崩しに「未来の無さ」を受け入れさせられているのだろうか。誰に?私に?私たちに?あなたに?あなたたちに?


とてつもなく久しぶりに、しかもマトモに、宇多田ヒカルのCan you keep a secret? を聞いていたら、流行っていた当時はそう好きでもなくてあまりちゃんと聞こうとしなかったこの歌詞の一節が、目に留まった。
そこから、書き留めておきたいことが次々出てきた。

それは、「悲しくないよ 君がいるから 
Can you keep a secret?」
というサビの部分である。もっと言うとその、悲しくないよ、という一言だ。

常に悲しい人間にとって、悲しくないだけで
ビックリするくらい幸せである。
あ、いま悲しくないな。と思える朝は、なんという安らぎと落ち着きを感じられる、貴重な時間だろう。
別に、なにかしら嬉しくなくていいのである。キャッホーヤッホー大興奮キラキラ楽しいハッピーうれちーオレ最高。
そんなの内心、感動しないんである。はは。
とにかくひとときでも悲しくないだけで、神様ありがとうなんてつい思うくらい、有り難みがあるのですよ。

もしこの、「悲しくないよ」が、単に、うれしいだのハッピーだのとキモチそのまま言うのは恥ずかしいから抑えた表現でしか言えなかった、そういう素直になりきれない照れ隠しとして作った歌詞だったかもしれなくとも、

別にそう、解釈したくないからこの文章内では。

だから、常に悲しい気持ちに取りつかれている人間にとっては、悲しくないという解放感だけで凄い、と言いたいのだ。
だから、ここでは、secretは悲しみの内容なのだ。
君といるとかなしくないという事実は別にたいして秘密ではない。例え秘密であったとしても、歌いあげられる程度の秘密である。
秘密それ自体はまだ一言も表に出てこないのである。秘密なんてそんな簡単に誰も言わないのである。
と、独善的に解釈したところで、

ボナール展に行ってきた話をちょっと書く。
国立新美術館でやっているボナール展だ。まだ、やっている。
(~12/17)


限られた時間で絵を見るのに忙しかったため、ボナールの生涯についてはそこまで確認出来たわけではない。ないのだが、さらっと年表読んでて気になったのが、彼が若き日からよくモデルにし、生涯の殆どを共に棲み暮らしてきたマルトという女性である。
彼はどうやら50を過ぎてやっとこのマルトさんと結婚したようなのだが、それも、実はボナールに別に気のあるモデルが出来、そのモデルとの仲を心配したマルトが結婚を迫ったから、という受け身ななり行きだったようだ。ところがこの別のモデルさんが、そもそもボナールとは別の画家の愛人であったようなのに、ボナールの結婚後すぐ自殺している。かつ、ボナールは結婚するまでマルトの本当の名前も年齢も知らなかった。
なんなんだそれは…。
これもひとつのCan you keep a secret?ってやつだろうか。いや、なにも結びつけなくてもいい。しかしなんとも人間の業だ。
それらエピソードはいかにもドロドロしていそうで、そのときも今もあまり詳しく知りたい気持ちが起きなくて、はあ、そういうことがあったりしたんだな、というくらいだった。でも、一応書いておく。ボナール展は充実しており、もっと積極的に復習したい内容もあり、見る価値充分だったので、絵画自体についてはまた改めて書くつもりなので、たぶんそのとき少し参考にするだろうから。

‘’かなしくないよ、君がいるから…‘’
それは、私にとっては絵画、
いや、絵画そのまんまの絵画ではないかもしれないが、直接繋がりがあることではないだろうか。そんな、だろうか、って白々しいが。







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