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ふりぃらんす にっき 7

凄い ってなんだろう

オーケストラ音楽を作ることが多い私ですが、音数も多いし、壮大になるし、手間もかかります。その手間を手間と認識したことはあまりありませんが、オーケストラだと、聞く人を無条件に「凄いね!」という感想を導き出せるので、作曲家として優位に立てる事は多々あります。

しかし、最近来にしているのは「引き算」です。オーケストラは、美術で言うところの「点描画」です。遠巻きに見てなんとなく全体像がつかめるというもので、至近距離で見てもさっぱりわかりません。音楽において、至近距離で見る人、わかりやすさ、が最近おざなりにされている気はします。

世の中のクリエイターや作曲家、メディア関係者は、「凄い」という、技術的な「他との比較」が、話題として捉えやすいという傾向はあるでしょう。音楽だけではアピールし辛いので、プロモーションビデオを作る、というのも、この時代ではもはや何も疑問に思わなくなりましたね。現実的に映像が及ぼす影響は計り知れません。音楽を純粋に音楽だけで楽しむ、などというのは、「目標値」ではまだ存在しても、現実的にはほぼ形だけです。もともと、音楽とはシーンを要してきました。音楽を音楽だけで売れて欲しいと願うのは いつの時代も作曲家だけ です。

凄さ、とは何でしょう。「巧みさ」でしょうか。それとも「伝わりやすさ」でしょうか。音楽に対して造形に乏しい方は、音楽に対して何を期待しているでしょう? そこを完全に無視した場所に、音楽での成功はありません。「音楽での成功」といいましたが、その成功を何と定義するかによっても話が変わってきますが、前回「感性」の話をしたと思いますが、なんとなくおわかりでしょう。「感性」か「技術」か、ではなく、そのバランスのとり方と、その両方の精度の高さ。それが「良い音楽」に導いてくれるでしょう。

良い音楽とは何か、という、この世界で最も難しい問題の一つにあえて触れるとすれば、「感情の増幅器」としての役目があるでしょう。これは、異論は多分無いのでは無いでしょうか?

様々な感情の音楽がありますが、「増幅器」としての役目は共通して持っています。人間は様々な感情を持って生きていて、コロコロとその方向性は変わります。ゆえに、様々な音楽を必要とするのだろうと思うのです。

闇のエネルギー精神的なストレスを抱えた人が、作曲活動を継続して行えるか、というと、なかなか難しいと思います。音楽が「増幅器」だとするなら、ストレスを増幅しかねないからです。精神的ストレスのエネルギーで作った音楽が、他者に評価されると、次に作る曲はより強いエネルギーを要する事になります。ストレスのはけ口として作っているものが、より多くのストレスを生むことになってしまう連鎖。中堅以上の音楽家が陥りやすいものです。高確率で鬱を発症します。それは…自分の中でパラドックスを抱えてしまうからでしょう…。

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