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ふりぃらんす にっき 6

こころの栄養について

音楽を作って、アルバムを作って、手売りしたり、ダウンロード販売したりして生計を立てている私は、常日頃心がけている事があります。それは「心の栄養」という概念です。
これは、何もフリーランスに限った事ではありません。誰もがこの「心の栄養」を毎日補給して、働いて、生きています。

フリーランスの場合、「好きなことを仕事にしている」という場合が多いと思います。好き…、というより「得意」という意味も同義でしょう。仕事=辛いもの、という定義はフリーランスではありません。そこのところがフリーランスが羨ましがられる現代の風潮でありましょう。

しかしながら、それ故に「好きなことやってんだからそのくらい我慢しろよ」という考えも生まれます。他者からの指摘ではなく、自分自身でそういう発想を生んでしまうのです。ある種の罪悪感とも言えます。通勤という概念がなく「比較的自由である」という部分で、決まった時間に生活を拘束される会社勤めに対して、社会から取り残されたような感覚を覚えます。そういう意味で、いろいろと「我慢」することは結構あります。

依頼の仕事一つにしてもそうです。フリーランスは成果主義であるため、数日かけて作ったものも、ボツになることはよくあります。そしてその労働時間への対価は一切ありません。成果を納品してなんぼの世界ですので、無駄となる時間は驚くほど多いのです。その原因が自分の実力の無さなら納得行きますが、クライアントの指示不足であったり、「発注者の心変わり」だったりもするのです。これに対して、一々一喜一憂していられません。そんな時間こそ無駄です。ボツならボツ。そこのところの切り替えが重要になります。

ですが、やはり何処まで行っても人間です。せっかくやったのに、という気持ちを払拭することはとても難しい。そういったストレスと毎日向き合うことになります。そのうち、作っているものに対して「無駄になるのではないか?」と怖くなることがあり、作業の手が止まることがあります。それがいわゆるスランプと受け取られがちですが、その多くの原因は自分にあるわけではない。主にクライアントとの意思疎通が足らない事と、その作風が向いているか否か、に起因します。

クライアントにもいろいろ居ます。その作風が向いているかどうかを調べたりもせず、「安いから」という理由だったり、「他の誰かを探すのが面倒だから」という理由で依頼してきたりもするものです。それらにも可能な限り対応していますし、それが「仕事」ですから、むしろ有り難い。新しい挑戦の機会だと思って頑張ります。

「自分の好きなことを仕事にしている」故に、あまり好きじゃないことを仕事にしている人では絶対に生じないストレス、というのもあるのです。好き故に、です。特に音楽や絵は、感情で描くものです。感情と精神はとても密接ですし、同義と捉えても差し支えないでしょう。

絵を描いたり、パソコン上で音楽を作ったり、という仕事は、はっきり言って全く「体力」を使いません。身体を動かす事による疲労はほぼゼロに等しい。主に精神力だけを使って仕事をします。

精神力は、「寝ただけでは回復しない」という事が分かってきました。体力とは明らかに違う回復構造を持っています。精神を回復させる一番の特効薬は「散財」で、次に「移動」です。つまり、「旅行」は精神回復に大変効果的であると言えます。生活の場を離れる。非現実に身を置く、と言うことが、精神力を回復させるわけです。小説家が鄙びた温泉宿に一週間入り浸り小説を書くのは、「回復スポットに居座る」のと同じ行為です。

散財も効果的な精神回復となります。ガチャ。ブラックフライデーでの音源購入などは正しくその一環と言えます。散財とはとても気持ち良いものです。それで得られるものに殆ど意味はありません。散財する事が目的ですから。

当然のことながら、そんな事を連続して行えば、あっという間に財布が空になります。コストをかけずに精神を回復させる方法を見つけなければなりません。私の場合、まさにそれは「今後の人生で不可欠な要素」でした。

生活空間を快適に

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