チャリティー企画はやらないことにしました。募金します。

まずは、令和6年能登半島地震で被害に遭われた方に、お見舞いを申し上げます。
一刻も早く復旧、復興ができますことをお祈り申し上げます。

さて、先日X(Twitter)で「こう言うときって、『離れた場所で被害がなく、直接何も手を貸せない』立場では何をするのが最善なのだろうと考える」と呟いたところ、「チャリティー作品を創るとか」という声を戴きまして、それについて色々と考えました。

確かに「チャリティー販売」というと役に立てそうですが、そもそも自分は仕入れ販売をする仕事でも、作り貯め販売をする仕事でもありません。何かを売る為には、これから新たに作る必要があります。
そうなると無視できないのが「諸々の原価」です。
ここから生々しい話です。

物を作る為には必ず費用が掛かります。たとえば、材料費と制作工賃を合わせて5千円掛かったとします。それを1万円で売ったとしましょう。乗っかった5千円は利益ですから、そのまま寄付に回すことは可能です。が、原価として掛かっている5千円も出してしまうと、それはつまり持ち出しですから、ひたすら自分の首を絞めることになります。一販売毎にそうなっていく訳です。
僕は常々「人を助ける為に自分が倒れてはならない。そうなっては、いずれ自分が他の人の手を煩わせることになる」と考えています。特に自分などは「使いきれない溢れんばかりの財産」を抱えている訳ではなく、むしろ自転車操業に近い。活動を継続するには、会計面でも維持継続できなくてはなりません。

そして、新たに「チャリティー商品」を作ったとして、それは「常々お客様が欲しかったもの」ではありません。ある日突然現れるものです。
更に、普段自分が作っている様な凝った細工物はできません。手間が掛かり過ぎれば制作工数が増え、原価を上げ、売価が上がり、作れる点数は減ります。かといって「鋳造品の湯道を切ってそのまま」みたいな安易な品物を欲しがる人はいませんし、買ってくれたところで使われることはないでしょう。

お客様は1万円出して、寄付に回るのはその内の5千円だけで、欲しくもないものが手に入る。
僕は通常の利益は得られず、負担は増える。
どちらにとっても自己満足だけで、最も必要とされる社会的なメリットが少ない。
これが僕の出した結論です。
販売する品物自体を寄付で集めるバザーの様にはいかないな、と改めて考えました。

ではどうするか?
無粋ですが、僕は現金で寄付することに決めました。
そして、僕の創るチャリティー商品なら買ってもいいな、と思ってくれた方、その額を寄付してください。
生々しくて面白みがない話ですが、多分それが一番役に立つことだと思います。

※これはあくまでも「僕の考え方」であり、絶対に正しいとは考えていません。他の人に押し付けることもしません。
その点だけ、お断りしておきます。

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