50年後と1000年前を考える新井

久しぶりに近所の本屋に行きました。最寄り駅のJRの改札からは近いのですが、仕事でメトロばかり使うようになって行かなくなっていました。職場の近くの本屋には昼休みに行ったりしますが、仕事中にマンガやその他欲しい本を買うのははばかられ、実用書か仕事に関わる本ばかり買っていました。あとは電子書籍で買ったり。

久しぶりに行くと配置が変わっていたり売れ筋のビジネス書として紹介されている棚のラインナップが様変わりしていて面白いのですが、今日は雑誌コーナーで見つけた50年後の日本と世界を予測する本に目が止まりました。

通信技術はこう変わるとか、スマートホームになるとか、◯分で東京から大阪へ、みたいなよくある記事でしたが、浅く広く書いてあったのと、明治時代に予想した今が実現されているのか、的な比較に惹かれて購入しました。「空調設備は実現している」とか「蚊の絶滅は実現していない」とか。今買った本も50年とは言わずとも30年後に見ただけでも合ってる合ってないあって面白そうです。

と、ここで自分がふと思ったのが、文豪と呼ばれる人の作品だったり、自分が大学時代に学んでいた古典文学には、現代あるいは過去を描いた作品しかないのでは?ということです。最近読んだところだと伊坂幸太郎の『シーソーモンスター』とかありますが、近未来〜はるか遠い未来を描いた作品なんて今はごまんとあるわけです。しかし、古典文学にはそれがない。何故か?

おそらく今と変わらない未来が何年先も続いていく予測しかない立てられなかったのでしょう。今から200年前は江戸時代ですが、その前200年もまだ江戸時代です。前者と後者で社会の変化は歴然のはずです。そこから前へ遡っていっても国内は武士が支配したり、貴族が支配したりと多少の差はあれど、大衆の生活スタイルに大きな変化はないのではないでしょうか。

目まぐるしく変わる現代だからこそ、◯年先はこんなことが起こる!と予想を立てられるわけですね。

ちなみに、私が一番楽しみなのは「2050年には80歳以下のがんの死亡者数がゼロになる」ですね。割とうちはがん家系なので克服できたらいいなと思ってます。

レペゼン群馬、新井将司。世界一になる日まで走り続けます。支えてくださる皆さんに感謝。