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【小説】ゆづみつ②

   <最初から>   


 しばらく他愛もない話をしながら歩いていると、道の向こう側に法輪寺が見えてきた。

「あ、だるま寺。懐かしいな」
「都さんのご実家はこのあたりですか?」
 私の言葉を聞いたみつおが私の方を見ながらそう聞いてくる。

「んー。このあたりと言えばこのあたりかな。そんなに近くは無いんだけどね。小さい頃に何回か来たことがあって。ここのお守り、可愛いんだよね。達磨の形でさ。無くしちゃってもう手元には無いんだけど」

「へえ。じゃあちょっと寄って行きましょうか」
 そう言うとみつおは道を渡り、法輪寺の前に自転車を止めると吸い込まれるように中へと入って行ってしまった。もう。誰が寄っていいと言ったんだ。とはいえ、私は最終目的地がどこなのかすらわからずに歩いていたのだけど。

 みつおに続いて中に入った私は、達磨堂を見ながら昔のことを思いだしていた。
 達磨が怖くてお父さんにおんぶしてもらった時の事や、ここに来た帰り道にアイスクリームを食べに行ったこと。最後に来たのはいつだったかな。高校受験の前だっただろうか。それとも大学受験の前? どっちもだったような気がする。

 でも、もっと大切な思い出があるような……。

 何かを思い出しそうになった時、耳元で『チリン チリン』という鈴の音が聞こえた。ああ。この鈴の音……。

「はい。どうぞ」
 みつおの声で現実世界に引き戻された私の目の前に、だるまの形をした鈴のお守りがゆらゆらと揺れていた。

 法輪寺を出た私たちはぶらぶらと歩きながら色々なことを話した。そして自動販売機で買ったジュースを飲みながら二人で河原に座って話している時に、私は歩き始めてからずっと思っていたことを聞いてみる。

「ねえ、みつお。キミはどこか行きたいところがあったんじゃないの?」
 そう聞く私に対してみつおは少し不思議そうな顔をする。
「え? どうしてそう思うんです?」
「いやいや、この後予定ありますか? 積もる話でも。ってなったら普通どこかのお店に入ったりするじゃん?」
「まあ、そうですけど。でも都さん。積もる話はお店でしかしちゃいけないっていう決まりはないんですよ?」

 いつも通りちょっと鼻にかけたようにみつおはそう言う。確かにそうだけど。そうだけども。私が何か言い返そうと考えていると、みつおはふと空を見上げながらこういった。

「空が赤くなってきましたね。そろそろお腹空いてきませんか?」
 それに応えるように私のお腹が『ぐう』と大きな音をたてた。

「さすが都さん。では、ご飯食べに行きましょうか」
 そう言って立ち上がったみつおを見上げながら私は大きく頷いた。『さすが』の意味がよくわからないけど、ご飯を食べに行くのは大賛成である。私もよいしょと立ち上がると、みつおと並んで赤く染まる世界に一歩踏み出した。


 街の色が紫色に変わる頃、私たちは焼肉屋で網を挟んで向かい合いながらビールジョッキを傾けていた。

「今日はいっぱい歩いたからビールが美味しいねー!」

「はい、都さん。お肉いっぱい食べて下さいね」

 私がぐいぐいとビールを喉に流し込んでいる間もみつおはお肉をせっせと焼いては私のお皿に盛りつけてくる。そうだった。みつおは普段は鼻につく言動が多いけど、実のところは物凄く気遣いの男だったんだ。なんだか懐かしい。

 ニヤニヤと口元を緩めながらみつおを見ていると、肉をひっくり返す手を止めたみつおが
「都さん。ヨダレが垂れそうですよ? 僕は食べても美味しくないですし、ほら。牛さんを食べてあげて下さい」
 と淡々と言い放った。

 美味しいお肉に美味しいお酒、それに楽しい昔話。それだけ揃った時間が経つのは本当にあっという間で、お店を出た時にはもう外は真っ暗になっていた。

「ごちそうさまでした。でも本当にいいの? 奢ってもらっちゃって」

 べろべろではないけれど、それなりに酔っぱらった私がみつおにそう聞くと、みつおはクスっと笑いながら
「都さん。無職にたかるほど僕は酷い男じゃありませんよ」
 とサラリと胸をえぐるようなことを言ってきた。そうだな。そろそろ仕事を探さないとな。醒めそうになる酔いを手放さないようにしながら、私はとりあえずにっこりと笑い返した。みつおなんかに負けてなるものか。

「それじゃあ送って行きますから。都さんの家こっちでしたよね」
 そう言うとみつおは当たり前のように私の自転車を押しながら歩き始めた。

「あれ? なんで私の家知ってんの?」
 回らない頭を回そうともせず、疑問をスグにぶつけると
「だって都さん『桜堂の近くに住んでるんだー』って言ってたじゃないですか」
 と、言った本人が言ったことすら忘れていたことをみつおはサラリと口にする。

 同じくらい飲んでいたはずなのにケロリとしているからこその記憶力なのか。それとも私の記憶力がお酒に酔って低下しているからなのか。ただ単に私の物覚えが悪いだけなのか。

 そんなことを考えながら、私はみつおの横に並んで家に向かって歩き始めた。

 そういえば今日行った焼き肉屋さんも私の家から歩いていける距離だったな。のんびりと自転車の横を歩きながら私は思った。

 みつおはまさかそんなところまで計算しているのだろうか?

 みつおの顔を見上げると、みつおは『ん?』とでもいうかのようにほんの少しだけ首を傾げる。なにこの空気。なんだかわからないけど恥ずかしくなってくるじゃないか。みつおにときめいた事なんて今までもこれっぽっちも無いのに。くそっ。みつおには負けん。

 見えない誰かとよくわからない何かについて闘いながら歩いていると、私の家が見えて来た。

「あ、あそこ私の家」

「へえー。本当に桜堂の近くなんですね。ちなみに都さん、こっちに帰ってきてから桜堂には行かれましたか?」

「桜堂? そういえばこっちに帰ってきてからは一度も行って無いかもしれない。あそこのみたらし団子は最高だよね。思い出したら食べたくなってきた。明日買いに行こうかな」

 私がそう言うと、みつおは足を止めずに空を見上げて何か考えるような素振りをした後、私の方に向き直ってこう言った。

「都さん、明日も暇ですよね? ちょっと付き合ってもらってもいいですか?」

 確かに私は明日も、なんなら明後日だって暇だけど。みつおにそう言われると反抗したくなるのはなぜなんだろう。

 そうこうしているうちに、私の家に到着した。みつおは私の自転車を止めると
「じゃあまた明日。九時くらいにこの辺にいますんで。では、おやすみなさい」
 と言い、私に向かってにこやかに手を振る。これは私が家に入るまで見ているからさっさと帰れということなんだろう。そして明日の約束を私はまだ了承していないけど、みつおの中では明日九時にこの場所に私が来ることはもう決まっていることなのだろう。みつおの笑顔はそんなことを物語っていた。

「はあ。ではまた」
 そう言うと私はみつおに背を向け家に向かって歩きはじめる。玄関のドアを開けながらみつおのいた方を振り返ると、みつおは別れの挨拶をした場所から動く事なくこっちを見ていて、私の視線に気がつくとまた手を振った。

 ああ。みつおにいつも途切れる事なく彼女がいたのはこういうことなんだな。と、ずっと気になっていたことの答え合わせができて私はなんとなくスッキリした気持ちになった。

 でも、九時待ち合わせだったら桜堂にみたらし団子買いに行けないじゃん。やっぱりみつおはみつおだ。自分の思った通りに周りを上手く動かしてしまう。そんな不思議な空気を持っている。


 次の日、約束の時間になったので家を出ると、みつおは既に約束の場所に来ていた。

「どうも。都さん」

 みつおの後ろには黒のワンボックスカーが止まっていた。もしかして、あれはみつおの車なのだろうか。私なら自分で乗るなら軽自動車一択なのだけど。大きい車に不便そうなイメージが強いのは、私が街の中でしか車に乗らないからかもしれない。でも長距離を走るのなら大きな車の方が安心だろうし。

「都さん、乗ってください」

 そんな私の考えはみつおの一言で中断された。そして言われるがまま車に乗り込もうとする私を見て、みつおはくくくっと笑った。

「あの、都さん? なんで後部座席なんですか?」

 私はステップに足をかけたままみつおを振り返ると、当たり前だという態度で答える。

「だって助手席に女が座っていたら、みつおの彼女にバレた時にややこしい話になるでしょ。それにみつおも京都が地元なんだから、いろんなとこで顔バレした時に面倒臭いことになるじゃん」

 私の答えを聞いたみつおは、今まで見たこともないような楽しそうな顔で笑った。

「いやいや、都さん。僕、今彼女居ませんよ? それにここは地元ですけど、僕を誰だと思ってるんですか? 女性と車に乗っていようがバイクに乗っていようが手を繋いで歩いていようが、僕ほどのいい男ならそんなのは当たり前なんで、そんなことわざわざ噂になったりなんかしませんよ」

 せっかく気を使ってやったのに、みつおのモテる自慢を聞かされる結果となってしまった。みつおめ。負けた気分になるのが悔しい私は、そのまま後部座席に乗り込むとバタンとドアを閉めた。

 運転席に乗り込んだみつおは楽しそうに後ろを振り向くと「お気遣いありがとうございます」と、なんともイヤミな感じで私に言った。私も負けずに「どういたしまして」と返したが、みつおが更に楽しそうに笑うので釈然としない気持ちは晴れないままだった。

「ねえ、みつお」
 運転するみつおにちょっと気になっていることを聞いてみようと声をかけた。

「はい、なんでしょう?」
「今日も平日なんだけど」
「ええ、そうですね。それが何か?」
「仕事は?」
「仕事ですか? あると言えばありますけど、無いと言えば無いです」
「は? まさかみつおも無職?」
「都さんと一緒にしないでください」

 どういうことだろう。

「じゃあフリーターとか?」
「僕を誰だと思ってるんですか」
「みつお」
 間髪入れずに私が答えると、みつおは思いっきり吹き出した。

「都さんらしい答えですね。まあそれも正解です」

 何だ『それも正解』って。よくわからないな。と、その時、私はみつおが和菓子屋さんの一人息子だったことを思い出した。

「そうか、わかった! みつお、アレでしょアレ。名義貸ししてるんでしょ!」

 そう言った私を少し可哀想なものを見るような眼つきで見ながらみつおはこう言った。

「都さん、もうちょっと色々とお勉強した方がいいですよ?」

「懐かしい。その言葉、久しぶりに聞いたわ」

 関西支部にいたあの短い期間で何度言われただろう。昔を思い出して少し感傷的な気持ちになる。なんてものでもなく、何度聞いても腹立たしい。人をバカにするくらいなら素直にとっとと正解を教えてくれればいいのに。

 結局答えは教えてもらないままドライブする事約一時間。

「着きましたよ」

 車が止まった場所は山の中だった。

「山?」

「そうとも言いますね。さあ、降りましょうか」

 さも当然のように降りていくみつおを不思議な顔をしたまま見送っていると、私の横の扉が開いた。

「都さん、どうぞ」

 みつおに促されるまま車を降りた私は、とりあえず胸いっぱい空気を吸い込んだ。緑のニオイ。土のニオイ。自然のニオイ。そしてたくさんのニオイを感じながら私は大きく伸びをする。気持ちがいい。

 周りを見渡すと、どうやらここはキャンプ場のようだ。しかし平日の昼前ということもあり、利用客はいない。三時くらいになれば人も集まってくるのかもしれないけど。

「ていうか、キャンプ?」

 どこからどう見てもキャンプ道具が入っているようには見えないトートバッグをいつの間にか車から降ろし、私の横によいしょと置いたみつおの顔を見る。

「都さん。別にテントを張らなくてもキャンプ場は使わせてもらえるんですよ? あ、ちょっとここで待っててくださいね」

 私とトートバッグをその場に残したまま、みつおは事務所のような場所へと入って行ってしまった。

 それにしてもこんな自然の中に来るのは久しぶりだ。ただ立って息をしているだけでも身体全体が浄化されていくようだ。でもどうしてみつおは自然と触れ合いに来たのだろう。

 みつおと自然の組み合わせは私の中ではしっくり来る組み合わせではないけれど、私以外の人からすればそんなに違和感のある組み合わせでも無いんだろうか?

 そんなことを考えていると事務所からみつおが出てきた。こっちに向かって歩いてくる姿は中身がみつおだと思わなければ、自然と物凄くマッチしているように見えた。でも中身、みつおだけど。

「行きましょうか。って言ってもすぐそこですけど」

 謙遜かと思いながら後をついて行くと、本当にすぐそこ、二分くらい歩いた場所でみつおは立ち止まった。そしてトートバッグからかなり大きめのレジャーシートを取り出すとその場所に広げ始める。

 まさにみつおが選びそうなオシャレな柄のレジャーシートは年季が入っているわけでもないけど新しくもなく、普段から使っているもののようだった。このレジャーシートを持って普段どこへ出かけているのだろう。みつおはインドア派かと思っていたけど、意外とアウトドア派だったりするんだろうか。

「どうぞ」

「あ、お邪魔します」

 靴を脱いだ私は先に座ったみつおと対角線上の場所に座る。視線が下がったことで周りの風景との同化率がグンと上がったように感じる。

 こんな中でご飯を食べたら美味しいだろうな。まだお昼まで時間はあるけど。そんなことを考えているとなんだか急にお腹が空いてきた。

『ぐう』

 風の音や虫の声でかき消されるかと思った私のお腹の音は、期待を裏切って大きな音で鳴り響いた。ああ、また馬鹿にされる。でもそんなことには負けない。なんてことを考えていたら、みつおは何事も無かったかのようにカバンの中からプラスチックのケースを五つ出してレジャーシートの上に並べた。そして、大きな水筒を最後に出すと「お茶にしましょう」と言い、コップに注いだ珈琲を私の前に差し出した。

「あ、ありがとう」

 受け取ったコップに口を付ける。美味しい珈琲だ。これもみつおが豆から挽いてドリップしたとでもいうのだろうか。何をさせてもサマになるところが今も昔も鼻につく。しかし、色々とやってもらっておきながらこんなことを考えてしまう自分が本当に嫌だ。目の前でこんなことを考えているなんてなんて微塵も想像していないだろうみつおは、カバンから取り出した容器をひとつづつ開け始めた。

「桜堂のみたらし団子!」

 ひとつめの容器の中に今日買いに行こうと思っていたみたらし団子が入っているのを目の前にした私は居ても立っても居られなくなり、後で何かを言われるかもなんて思う間もなくそーっとみたらし団子に手を伸ばした。

 そんな私の行動をとがめることなく、みつおは残り四つの容器のふたを全部開けていく。

「いっただっきまーす」

 そうそうこの味。懐かしいなあ。最近はコンビニのお団子も美味しくなってきたから手軽に買えるそっちばっかり買っちゃってたもんね。やっぱり本家のお団子は一味違う!

 容器を全て開け終わったみつおは、もぐもぐとお団子を頬張る私を見ながら優雅に珈琲をひと口飲んだ。

「都さん」

 あ、やっぱりなんか言われちゃう感じ?
 でも今は美味しいお団子を食べてご機嫌だから、何を言われても全然気にならないけど。

「待てなくてごめんごめん。昨日から桜堂のみたらし団子の事を考えてたからさ。どうしてもすぐに食べたくなっちゃって。本当は今日買いに行こうと思ってたんだ。あ、そうそう。私がいくら食いしん坊だからといって全部は食べないから安心して? ていうか、みつおも食べなよ。後で食べたかったのにーとか言っても食べちゃった分はもう戻せないからね?」

「いや、僕はそんなにいやし……いえ、そこまで食に貪欲ではないので大丈夫です」

 なんか途中でものすごいこと言われてたような?

 怪訝そうな顔をしたのを見逃さなかったかのようにみつおは慌てて言葉を続ける。

「都さんがみたらし団子が好きなのは知ってますけど、よかったらこっちのパンも食べていただけませんか?」

 みつおが差し出した容器には、みっちりと小さめのパンが詰まっていた。蓋をとった残りの容器を今さらながら見てみると、そっちにも全部小さめのパンがみっちりと詰められていた。

 ふわふわがみっちみち。なんだか幸せを詰め込んだ箱みたいだ。

「遠慮なく。いっただっきまーす」

 私は一番手前にあったパンをひとつつまむと口に放り込む。

 鼻から抜けるパンの香り。中のイチゴジャムも酸味が少し残っていて甘酸っぱくてパンによく合う。

「みつお、このパンめちゃくちゃ美味しい! どこのパン屋さん?」

 珈琲をひと口飲むと私は次の容器のパンに手を伸ばし、また一口で頬張った。うん、これはクリームパン。カスタードクリームがいい仕事をしている。甘すぎず甘くなさすぎず。濃厚なカスタードとパン生地の相性も抜群だ。そして次のパン。また次のパン。どんどんと飲むようにパンを食べる私を見て、みつおは少し満足そうな顔をして微笑んでいる。

「いやあ、スゴイ食べっぷりですね」

「だってこれ物凄く美味しいよ? みつおも食べなよ。みつおが持ってきたんだから。さあ。ほらほら」

 私が容器を差し出すとみつおはパンをひとつ摘まんでパクリと食べた。

「美味しいでしょー」

 私が作ったわけでも買ってきたわけでもないのに得意気に言う私を見ながらゴクンとパンを飲み込んだみつおは、ややドヤ顔をしながらこういった。

「このパン、僕が作ったんですよ。美味しくて当然といえば当然でしょうね」

「うそ? このパン全部みつおが作ったの?」

「そうですよ。もちろん僕が作るんですから酵母から手作りですよ」

「ていうことは、みつおは無職じゃなくてパン屋ってこと?」

「いや、まだパン屋は開いていません。その準備段階ってところでしょうか。なのでやや正解っていうところですね」

 なんだやや正解って。

「あ、あとさ。桜堂の営業時間って十時半からだし、昨日帰った時点でお店は閉まってたのに、みたらし団子よく手に入ったね。家族の誰かが買ってきてくれてたの?」

「ん-。それもほぼ正解と言うところでしょうか」

「ほぼ正解?」

「ええ。僕の実家、桜堂ですからね」

「え? マジで?」

「ええ。マジです」

「まさか。そんな。みつおの実家が和菓子屋さんという噂は聞いていたけど、まさかあの桜堂だったなんて! あ、でも、実家があんなに立派なお店だとしたらみつおの普段の態度も納得がいくかも」

「都さん。それどういう意味です?」

「え、いや、あはは。このパン、ほんっと美味しいねえ」

 私は白々しくパンをひとつ口に放り込む。

「うん。おいしい!」

「そりゃどうも」
 苦笑しながらみつおは珈琲に口を付けた。

 それにしても、京都に戻ってきているような雰囲気なのに実家を手伝いもせずにパンに手を出すとはどういった心境からなのだろう。パンの並ぶ和菓子屋を目指しているとか? まあ複合的な方がお店の売り上げは伸びるだろうけど、和菓子が並んでいる場所でパンの香りがプンプンしているっていうのはあんまり想像つかないよね。

 もぐもぐとパンを食べながら考えているうちに、いつの間にか私はすべてのパンを食べつくしてしまっていた。

「あ、ゴメン。全部食べちゃった」

「想定内です。大丈夫です」

 え? 想定内ってどういうこと?
 もしかして全部私が食べることを想定して持ってきてたってこと?

 みつおは私のことをどれだけ食べる女だと思ってるんだろう。

 みつおの中の私の立ち位置をこれほどまでに知りたいと思ったのは初めてだ。

「それにしても美味しかったー。みつおにこんな才能があるなんて」

 私はみたらし団子を頬張りながら、心の底からそう言った。

「ありがとうございます。都さんにそう言ってもらえて自信がつきました。ってまあ、もともと自信があったから都さんに食べてもらったんですけどね」

 褒めたら褒めただけ伸びるシステムかよ。

 でもその自信がうらやましい。

「あー。でもみつおが羨ましいな」

 最後のお団子も食べ終わった私は、みつおに新しく淹れてもらった珈琲を飲みながらそう呟く。

「え? どうしてですか?」

「だって、何をやっても上手くこなしちゃうし。顔もそこそこ行けてるし、背だって高いし。気遣いだってほぼ完ぺきじゃん。それに加えてメンタルも強いとか、もう最強じゃないの?」
「そうかもしれませんね」

「いや、そこはちょっとは否定しとこうか」

「僕は褒められたことは全部、素直に受け取ることにしてるんです」

「やっぱいい根性してるよね」

 思わず口からポロっとこぼれ出た言葉までみつおは聞き逃さない。

「何か言いましたか?」

「いえ。別に」
 私は残りの珈琲を一息に飲み干した。

 それからしばらく、キャンプ場の川を眺めながら小石を投げたり、レジャーシートに座りながら風に当たったりしながら自然を満喫した。やっぱり自然はいい。心も体もスッキリとする。

 そうこうしているうちに辺りに人影が増えてきた。やっぱり最近のキャンプブームもあって平日でも三時くらいから人が増えてくるのだろう。

「そろそろ行きましょうか」
 荷物をまとめながらみつおがそう言った。

「そうだね」
 私も立ち上がるとそれを手伝い始める。

 車に向かって歩いている時、みつおが私の顔を見ながらこう言った。

「帰りは助手席に乗りませんか? 別に後ろに座ってもらっても全然構わないんですけど、喋る時にちょっと話しにくいんで」

 実は後部座席に乗り込んだ私が言うのも何だけど、私も二人で車に乗っているのに運転席と後部座席に座っているって言うのは逆に何か訳ありな二人の雰囲気を醸し出しているような気がしてた。

 ということで帰り道、私は遠慮なく助手席に乗せてもらうことにした。昨日、今日の二日間でみつおに対する遠慮というものがかなり無くなったような気がする。

 とはいえ、会社にいるときから遠慮なんてしたことが無かったような気もするけど。まあ今さらそんな小さいことは気にしないようにしておこう。

「それにしても、都さん。もうすっかり元気そうですね」

 運転しながらみつおがふいにそんなことを言い出した。

「うん。そうなんだよねー。でも、大阪にいるときより東京にいたときの方が仕事も忙しかったし、身体もしんどかったし、人間関係もちょっとややこしかったはずなのに全然平気だったんだよ。それに会社を辞めてしばらく大阪にいたときは体調が全くよくならなかったのに、こっちに帰ってきたらすぐに調子が戻ってさ。昔からの友達には『さすが都っていう名前だけあって、都(みやこ)にしか住めない体質なんだねぇ~』なんて言われちゃってるし。東京と京都以外に住んだら私が体調崩すみたいな認識ってどういうことだと思う? もう何が何だかだよ」

「でも、理由が何であれ、都さんの調子がいいなら良かったです」

 ツッコミポイントをスルーするだなんてみつおらしくない。ここはいつもなら「都さん。そんなオヤジギャグみたいなこと言ってると陰で笑われますよ?」とかなんとかいうはずなのに。

 もしかすると私がパンを全部食べてしまったからお腹が空いていて頭が回らないとか?

「あれ? みつおまさかお腹空いてる?」

 そう言った私をチラリとも見ずに運転を続けたまま、みつおはいつものトーンでこう答えた。

「都さん。僕は都さんと違って、空腹ぐらいじゃモチベーションも作業効率も下がることはありませんよ」

 なんだ。いつも通りじゃないか。気を使って損した。

「もしかして、都さんお腹空いてるんですか? それなら、この先に美味しいハンバーグのお店があるんですけど。寄っていきます?」

 そう言いながら私をチラっと見た後、みつおは時計に目をやり
「まだ開いてませんね。どこかで時間潰しますか? それとも我慢できないなら、カフェで軽食でも食べますか?」
 と提案してきた。

「いや。私、大人だから。晩御飯の時間までくらい我慢できるよ」

 我ながらどこが大人だと思わずにはいられない返答だ。

 それに、我慢できるできないの前に、さっきあれだけパンを食べたのにまだお腹が空いていると思われていることの方が問題なのではないか。

 そう気がついたのは笑いをかみしめているみつおの顔を見た後のことだった。


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