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やることやって、昼寝でも決め込むか(746文字)

今あるすべては因果の報いである。

とか、

いくらか仏教的に捉えるなら、うまくいかないことも、誰かや何かのせいにしないで、自分で引き受けることができるように思う。

先祖代々の宿業だとか、親の因果が子に報い、みたいなこともあるかもしれないけど、諸々の因果を断ち切るのは、もしかしたら簡単で、今この時この瞬間から、善いことを考え、善いことを為せば、そしたら善因は善果を生むはずで、要するに、気が付いた時点から言動を正してゆきさえすれば、少なくともこれからについては善き循環を産み出してゆけそうな気がする。心が明るくなる。

しかし、

因果律にあてはめることのできない「共時的な」出来事というのも、どうやらあるらしく。

つまり、ここで起きた事象Aは、ここよりはるかに隔たった場所で、こことは無関係に、しかし同時に生じたBという事象と相似的である、みたいな。

量子力学でいうエンタングルメントってやつ?

星占いでいうホロスコープ的なこと?

つまりは「時」の模様、配置、角度。

こればっかりはどうしようもない。

善をなしても、その因とは無関係に、ある種の「時」には、ある種の出来事にからめとられちゃうってわけだ。

このあたりはもう受容するしかない。

ただ受け入れて、しかるべき「時」を待つのみ。

「時」が至れば、模様も変わる。やり過ごすしかない。

要は、

人事を尽くして天命を待つ!

っていうことだね。

善行に励み、悪行を為さず、よい因果をめぐらせつつ、ってここまでが「人事」だ。でもって、そこらへんを尽くしたらあとはもう「天命」のくだる時を待つしかないよ、ってことなんじゃないかな?

仏教的に励みつつ、量子力学的に受け入れる。

誰かのせいにしたり、何かのせいにしたり、だなんてしてる場合じゃないなー。

やることやって、昼寝でも決め込むか。

せらび。

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