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明るすぎない夜のはなし

 リビングのシーリングライトが壊れたんである。

 スイッチを入れると点灯するのだけど、すぐにまたフッと消えてしまうのである。

 ランプが寿命なんじゃなくて、安定器とかそういう内部のメカが故障しているっぽい。

 ――そうなのだ。我が家はいまだに蛍光灯仕様のライトを使っていたのである。

 で、シーリングライトごと替えることになったわけだが、当然のことながら今回はLED仕様をチョイスすることにした。

 LEDもずいぶんと安くなったものだ。蛍光灯ランプの大小を買い替える金額にもういくらか足せば、まあ悪くなさそうなものが買えてしまう。

 節電時代であることだし、LEDに替えることは実にタイムリーであるな(いやまあ遅すぎますかな?)。

 と思ったのだが、僕はバカなので、かつナマケモノなので、設置するのが面倒で、送られてきた箱を玄関に置いたままシーリングライトのない夜を過ごしているのであった。

 ライトが壊れた日、暗くなる前に……と、いつもより早く17時半くらいに僕らは夕食を終えた。

 外がまだ明るいうちに食べる夕飯は、なんか、悪くなかった。

 そのあと暗くなってから、間接照明を点けた。テーブルの上にはキャンドルも置いた。

 部屋がオレンジ色になって、まるでキャンプの夜みたいだった。

 静かな音楽を掛けて、妻はフルーツを食べて、僕は酒をのんだ。

 気持ちよくなって、ウクレレを弾いた。

 それから古い映画を観た。

「夜が長いねえ」

 と僕らは言い合った。

 いつもより早く寝た。

 で、朝、いつもより早く起きた。

 一日が長くなった。

 夕方になって僕らはまた、台風に備える人みたいに、夜に備えた。

 早めの夕飯、間接照明、音楽、ウクレレ、映画。

 キャンドルの灯りが天井で、バラ星雲みたいな模様で踊った。それをちらちらと眺めながら僕は、三日月みたいな妻の横顔もちらちらと眺めた。

 翌日くらいには新しいシーリングライトが届いたのだけど、さっきも書いたように僕はバカでナマケモノなので、それに、明るすぎない夜が実はすっかり気に入ってしまったので、相変わらずの夜を過ごしていたりする――。

 昨日の夕方、洗面台の白熱電球が、バン! と激しい音をたてて切れた。妻が見に来ちゃうほどの激しい音だった。

 なんで?

 と驚いた。

 乾燥機がフル稼働していた。

 寝具一式を乾燥させていたのだが、ちょっと詰めすぎだったのだろうか、かなりの高温で、洗面所を、長時間にわたり加熱してしまっていた。そのためかもしれない。

 40ワットずつの電球が、ツインで灯る洗面台なのだけど、その片方が切れてしまったわけである。

「お告げだね」

 と妻は言った。

「二個ともLEDに替えちゃいな、ってことだよ、これはたぶん」

 ……そうかもしれない。

 と僕は思った。

 40ワット相当の明るさのLEDだと、消費電力は5ワット程度らしい。ずいぶんと節電できる。

 この際だから(今さらだけど)家中の照明をLEDに替えたろかしらねー。

 エネルギー危機の叫ばれる昨今、電気を無駄遣いしちゃうのは犯罪的な悪行であろう。

 電気が足りないと原発とか動き出しちゃって……(新たに建造とかもされちゃって?)、地震も増えてる気がする昨今、311の悪夢が再び日本を……、だなんてことになっちゃったら実にアホなことである。

 それにね、と玄関に置きっぱなしのシーリングライトのことを思いながら考えた。夜は暗くて当たり前なんである!

 明るすぎる夜に、いかに情緒のないことか。

 暗けりゃ暗いで、暗いなりの過ごし方があるわけだ。なんにも不便じゃなかった。不快じゃなかった。むしろ、なんか楽しかった。

 いっそLEDもやめてさあ、廊下のダウンライトなんかもぜんぶなしにして、キャンドルの灯りで家中を照らしてみよっか?

 だなんてバカなことを言ってみた。

 すると妻は、

「ギャートルズかよ!」

 と、若い人にはてんで通じなさそうな喩えで返してきた。

 ……なるほど、と僕は思った。明るすぎない夜は本能をくすぐり、僕らを「はじめ人間」化させるのかもしれないなあ。

 たくさん儲けて、たくさん遣って、経済をぶんぶん回して僕らは、いったいどこを目指してきたんであろうか?

 明るすぎない夜の奥行きに、不思議なやすらぎを覚えて、発展とは真逆のベクトルに、あるべき未来の――だなんて言ったら「前向きな野心家さん」に怒られちゃいそうだけど――、希望にも似たなぐさめを僕は、なんだかな、感じてしまうのであった。

photo:Pavlo


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