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会長が、僕らに差し出してくれたもの(2722文字)

小学生の頃、地元のサッカー少年団に入っていた。

暑い日も寒い日も練習があった。

チームは強くて、全国大会でも幾度か優勝したことがあった。僕は二軍で、ベンチに入れたことすらなかったけれど。

今日書こうとしているのは、でも、そのサッカー少年団のことではなくて、サッカーの練習が終わったあと、グラウンド横に建つプレハブ小屋で行われていたある会合についてのことである。

グラウンドを去るサッカー小僧たちの背中を見送ったあと、僕と何人かの仲間たちは、泥だらけのシャツとパンツで、どかどかとプレハブ小屋に上がり込み、長い机のあちこちに座り、会長がやってくるのを待つのであった。

やがて会長がやってくる。

なぜ会長と呼んでいたのだろう?

会長は、近所の酒屋の店主なのであった。

髪が薄く、鼻の頭が赤く、いつもニコニコしていて、グラウンドで僕らをどやしつけていた鬼コーチとは真反対の風貌だった。

会長は、いつも手に、お菓子の入ったビニール袋をぶら下げていた。

僕らは山猿みたいに、与えられたお菓子に飛び付きながら会長の話を聞いた。

「今日はですねえ、太田道灌(おおたどうかん)をやろうかと思うのですよ」

なんていうふうに会長は語るのであった。

「手帳の、17ページを開いてください」

とかなんとか続ける。

ポケットの中から引っ張り出した、深緑色の、小さな手帳を僕らは開く。

開いたページには、こんな漢詩が綴られている。

太田道灌 作者不詳

孤鞍衝雨叩茅茨
少女爲遺花一枝
少女不言花不語
英雄心緒亂如絲

レ点に則り読み上げるならば、こんな感じになる。

孤鞍(こあん)雨を衝(つ)いて
茅茨(ぼうし)を叩く
少女為に遺(おく)る
花一枝(はないっし)
少女言わず
花は語らず
英雄の心緒(しんちょ)
乱れて
糸の如し

会長は詩を読み上げ、そして目を瞑る。

小屋の中はしんと静まり返る。

「作者不詳って?」

と誰かが言う。

「誰が書いたかわからない、ということですよ」

と、目を開けて会長が応える。

「へえ、こんないいうたなのに」

と、ガキのくせに、いくらかおもねった口調で誰かがまた言う。

「おや、いいうたですか、そうですか、そう思いますか」

と会長は、お釈迦様のように笑った。

その笑顔を見ていると、僕までなんだか嬉しくなった。

そして、稽古が始まるのであった。

詩吟の稽古。

文武両道、と会長は言い、サッカーを習っている子供たちに、無料で(というか、お菓子付きで)、詩吟の稽古をつけてくれているのであった。

当初、学校を通じて募集の知らせがあった。

放課後の坂を下りながら、

「詩吟ってなんだ?」

と悪友が言い、

「うたを、うなるんだってさ」

と僕は応えた。

「うたを、どうやってうなるんだ?」

と、また友達。

僕にもよくわからなかったので、

「わぅあぁれぇはぁぁ、うぅみぃぃのこぉぅぅ~、みたいな感じ?」

とか、ふざけてごまかした――

――つもりだったんだけど、いざ始めてみたら、いやほんと、冗談じゃなくそんな感じで、おかしいやら、バカバカしいやら。

でも、お菓子がもらえるから、という理由で僕らは、すなわち買収に抗えなかった数名のサッカー小僧は、夕方のプレハブで、うぅうーうう! などとうなり、こぶしをまわし、目を細めていたのである。

僕は免状ももらった。

大会に出たのである。

江ノ島かどこかにあった、吟友会館みたいなところに連れて行かれて、四、五人の審査員の前で、『川中島』だったかをうなった。

僕がうなり終わると、

「風邪をひいているのかね?」

と一人の審査員が尋ねて、眼鏡を光らせた。

風邪?

と当惑していると、

「いや、そういう声なんでしょう」

と別の審査員が言った。

落ちたな、

と僕は思った。

生まれつきハスキーな声をしてたから、小学二年生らしく思われなかったのかもしれない。

がっかりしながらの帰り道、会長がカツ丼をご馳走してくれた。

なんだか寂しくて、半分くらいも残してしまった。

会長の笑顔も、とても寂しそうに見えた。

ところが、どういうわけか合格していた。

後日、免状が授与されたのである。

二級とか、そんな評価だったように思う。

あの免状、どこにやってしまったのかな?

小学五年生の春に引っ越して、新しい学校でもサッカーはやったけど、会長がいないんだから、誰も詩吟を教えてくれなかったし、なので詩吟のことなんてすっかり忘れてしまった。

先日、ダンボールの隅から緑色の手帳が出てきた。

表紙に金箔で、吟友手帳、とある。

開いてみた。

懐かしかった。

小学二年生が、山猿みたいに菓子を食らい、野良犬みたいに歌詞をうなっていたんだ、これ手に持って。

太田道灌のページを開いた。

漢詩のそばに、鉛筆書きで、読み方が書き込まれていた。

おおたどうかん

こあんあめをついて
ぼうしをたたく
しょうじょためにおくる
はないっし
しょうじょいわず
はなはかたらず
えいゆうのしんしょ
みだれて
いとのごとし

漢詩の対向ページに、小さな文字で、詩の解説が印刷されていた。

解説

太田道灌が、にわか雨にあった。おりよく茅ぶきの家があった。雨よけに蓑(みの)を借りたいと思った。
出てきた少女に簑を頼んだ。しかし少女は無言のまま、山吹の枝を一本、恥ずかしそうに差し出すのみだった。
少女は何も語らない。差し出された花も何も語らない。
英雄である道灌ながら、その意味がわからず困惑してしまった。
――のちに古歌の由来を聞き、その意味を知る。

七重八重
花はさけれど
やまぶきの
みのひとつだに
なきぞ悲しき

雨をしのぐ「蓑(みの)」さえ持ち合わせない貧しさを、「実の(みの)」ならない山吹に託して、娘は、道灌に、奥ゆかしく伝えていたのであった。
合戦に明け暮れ、風雅の心を忘れていた道灌は、おおいに恥じ入ることとなった。

思い出した。

昔、誰かがこの詩歌を、

「いいうた」

と言い、

会長が、

「そうですか、そう思いますか」

と応えて嬉しそうに笑ったあと、

こんなふうに言葉は続いたのであった。

「みなさんは、猛々しくボールを追い掛ける英雄ですね。太田道灌みたいですね。でもね、それだけじゃバランスが片寄ってしまうのですよ。いいですか。花鳥風月を愛でる心を失ってはいけません。草むらのバッタや、秋の夕日の赤さを大切に思ってくださいね」

あのとき、僕には見えたのだった。

うつむきながら、手にした枝を、武将に向かっておずおずと差し出す少女の姿――。

貧しくとも、風雅を解する豊かな少女。

会長が僕らに差し出してくれていたのはお菓子じゃなくて、この豊かさなんだろうな、と今ではわかる。

緑色の手帳を掲げて、太田道灌をうなってみた。

悪くない。

まだ、うなれる。

『太田道灌』はやや長いから、短くやれて、誰もが知っていそうな一節を、詩吟ふうにうなって録ったんで聞いとくれ。

半世紀ぶりの野良犬節である。うぅうーうう!


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