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掌編小説『阿梶局 対 徳川家康《おかじのつぼね たい とくがわいえやす》温故知新の巻』

【文字数:約四千 初稿:二〇一九/八/三〇】

  ***

 老境いちじるしい徳川家康公に、まるで孫のように齢若く賢明な側室が居る事をご存じだろうか。その名は阿梶局。彼女は武家の娘であり、女性でありながら男装して関ヶ原の戦いに参陣したほどの女傑だと云われている。それほどまでに勇ましい性格であったにも関わらず、知性にも優れており、風説によれば倹約家とも云われている。それ故、特に徳川家康お気に入りの女性である。
 そもそも、家康自身が有名な倹約家である。例えば、一度履いた足袋《たび》でもすぐには捨てず、古い足袋を入れるために専用の箱を用意し、それが満杯になるまで溜め込む。さらに、捨てる段に及んでも、二、三足は残しておく。ちなみに、捨てた古足袋は下々の女中たちが個人的に持ち帰って使っているそうな。

 ともあれ、家康の倹約は、当然、足袋のみならず、衣服全体に及んでおり、曰《いわ》く、
「儂《わし》の着た服は全て洗って大切に仕舞っておくのだ」
 と、さも天下の大事の如く厳命するのであるが、そのために侍女たちは服を洗うための余分な労働をせねばならず、服を洗っているうちに手や指から血が出る事すらあり、とても辛そうに見えた。しかも、家康は確かに倹約家ではあったのだが、例えば、単衣《かたびら》などに汗が付いたと云うだけで洗わせたにも関わらず、それを再び着ようとはしないのだから理不尽にも思える。そのような事もあってか、倹約な阿梶局と雖《いえど》も侍女たちを哀れに思い、
「一度着た服は洗わずに新しい物を用意するだけで良いのでは」
 と、家康に述べた所、家康は激怒し、
「馬鹿な事を申すな。仕方が無い。お前のような愚かな女には分からぬ事だろうが、儂自ら説法してやるから、皆を呼んで来い」
 と、侍女を全員呼び出した挙句《あげく》に、
「幕府の資産は例え下着一枚であっても天下万民のものであるから、それを自分のぜいたくのために使ったり捨てたりしてはいかんのだ」
 と、気持ち良さそうに説教した。
 その発云自体は尤《もっと》もな事なので、阿梶局は、表面上だけは畏《かしこ》まって話を聞いていたが、本心では、家康による愚かな女発云によって怒り爆発状態なので、
「ぜいたくは嫌だけど、愚かな女どもに自分の汚いふんどしを毎日洗わせて苦しめるのは良いって訳? へぇ……。ぜいたくが嫌いって云うわりには、鮎鮨《あゆずし》を遠くから運ばせて舌鼓《したつづみ》を打っているけど、そっちのぜいたくは良いって訳ねぇ。へぇ……」
 と、女帝ばりの闘争心を漲《みなぎ》らせている。そこへ家康が、
「あの、な、お梶や。本音が口から漏れておるぞ」
 と、妙に下手に出て窘《たしな》めてくるが、彼女はそれを一睨《ひとにら》みで黙らせる。だが、すぐに愛想笑いに変わり、
「さすが大御所様のご賢察ですわ。私ども愚かな女たちでは到底分からぬご深慮で御座いました」
 と、話を綺麗に終わらせてしまった。
 しかし、当然、阿梶局の怒りが消えた訳では無い。
 家康もその事に気付いているようで、額に少々脂汗をかいていた。

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掌編小説『阿梶局 対 徳川家康《おかじのつぼね たい とくがわいえやす》温故知新の巻』

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荒木免成

主に東洋の歴史や哲学を主題とした随筆や小説などを投稿する。

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