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掌編小説『毛利吉政最後之旅』

【文字数:約八九〇〇 初稿:二〇一九/九/一〇】

  ***

 かつて、太閤豊臣秀吉《たいこうとよとみひでよし》は九州を平定し、その領土を臣下に治めさせる事にしたのだが、その際、豊前《ぶぜん》の城併《あわ》せて十万石《じゅうまんごく》余りを宿将たる森吉成《もりよしなり》に与えた。その際、太閤は吉成に対してこう云ったそうだ。

「森、よりも、毛利の方が良かろう」

 つまり、姓《かばね》を変えろと云う事だ。西国を治めるには森を名乗るよりも西国にて権威の有る毛利を名乗った方が通りが良いと云う太閤らしい機敏な知恵だ。とは云え、果たして、そのような革面[*1]で衆人が収まるものだろうかと疑わなくも無い。だが、案外、世の人々とはそのようなあっさりした知恵によって態度を変えるものだろう。例えば、いくら太閤殿下が偉かろうとも、わしは何の肩書きも無い、単なる木下藤吉郎様じゃ、と、名乗っていたら、どうにも決まりが悪いし、気位の高い者からすれば頭を下げ辛いだろう。だから、かつての藤吉郎は必死になって立派な肩書きと名前を求め続け、ついには太閤豊臣秀吉殿下にお成りあそばされた。おかげで、太閤に目を掛けられ、さらに、大量の金品財宝を下賜《かし》された者たちは、尊い方からのご恩寵《おんちょう》と云う事で、素直に臣従できた訳だ。

 さて、そのような太閤殿下の気配りによって、森吉成は毛利姓と成り、それは嫡男《ちゃくなん》の吉政に受け継がれた。吉政は関ヶ原の戦いでも父に従って豊臣方として戦った。しかし、合戦は敗北。父子は身柄を土佐の山内一豊《やまのうちかずとよ》公に引き取られた。やがて父の吉成は亡くなった。それでも子の吉政は引き続き山内家に保護されていたが、俸禄は基本的には捨扶持《すてぶち》[*2]のみであり、関ヶ原から十五年の間、武士としての吉政は何の生き甲斐も無く歳を重ねるのみだった。

 そこへ飛び込んできたのが大坂城にて豊臣方が徳川方に対して反攻の挙に出ようと云う話である。そして、かつて関ヶ原にて武を振るった毛利吉政殿にも此度《こたび》の大戦《おおいくさ》にご参陣願えれば蓋 《けだ》し幸い、と云う話が内密に届けられた。吉政は迷った。吉政にはすでに妻も子も居り、しかも、住んでいる国は当然に徳川方であるから、吉政が再び豊臣方に奔《はし》って大坂城へ入れば、妻子は恩知らずの裏切り者の家族として殺されてしまうかもしれない。しかし、妻は、いざと云う時には死ぬ覚悟は出来ていると述べ、むしろ、吉政の出奔《しゅっぽん》を後押ししたのだった。

  ***

「それなのに、何でそんなにのんびりしておられるのですか」

 そう叱り付けてきたのは、吉政よりもニ十歳ほど若い娘だ。なお、吉政は関ヶ原の際には二十歳を少し超えた程度であったから、今でも三十五過ぎの壮年でしか無い。つまり、彼を叱った少女はようやく成人したばかりの子供みたいな相手である。彼女の覇気あふれる両目は切れ長で鋭く、面を付けずとも能の役者をやれそうな程に見栄えが良い。また、男装をしており、青の羽織袴《はおりはかま》に加えて腰の大小[*3]まで揃えている。また、長く滑らかな髪も後ろで髷《まげ》のように結んで大いに垂らしているから、遠巻きから見やれば完全に若武者である。彼女は背がやや高く、体付きは逞《たくま》しい上にしなやかであるから、あるいは本当に戦働きが出来てしまうかもしれない。

 その立派すぎる出で立ちは、土佐から密かに脱出して潜行している吉政一行からすれば困ったものだが、彼女の姿があまりにも田舎の武家娘であるからして、土佐から大坂見物に来たと云えば誰も疑う様子を見せないし、吉政父子も彼女のお目付け役のふりをしていれば良かった。それは事実とあまり変わらない役作りであるから普通に話をしているだけで違和感が消えただろう。そのおかげか無事に大坂の地を踏む事が出来た。

 ともあれ、我が子であっても不思議では無いような若年の娘に叱られた吉政の方はと云えば、茶屋の軒下に有る赤い布が敷かれた長椅子にてゆったりと豆腐の田楽を頂いている。吉政は薄い翡翠色《ひすいいろ》[*4]の小さな丸い湯飲みを用いて茶を一服した後に、同行者たる女子へ向かって、

「そりゃ、疲れたからに決まっておろう」

 と、述べて、鈍行の理由をはぐらかした。しかし、娘曰《いわ》く、

「そのような茶番を致したい訳ではございません。殿様はいつになったら大坂城へ勇ましくご入場なさり、天下へ号令する大大名として働かれるのですか」

 そのような事を云われても、吉政としては苦笑いをするしか無い。吉政は出奔こそ迅速であったが、海を渡って大坂の近くまでやってくると、むしろ、大坂の街へ入りたく無いとでも云うように怠慢になった。なお、大坂まで吉政に付いてきたのは嫡男の勝家と、自称槍持ち[*5]であるお凛《りん》の三人だけである。

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荒木免成

主に東洋の歴史や哲学を主題とした随筆や小説などを投稿する。

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