第2話 社会人1年目〜2年目。水平線の向こうには

「な・ん・か・い、言わせんねんッ!!」


(は、はい!すみません!!!)


「すみませんで済んだら、警察いらんやろーが!!
どうすんねん?」


(・・・今すぐノートに取ります!!)


「そうやろうが!一度教えたり聞いたことを、そのまま覚えられずもう一回聞くってことはな、相手の時間も取らせるってことなんやで?

少しは、頭使って考えろやッ、

アホボケカスッ!!」



---------2009年11月



深夜0時近く、新山口駅から徒歩2分ほどの距離にある

鳥居薬品山口オフィス。


神谷さんの怒号が鳴り響いていた。


一つ下の階にある、いつもは付いている「小野薬品工業・山口営業所」の明かりも、さすがにこの時間には消えていた。



自社製品である「レミッチ」(透析患者さんのかゆみ治療薬)のプレゼン予行練習を施してもらっていたのだが、教えられた通りにできず、苦戦していた。

僕の教育担当である、2年目の福岡さん、そして同じく2年目・チーム内唯一の女性MRである稲冨さんも、僕のこの練習のために
この時間まで、残ってくれていた。


「レミッチ」は当時、鳥居薬品がPRに最も力を入れている製品の一つで、
販売単価も高額であり、今後の鳥居薬品を担う、MRは全員その知識を叩き込む必要のある製品だった。


その時の僕は、MR認定試験には合格したものの、「レミッチ」を始め、肝心の製品知識が圧倒的に不足していた。

(これ以外にも担当製品は主なもので

皮膚科領域で『アンテベート(ステロイド外用剤)』『ロコイド(ステロイド外用剤)』『ゼフナート(水虫治療薬)』『ドボネックス(乾癬外用剤)』

透析領域で『フサン(抗凝固薬)』『ケイキサレート(高カリウム血症治療薬)』、その他に『ユリノーム(高尿酸血症治療薬)』『セロトーン(抗がん剤と一緒に飲む吐き気止め)』というものがあった。)


予行練習で僕がプレゼンした「レミッチ」は、
データの活用方法も未熟で全く説得力がなく、少し質問されれば、答えられずに口ごもってしまうような状態だった。


そんな状態が続き、オフィス内では毎日のように何かしら指摘され、神谷さんから怒声を生み出す日々が繰り返された。
(しばらくすると、隣のオフィスからうるさい、とクレームが入った笑)


「22年間の総怒られ数」より「1年目怒られ数」の方が勝っていた。


そして、その怒られ方のレベルも記録更新していた。


当時の神谷さんは、韓国人プロゴルファーの「シン・ジエ」に似ていると、
皆からは言われていたが、
自分としては、ボクシングで世界制覇を遂げた
亀田三兄弟の父親、「亀田史郎」だった。


棒の先端にグローブを取り付けて放たれたジャブを避け続けるというトレーニングをされることはなかったが、、、

不意に、「ユリノームの用法用量は?」「アンテベートの有効成分名は?」と聞かれて即答する、という
「製品知識のジャブ」が繰り返された。


そのジャブを避けられなければ、「ゴルァッッ!!!」という展開になった。




当時社会人9年目の神谷さん(31歳)と同じ年齢に、今なった。

つまり、僕の記憶にある神谷さんと、同い年になったわけだ。

当時の神谷さんほどの熱量で、今、後輩の成長のために怒り続けることができるか、と言われると、はっきり言ってできない。


怒り続ける、って相当エネルギーがいるし、また、成長を期待してなければ、わざわざそんなことせずに
穏やかに過ごすはずで、よくあれだけ頻繁に指導していただけたな、と、今そういう視点で振り返っても、感謝しかない。


ある日、広島支店の他のチームの先輩に言われた言葉がある。


<・・・後輩を見捨てる人もいれば、見捨てない人もいる。
神谷さんは、ものすごく厳しいかもしれないけど、「見捨てない人」なんだ。
だから、あれだけ指導するんだよ。信じてついて行けよ>


その人が誰だったのかも覚えていなく、何気なく言ったんだろうけど、
なぜか、ずっと心に残っていた。当時は、その真意がピンときていなかった。


社会経験を重ねていく中で、

(ああ、「見捨てない」ってこう言う事だったのか・・・・)

と、ようやく、その意味がだんだんとわかるようになっていった。



僕はもともと、このMRという仕事が「厳しい世界だ」、と聞いていて、それがどんなものか確かめたくて、
また、厳しければ厳しいほど、楽な仕事をやるよりもその分人間的な
成長スピードも早いだろう、と仮説を立てて、それを望んで入社したのだった。


最適な配属先という形で、望みは見事に叶っていたのだった。



担当地域である山口県北部、
「萩」から「長門」へ、更に「下関」までは、すべて海沿いの道を行く。

とにかく、海、海、海。

天気が良い日には、蒼天に満ち、太陽の光を跳ね返す煌びやかな海はとても綺麗だった。


吉田松陰や、幕末の維新志士たちが見た景色と同じ風景を見ているんだと思い、高揚感に浸った。


特にその中でも、萩市から長門市へ行く途中にある、

『萩さんさん三見』という名前の道の駅が秀逸であった。

日本海を一望できる、おそらく日本の中でもトップクラスに風光明媚な道の駅である。

営業の合間の休憩として、よくこの駅に立ち寄って、眺めては癒されていた。

(月が満ちる・・・それは出陣の時。)

なんて、かつての維新志士が考えたかもしれない、ここで起こったであろう一場面を想像していた。





海が魅せる水平線の先には必ず光があった。
光のもっとその先が見たくて、僕は毎日、車を走らせているんだろう。


世の中に、認められたくて、今の自分から、一歩進んで、成長して。


その「いつか」が来ると信じて。


純粋に、想いを馳せていた。



営業途中の車のスピーカーから、

中島みゆきの「時代」という歌が不意に流れてきた。


そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ


なぜかその瞬間に、歌声は涙を誘発させた。



・・・あれは、なんだったのだろうか。

おそらく、悔しさ、だ、と今わかる。



生まれてこの方、挫折らしい挫折を経験してこなかった。


大学の第一志望に落ちた時も、部活の引退試合も、感情が溢れたことなんてなかった。
学生時代、特別な才能はなかったが、
それなりに部活をこなし、それなりに勉強もこなした。


しかし社会に出てからというもの、恐ろしく、無力であった。
営業成績という客観的指標をもってして、それは証明された。


完全に確信しきった。


今までのやり方は、「通用しない」


(ちゃんと予習して、授業を聞いてさえいれば、点数を取れて、そこそこ優秀、とされてきたのに、、、おかしいな。。。)


苦労知らずの学生がいいそうな、戯言そのものであった。


変わる必要があった。


考え方・行動・発言をチューニングし直す。

中途半端に、劣等生でも優等生でもなく生きてきたツケが、今頃になってまとめてやってきた。



(今までの小さなプライドに固執している自分は捨てよう。かっこ悪くてもいいからやれることを全部やろう。
言われたことも素直に受け止め、改善を繰り返そう。他の人が嫌がることも率先してやろう。)



決意した瞬間だった。


そこには、経験しないとわからない、どれだけ机の上で勉強したってわからない、本物の「学び」があった。




ーーーーーーー2009年12月



社内だけではない。



僕は、実際の現場である様々な「ドクター」からもたくさん「勉強」させていただいた。


担当地域の前任者は、かつてはチームリーダーも勤め上げた後、営業員に戻り定年を迎え、MR人生を終えようとしていた、60歳に達した大先輩・建村さんだった。

その建村さんが、「担当者の引き継ぎ」として萩市内のドクターとの会食をセッティングしてくださった。


市内にある、「市原内科皮膚科」の院長先生、「波多野医院」の院長先生らをお呼びした。


僕のMR人生初の、仕事としての会食だった。


出席された先生方は、忙しい診療の合間の毎回の訪問を快く迎えてくれ、時には製品説明もせずに楽しくお話して帰る、なんて日もあるほど、
当時の至らない自分を、可愛がってくださる優しい先生方であった。



この時、僕は何の準備もせず、ただただセッティングされたから、という理由で会食に臨んだ。

建村さんにも、

「荒井、今回はお前にとっての初めての会食だから、余計なことはしなくていい。まずは見て盗め。」

と言われていた。


学生時代の緩さが抜けないまま、作法の心得も経験することなく育った自分は、会食というものがどういうものかも知らず、
建村さんが先生方との話を聞いて盛り上げたり、料理の注文をとったり飲み物をついだりしているのを、

「本当に余計な動きをせず」 「会話にもろくに加わらず」

< ただただ、何もせず横で見ていた > 。


神谷さんから言わせれば、「少しは頭使って、考えろやッッ!」である。


会食が終わり、会計を済ませた建村さんと先生たちが料亭から出てきた。


直後に市原院長先生が言ってくださった言葉が、これからを急激に変える最高の処方箋として、奏功するのであった。



「・・・君ね、少しは気を使うってことを覚えたらどうなの?」



ごもっともである。


建村さんが慌てて

「いや、今回は私が余計な動きはするな、って指示したんですよ・・・」

と、フォローしてくれるものの、
先生方からすれば、そんなの知るか、である。


これから担当地域を引き継ぐのがこんなんじゃ、先が思いやられるな、、、と思われていたに違いなかった。



(・・・「気を使う」って、一体何を指しているんだろうか)



製品知識だけではなく、今度は「会食」(接待)という名の、
終わりなき「勉強」科目が一つ増えたのであった。



第3話に続く・・・・



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作者 : 荒井浩介 株式会社ARIA代表取締役
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