第4話 妄想がすでに実現されていてたまらずに動き出した

2011年5月のGW。久しぶりに僕は山口県から離れて、馴染みのある横浜・関内駅から近くのカフェ・ベローチェにいた。


現在勉強カフェ大阪本町でマネジャーであり、
もともとは大学時代、カナダへの短期留学で知り合った戸波と、
一階のテーブル席でコーヒーをすすりながら、最近考えていることなど、
成長記録など、報告し合っていたのだった。


「最近、自宅から出てカフェで勉強するのが好きでさあ。
周り見渡すと似たような人がいるわけだよ。

同じように、カフェ勉してる。この人たちも、自分もそうだけど、
ずっとカフェにいるわけではなくて、
店員さんの目が気になったりして、カフェを転々とする。

だから、勉強ができる専用のカフェをつくったら、そのニーズに答えることができるし面白いんじゃないかと思ってるんだよ。

あと、起業してみたい、って思いがどんどん強くなってきていて。本気でやってみようかな。」

すると戸波が答えた。


「良さそうなアイデアじゃん。プラスアルファで、そこに来ている人たちが刺激し合えるような、つながれるような仕組みとかもあったら面白いね。読んだ本をシェアしあったり」


アイデアに、僕も賛同した。


「確かに。ただ勉強がはかどるだけじゃなくて、そこに人間的な触れ合いとかもあれば面白いな。普段出会えないような人と出会えたり、
自分よりももっとスキルを持った人から話を聞いて学びを深めることができたり、逆に今度は自分が教える側に回ったり。相互のコミュニケーションができる、学びあえる場所があれば楽しいだろうな。そんな場所があったら、行ってみたい。

あー、ワクワクしてきた。名前はシンプルに、『勉強カフェ』でいいだろう。」


妄想は膨らんでいった。


妄想とは、常に僕にとって行動の原動力である。


僕は、何かを思いついたら、基本的に完成できてなくても
とりあえずでやってしまうタチで、


やってしまわないと、気が済まないのだ。


今回の、勉強専用のカフェは、シンプルに自分がこういうところがあったらいいな、という段階で、
この時点ではまだふわふわしたものだった。


『勉強カフェがある世界』の妄想、は、そのあとも続いた。



2011年6月


夏を本格的に迎える前の、生ぬるい湿った風が吹いているむし暑い夜だった。


医薬品卸の「常盤薬品」さんで早朝、定期的に毎月時間をいただいていた
製品説明会のため、萩市内にある温泉宿

『宵待ちの宿 萩一輪』で前泊していた。
(当時の常盤薬品・萩営業所の縄田所長、中村さん、小野さんにはとても良くしていただき、大変感謝である。)


夕陽百選にも選ばれ、庭園からは菊が浜(日本海)が見渡せる
プライベートビーチのような感覚の
贅沢なロケーションのホテルで、観光用にもとても人気があり、
翌日に早朝から何かがある場合の前泊日には、この温泉宿を楽しみでよく利用していた。


その日の訪問が終わり、温泉に入って一息つき、
客室内の窓から見える日本海を眺めていた。


『勉強カフェ』を作るにはどうすればいいか。


漠然と考えていた。


作る、と言っても当たり前だがカフェをオープンする、とういことは
初めての妄想であり、どうやって動けばいいのかわからない。


資金調達をどうするのか、採用は、集客は、値決めやオペレーション、内装デザインや立地調査は、、、、
など挙げればキリがないほど、実現するための決定すべき項目は膨大だったが、

そこまでに考えが及ぶことはなかった。

というより、及ぶほどの知識がなかった。


とにかく、自分の脳みその中で出来上がった、創造物・自分なりの『勉強カフェ』だけが心にあり、
それが当時の自分を突き動かしていた。


急にピン、と思いついた。



(そういえば、勉強カフェって検索してなかったな。似たようなところはあるのだろうか、、、)


すぐに検索してみると、


当時使っていた、Docomoのスマートフォン「MEDIAS」に『勉強カフェ』のサイトが映し出された。


(・・・本当かよ。

勉強カフェ、もうあったよ。

名前、、、同じじゃないか。

運営元、株式会社ブックマークス。

渋谷の北参道に本社登記され、創業は2008年、設立2年半の俗に言うベンチャー企業。

山村さんという人が代表で、今は北参道、秋葉原、田町と3店舗があるようだ。

店内は内装デザインが施され、ただの椅子と机があるような殺風景なものではなく

勉強会を開いたり、交流会があったり、学ぶ人同士でのシナジーを生もうとしていて、
暖かみを感じられそうな雰囲気がある。

自分の妄想が、こんなに素晴らしい形で実現されている・・・

学びたい人たちが集まって、何かを変えよう!としている感じが伝わってきて、とても良い。
そして、完成されていない、今後も変わり続ける場所だろう。

そんな空間に、毎日身を置いてみたい、、、、)


戸波に、すぐに電話した。


「あの時に話していた勉強カフェ、検索してみたらもう世の中にあったよ!

そして、思い描いていたものが実現されていて、、、

これしかないわ。もう確信。ビビッときた。

もうMRはやめて、新しい場所を作りに行くよ。

まあ、また地元帰った時にでも話聞いてくれ。。。」


運命が導く航路は、今まで向かっていた目指すべき指針から
舵を大きく切り、
何か特別な力に引きつけられるかのように、一瞬で進路が変更され、確定された。


いてもたってもいられなくなり、
すぐに採用情報から、想いをのせて、申し込んだ。


有給をとって、山口県から新幹線で飛んで行った。


2日間に分けて、ブックマークスの社員全員(北参道スタジオのマネジャー中島さん、秋葉原スタジオのマネジャー隈田さん、田町スタジオのマネジャー櫻井さん)にお会いし、


最後、創業者の山村さんにお会いした。


「御社サービスは、世の中に求められ、多くの人に必要とされ、
インフラになるポテンシャルを持っていると確信しています。

これからは、学び、つながりが楽しい時代になります。

だから、僕は勉強カフェに関わり、自分の力で進化させていきたいです。

・・・そしていつか、自分でも勉強カフェをつくってみたい、と、思っています。」



その日のうちに内定をもらって、山村さんと握手を交わした。


晴れて、
2011年10月1日から、<学び場としての最高峰を作る>という壮大なテーマを目指すための新生活が始まることに決まった。


面接会場であった勉強カフェ田町スタジオのミーティングルームから
櫻井さんと山村さんがエレベーターまで見送ってくれ、


扉が閉じたその後、全力のガッツポーズをした。



2011年8月

鳥居薬品・山口オフィスには、

僕の他に、酒井リーダー、当時の広島支店の支店長である斎藤支店長が話し合いをしていた。


「考え直すつもりはないのか?何か不満があるなら聞くぞ。
勉強するカフェって言ったって、どうなるかわからんぞ。
もう一回、よく考えてみろ。」


僕は退職を伝え、
その交渉にあたっていたのだった。


「このまま、< 死ねない >んです。すみません。」


鳥居薬品を退職する理由は、本当にこれだけしかなかった。

いろいろ、建前くさい理由はつける事ができるのだが、
これ以外になかった。


山口チームは僕以外にも、
同時に、数字を生み出してくるエースだった2つ上の先輩である
山下さんも武田薬品にスカウトされ、退職が決定してしまっていた。


山口県東部全域、岩国、柳井、光の担当者と、
山口県北部全域、萩、長門、美祢の担当者が同時に二人抜けるのである。


後任を探すために、
人事がかなりバタついていたであろう裏事情、支店長、酒井リーダーの心労は、
当時はそういうことを想像できていなかったが、今では冷静になって、想像できる。


斎藤支店長も、今回の退職の意向を
どれだけ理解してくれたかはわからないし、
<若気の至り>と思っていたに違いない。


「考え直せ」

とかなり粘り強く説得していただいたのだが、


とにかく、<このまま死ぬ事はできない>の一点張りに、

最終的には承諾してくださった。


何か物事を決定するに際して、揺るがない
判断軸、というものがある。


< さあ今から死ぬ、という時、それが病床の上かはわからないが、その時にどう思うか >


照らし合わせると、今の所、自分の場合は、間違いがない。

今回の勉強カフェも、やらなければ後悔すると、どうやら心が判断したらしい。


周りにいる人でも懐疑的な反応をする人が多かった。

でも、自分の人生は、自分しか責任は取れない。

やめろ、って言われてやめたって、それは最終的に自分が決める事だ。


これだけ社会保障が充実し、
かつての奴隷制度や生まれつきの階級システムがほとんど破壊されて個人の選択肢が拡大されきった日本、先進国、世界。


投票権があって、救急車は呼べば来てくれる。

夜は月の光を超える明かりがあって、
蛇口をひねれば、飲める水。



インターネットが果たした、
個人が獲得できる情報が溢れている時代に、

<誰かのせい>
<誰かが言ったから>

ホントなの、それ?
すり替えてはないないか?

どこか遠くの国で

今日食うメシ、探さなきゃいけない人、

今日も生きている。


学生時代に読んだ、芸術家・岡本太郎の本から得た言葉が
どこか心の片隅に、あった。

俗に人生の十字路というが、それは正確ではない。人間は本当は、いつでも二つの道の分岐点に立たされているのだ。この道をとるべきか、あの方か。どちらかを選ばなければならない、迷う。一方はいわばすでに馴れた、見通しのついた道だ。安全だ。一方は何か危険を感じる。もしその方に行けば、自分はいったいどうなってしまうか。不安なのだ。しかし惹かれる。本当はそちらの方が情熱を覚える本当の道なのだが、迷う。まことに悲劇の岐路。こんな風にいうと、大げさに思われるかもしれないが、人間本来、自分では気づかずに、毎日ささやかではあってもこの分かれ道のポイントに立たされているはずなんだ。しかしよく考えてみてほしい。一方の道は、ちゃんと食えることが保証された、安全な道だ。それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるなら。そうじゃないから迷うんだ。危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。ほんとはそっちに進みたいんだ。



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退職が決まり、
同じく退職する当時5年目の山下さんと、
新山口駅近く、県内の地酒を扱い評判良い居酒屋「とらっ家」
で、互いの転職祝いも兼ねて、これからのことを語りに行った。


北海道配属が決まっていた山下さんも、同じように
期待と不安が入り混じっていたと思う。


これからは頻繁には飲めなくなるであろう、
山口県が生んだ名酒・「獺祭」を酌み交わして、
お互いの未来を祈願し、その先でのまたいつか再会しよう、と誓い合った。
(7年後、再会を果たした)


・・・僕は、こういう一時的な別れが悪くないものだと思っている。

別れを名残惜しんだり、寂しい、とか、そういう気持ちもわかる。

でも、別に死ぬわけではないし、生きていればまた会える。

勉強カフェの会員様でも、見事に合格されたり、進路を決定されて、
ずっと居場所のように使ってくれていた人が、卒業される。

それは、嬉しいことだ。だから、寂しいとか、言ってる場合じゃない。

なぜなら、新たな世界を、その人が切りひらきに行く。

どんどん、変わっていく。それでいい。

旅の道中にあるのも、勉強カフェだ。

一時的な別れは、常に希望であり、また楽しい再会が待っている。


2011年9月


新山口駅のホームにて

止まった新幹線、東京行き。


僕の足と、海外旅行に行くわけではないがそのくらい大き目のキャリーバックに詰め込んだ荷物、そしてこれから訪れる新世界へのワクワク感を載せ、列車は走り出した。


第5話へ続く・・・

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作者 : 荒井浩介 株式会社ARIA代表取締役
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勉強カフェ大阪本町/大阪うめだ official WEB : http://benkyo-cafe-osaka.com/
※勉強カフェ®は株式会社ブックマークスの登録商標です。 勉強カフェ大阪本町/大阪うめだは、勉強カフェアライアンスのメンバーです。

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