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『森さん/坂上二郎(1983)』:ほがらかな二郎さんと「森さん」

 坂上二郎さん。コント55号のネタは再放送やビデオで何度も観ましたが、初見時は腹抱えるほど笑い転げたのを覚えてます。台本や打ち合わせこそしていたように見えるものの、そこからドンドン取っ散らかしていく欽ちゃんと、それを真面目かつ必死に対応するせいでトンでもないボケが出てくる二郎さん。お互いアドリブで掛け合う姿がまあ面白いこと。一時代を気付いたのも頷けます。

 そんな二郎さんは歌手としても活動し、代表曲『学校の先生』はその真面目さが如実に現れ、ドラマ性も非常に高い泣かせる歌でしたが、こんな歌も残していました。アレな香ばしさも漂うけど、そうくるか! と思わせるオーラを十分持ってます。

『森さん/坂上二郎』

 こちらも作詞は阿久悠さん。1983年にリリースされた森林浴のイメージソングだとか。それほどブームが来ていたのでしょうね。

 さて森林浴ときて題名が『森さん』ですから、森を擬人化して歌ってるのかな? と予想していたのですが、歌詞はそうなのかそうでないのか微妙に分からないトコを突いてきました。

♬もしもし もしかして 森さんでは
 そういう気がして 尋ねました
 いえいえ さわやかですもの わかります
 実は 私も森なんです
 森さんじゃない? 林さん?
 いいじゃないですか 木の一本くらい
 仲良くしたって変じゃない 変じゃない
 緑にかわりはないでしょう

 これだけ読むと森さんは「森そのものを擬人化」のではなく「森さん」という人だとも受け取れます。そんな森さんがいろいろな方と出会う。僕の名字は森でして、ひょっとして貴方も森さんですか? え、違う? でもまあ緑繋がりですからどうぞよろしくお願いします、とやりとりする姿が浮かんできます。

 一方で「森さん」が本当に「森そのものを擬人化したもの」と解釈した場合、森林浴にやって来た人たちへ向けて「森」が「あなた、ひょっとして森さん?」と呼びかけてるようにも見えてくるんですね。しかしそうすると「実は私も森なんです」でおかしなことになってしまうので、これは違うかなと。なのでこれは「人間の『森さん』と別の誰かさんとのやりとり」と解釈した方が自然(※まさに自然)でしょうか。

 ただ、こうも考えられるのですね。「人間の『森さん』」が森林浴のために大自然へやって来た。そして森さんはとても優しい人で、木々に対しても「さん」付けをするような方だった、と。そう捉えると
「いやあ森さんこんにちは。実は僕も森でして。え、林ですかここ? でもまあいいじゃないですか」
 というウッカリ度合いも感じられるので、二郎さんの人柄にも合ってるような気もしてくるんですね。ましてやニ番では「緑なだけに恋人は森さんでしょ? え、大木さん?」なんてやり取りも出てきます。それを「木の一本や二本くらい、いいじゃないですか」と華麗にまとめて、これも縁ですとさわやかに締めくくる。何でしょうねぇ、何ら罪を感じないこのオーラは。

 何だかんだと書いたものの、一番最初の解釈が本当だとは思いますが、独自のアプローチで「森」との触れ合いを表現した阿久悠ワールドと、実にほがらかな二郎さんの歌声を堪能できる良作のアレコードでした。

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