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ミスター平成ゴジラ・薩摩剣八郎氏死去

 年の瀬になってから突然の訃報が飛び込んできた。76歳、まだまだという感じすらある。一怪獣好きとして非常に残念だ。

 薩摩さんは鹿児島出身。製鉄所勤務を経て、1967年日活演技研究所に入り、日活映画俳優として映画人としての人生を切った。1984年の「ゴジラ」から95年まで平成ゴジラシリーズのスーツアクターを演じた。85年撮影の北朝鮮製作による怪獣映画「プルガサリ」でも着ぐるみ俳優として出演した。

 記事内にもある通り、薩摩氏は『平成VSシリーズ』と呼ばれる7作品でゴジラの「中の人」を手掛けた。とりわけ『vsビオランテ』~『vsデストロイア』の時期はほぼ毎年のように新作が作られ、キングギドラやモスラ、メカゴジラを新たな設定で再登場するなど、話題には事欠かなかった。これは親子二代で映画館に来てもらおう、という製作陣の狙いもあったのだろう。

 この頃になると、メイキング映像がメディアで紹介される機会も増えた。新作の撮影と合わせてTVカメラが特撮の現場に入り、新宿や横浜を再現した巨大セットでスタッフが奮闘する姿を捉えていた。こうやって作られるのか、と思った人も多かろう。自分もそのうちの一人だ。

 とりわけ注目を集めたのは、ゴジラの中の人=薩摩剣八郎氏だった。

 『vsビオランテ』の時に採用されたゴジラスーツ・通称ビオゴジはそれまでのゴジラとは一線を画すものだった。同作の原作者・小林晋一郎氏は「まずシルエットが抜群に美しい」と評価し、さらにこう語っている。

(ゴジラの造形に関して川北紘一特技監督と打ち合わせを行い)あれから半年後、撮了近くにラッシュの一部を拝見して私は絶句した。本当に求めていたゴジラがここにいる! 薩摩剣八郎氏の名演を得て、圧倒的な迫力で暴れ、咆哮し、進撃する強大無比の大怪獣ゴジラが! これほどのゴジラを見るのは実に30年ぶりだろうか。歴史の傑作に迫る、いやある意味で超えてさえいるかもしれない。(後略)

学研MOOK『ゴジラ大百科』より

 その胸板の暑さに逞しさを感じさせつつ、しっかりとした下半身には太さを感じさせない。逆に尻尾はこれまでのスーツから比較にならないほど長大になり、まさに筋骨隆々、平成に産まれた新時代のゴジラと言っていい。

 このゴジラスーツと、薩摩剣八郎氏は完全に一体化していた。

 もちろんスーツ自体が薩摩氏の身体に合わせて作られていたのもあるが、あのゴジラの筋骨隆々さと、薩摩氏自身の逞しさが自分には同一に見えたのである。ゴジラに入る資格として「体力・精神力・演技力」の三力が必要だと語る氏は普段からトレーニングを欠かさず、それも非常に厳しいものだったらしく、先に記した特撮メイキングを紹介する番組でも「弟子入りを志願する人はいるけど、すぐに音を上げてしまうんです」と語っていたような記憶がある。

 それら番組の中でも特に覚えているのは『追跡(日本テレビ系の情報番組)』で「ゴジラが好きになる30分」として『vsモスラ』の特撮メイキングを紹介した時のことである。スーツアクターの薩摩氏にも密着し、氏の息子が撮影現場を見学する様子にもスポットを当てていた。

 横浜・みなとみらいエリアでゴジラとモスラ・バトラが大激闘を繰り広げる場面では、瓦礫の中で倒れていたゴジラがそれを振り払いながら立ち上がるカットがあった。セットの中でスーツに入った後に横たわり、その上に瓦礫をセッティング。それをバーンと跳ね除けて立ち上がった後、カメラの方へ向かうという段取りだ。が、本番で薩摩氏はNGを出してしまう。立ち上がろうとした際にフラつき、二、三歩横へつまづいてしまったのだ。流石にこれは使えないとして撮り直し。

 再びゴジラは横になり、再度瓦礫をセッティングしてTAKE2。払い除けながら立ち上がるゴジラ、今度はしっかり立ち上がり、さらにカメラへ向かってノッシノッシと歩き出した。川北監督から「OK!」の声が出る。
 と、その途端にゴジラはぐったりと倒れた。慌ててスタッフが駆け寄り、中にいる薩摩氏をスーツから出した。実はNGカットも含めてかれこれ2時間近くもゴジラスーツの中にいたため、OKが出た時には限界ギリギリだったのである。薩摩氏の体力も凄いが、その精神力には驚かされる。本当に気合いで入っていたのだ。
 薩摩氏の息子はその一部始終を見て唖然。相当な衝撃だったらしく、番組内では将来の夢として「父親のようにゴジラの中に入りたい」と語っていた息子さんが「ゴジラになるのは諦めます」とまで言わしめるほどだった。全力でゴジラを演じる父親の姿に、息子さんはどう思ったのだろうか。この仕事をする父親への尊敬、そして普段から感じる威厳。しかしこの時ばかりは畏敬の念を感じたのではあるまいか。憧れだけでは出来ない、という思いも込めて……

 そんなゴジラを演じた薩摩剣八郎氏が、亡くなられてしまった。

 平成VSシリーズを支えた川北紘一特技監督、そして大森一樹監督、さらにはゴジラと一体化していた薩摩剣八郎氏も鬼籍に入られてしまった。昭和どころか平成も遠くなりにけり、である。
 スーツアクターの始祖ともいえる中島春雄氏はまさに「ミスターゴジラ」である。それと同様に薩摩剣八郎氏もやはりゴジラだった。
 薩摩氏はまさに「ミスター平成ゴジラ」と呼んでもいいだろう。

 平成ゴジラは劇場でリアルタイムに観ていた。もう30年以上も前の話だ。家族と、友人らと観に行っていたあの時が懐かしい。あの時にゴジラを熱演していた方が亡くなる、というのは寂しい。ただただ寂しい。

 薩摩剣八郎氏のご冥福をお祈りします。

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