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恋の様相ー歌謡曲とJポップからみるその変化ー(4)恋は現実、愛は勝利

 BOOWYが解散した翌年、B'zがデビューする。この両者を比べるとなんだか時代がすっかり変わった感じがする。BOOWYはステージから「ここは東京だろ?」などといって甘いファンタジーを演じたが、B’zときたら汗と体臭をふりまいて雨の中ステージを疾走する。

 「LOVE PHANTOM」(1995年 作詞:稲葉浩志 作曲:松本孝弘)は失恋の歌なのだろうか。去ってしまった彼女に「がまんできない 僕を全部あげよう」なんていうのは危なくないのか。「いらない何も捨ててしまおう」というまでに自暴自棄になるのか。

 彼はフィジカルな叫びを抑えられないのだ。頭や心よりもカラダが叫んでいる。愛の対象を失った心の空虚さが身体のバランスを崩す。彼は「とぼとぼ」歩く「カラのカラダ」を支えられずにいる。それは「さみしい」とか「むなしい」とかよりも強烈な渇きと痛みを訴える。

 恋はかっての、切ないやるせなさや胸のときめきといった表面的な現象ではなく、それぞれの自己が痛烈な感覚を覚える実体としての身体を得た。恋は夢見るファンタジーではなく、歩き息する現実となったのだ。歌謡というロマンの世界で、それが主流となったのは実はこの時代なのだ。

 日本社会が絶頂期の物質的豊かさを享受している間に、精神的な豊かさをリアルな現実として感じたい世代が現れた。この時代には物質ではない愛を現実として得ることこそが喜びになったのだ。

 「君がいるだけで」(1992年 作詞・作曲:米米CLUB)心が強くなれるし、「君と出会った奇跡」によって僕は自由に「空もとべるはず」(1994年作詞・作曲:草野正宗)だと思う。愛があればそれは勝利。

  なぜそう思えるのか。それは愛を得るまでの悲しみや苦しみがあるからだ。「ありがちな罠」にひきこまれ悔し涙を流し、恐れのなかでナイフを隠し夢を涙に濡らした日々。そうした日々を乗り越えてじつはこの輝かしい愛があるということを年上世代は知っていただろうか。

 しかし勝利にふさわしい愛には条件がある。「どんな時も。」(1991年 作詞・作曲:槇原敬之)「僕が僕らしくあるために 好きなものは好き」と言いたいし、そんな愛を手にいれるまでは、「恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム」(「シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~」1995年 作詞・作曲:桜井和寿)だと割り切る。

 この時代の流行歌をあなどってはいけない。彼らは自分で現実を生き、その感覚を自分の言葉を使って、共感を得る歌にしていった。

 恋とは自然に陥ってだれでもできるものだと感じていた世代がある。自分を抑えてはじめて成就するものだと感じていた時代もある。恋は若いうちに経験するものだから時代の雰囲気を信じてしまうのだ。

 同時代の若者が等身大の表現によって作った歌を、次の世代が何度も聞き歌い、内面化していく。そして恋の様相は深みを増していく。

(つづく(あとちょっとだけ))

 

 

 

 

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