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一年振りの京都

先日一年振りに京都に行ってきた。
目的はもちろん京都音博。でも音博自体はまだ二回目なので、京都に行く目的としてはまだまだ浅いところ。
それ以前はパン屋巡りやら手作り市やらと、なんやかんや目的を見つけて通っていた。
まさかこんなに通い続けるとは思わず、京都にはまり込んでしまった自分に正直驚いている。
もちろん観光として何度も京都を訪れているけれど、最近はとんとザ・観光をしなくなってしまった。
気付いたら街中情報にやたらと詳しく、旅行者というより近場からぷらっと遊びに来た人のように、あてもなくふらふらと散歩を楽しんでいる。

今回一緒に来た友達にも、何も知らなくても全部連れてってくれるから安心、と言われたし。
そうか、普通はもっと迷うものなのか、とその時初めて京都に詳しすぎる自分に気付いた。
これだけ通っていれば詳しくもなるだろう。バスの乗り継ぎや電車での移動。どの辺りに何があるかというざっとした地図情報等々。
積み重ねて得た情報が自然と自分の中に蓄積されていたようで、それはそれで嬉しかったりする。

私の移動のお供は、ガイドブックではなくもっぱらコピー用紙。
京都を中心に紹介している雑誌の地図を、行きたい場所ごとにコピーして、色んな所で得た情報をその中に書き込んでいくという。人には見せられないごっちゃりとした内容。
一度それを無くしかけた時には、もうパニックに陥りました。それなしでは動けない体に…。
そう考えると随分行きたい所が増えたなぁ。年月の長さを感じる。京都に通った分書き込むことも増えていって、今ではなくてはならない存在に。

行き始めた頃と比べると、どんどん新しいお店も増えていて、最近はその情報の多さに追い付けないほど。
京都特集を見ても、いつの間にこんなにお店が!と思うほど、多種多様なお店が出来ていた。新しい顔が見れる楽しさもある反面、その分姿を消していくお店もあるということで、ちょっと複雑な思いもある。

友達が行きたいと言っていたお茶の専門店が寺町通にある、というのでつらつらと探していたら、御池通に程近い所にあり、こんな所にあったんだと思うと同時に以前は何があったんだっけ?と全く思い出せない自分がいた。
その周辺も目新しいお店が何軒か出来ていて、どんどん知らない街になったなぁという寂しさを感じた。

お店を探すのに夢中でその時すぐには気付かなかったのだけど、そう言えば桂月堂ってどの辺だっけ?と一人うろうろと探していた。結局見つからずお休みなのかと思っていたら、どうやら閉店してしまったようなそんな情報を発見。
もうこの時点でかなりショックを受けました。京都に来た際には何度か訪れたことがあるし、お店に入らないまでもそのレトロな店構えがとても可愛らしく、前を通る度に安心感を感じていたお店。
そこだけ時が止まったかのような古めかしさが逆に新鮮で、とても好きなお店の一つだっただけに、無くなってしまったというのは残念でなりません。
その並びのスマート珈琲も店舗改装のお知らせがしてあり、どんどん変化をしていってしまうんだなぁと一物の寂しさが。

一旅行者なので、京都の街を知り尽くしているわけではないけれど、見知ったお店がなくなってしまうというのはかなり衝撃を受ける。しかも老舗であればあるほど。
好んで行くのがそういったお店なので、いつまでもそのままあると思っていてはいけないんだろうな。
店の老朽化や跡継ぎの問題など、続けていくことの難しさというのもあるだろうし。
そう考えるとお店の確認という意味で定期的に行かなければ、という使命感がむくむくと。
周りからしたら行き過ぎじゃないの?と思うだろうが、やっぱり好きだから行きたくなってしまうのよね。
新しいお店も気になるけれど、行き始めた初期の気持ちに戻って、再確認という意味でまた京都を巡っていきたいと思います。