600度の法則ーー桜と人生と、時々未熟な僕【創価学会3世のブログ#3】

僕は寒さに弱い。冬の季節は特に堪える。
温かな陽光きらめく、春が待ち遠しい。
今年の早咲きの河津桜が
その「顔」をのぞかせるようになってきた。
僕は桜が大好きだ。色合いも匂いも、そして満開に咲き誇るその姿も。


宮崎県延岡市の河津桜と菜の花(筆者撮影)

桜の開花を予想する考え方の1つに、「600度の法則」がある。
2月1日を基準にして、毎日の最高気温が600度に達した時、桜は開花するというものだ。桜の芽は、秋から冬にかけて休眠に入る。そして、一定の寒さにさらされて休眠打破。少しづつ芽は成長し、やがて花開く。つまり、「冬の寒さ」も桜にとっては必要なんだそう。暖冬だから早く咲く、というわけではないらしい。(参考にさせていただいたリンク:https://www.water.go.jp/honsya/honsya/pamphlet/kouhoushi/2017/pdf/2017_03-04_10.pdf

人生も桜と同じで、寒さという名の悩みだったり、試練が必要なんだろうなと思う。

宣教師のあだ名がついた学生時代

生きていく中で直面する悩みや壁は、かつての僕にとっては煩わしいものでしかなかった。「苦労は買ってでもしろ」と大人たちはいうが、そんなものない方がいい。そう思っていた。

学会活動を始めて、大きな悩みに直面した。
「信心をやるやらないは相手次第」「信心を語る語らないは自分次第」ーーだったら、とにかく語っていこうと大学時代の僕は思った。小学校、中学校、そして高校とこれまで縁した友人に、僕が学会活動をして感じた喜びや感動、変化を語った。「悩みや困った事はない?」と、相手の話にも耳を傾けた。

友人の反応は様々だった。しっかりと聞いてくれる人、あからさまに嫌な顔する人、その時は聞いてくれても、その後音信不通になった人。当然かもしれない。当時の僕は、仲のいい友人だけではなく、そこまで話をしたことがない友人にも学会の話をしていたのだから。

ある時、仲のいい友人からボソッと言われた。
「周りから〇〇(僕)は洗脳されてるって言われてるよ。あいつと会うと学会に入れられる。宣教師ザビエルだって」
知らなかった。覚悟はしていたけど、かなりへこんだ。自分がやっていることは間違ってるのかなとも思った。
また、当時上京中だった僕は、地元福岡の友人に会うため、毎月のように帰省していた。LCCの飛行機を利用していたとはいえ、バイト代の大半が移動費に消えていた。「善意でやっているのに、なんでわかってもらえないんだろう」「こんなにお金使ってるのに」と卑屈になった。次第に友人と会うことに気が引け、終わりの来ない冬のように感じた。

運がいいと思う人生か、運が悪い人生と思う人生か

悶々とした日々を過ごしていたある日、大学の授業で実業家・松下幸之助氏のエピソードを聞いた。松下氏が会社の採用面接で志願者に聞いていた質問がある。「あなたは運がいいと思うか?」。この質問に対し「運がいい」と答えた人を、松下氏は優先的に採用したというものだ。

「運がいい」と答える人の多くは、物事の捉え方が楽観的だ。逆に「悪い」と答える人は、悲観的な場合が多い。また、自分がつまずいた時に、その理由を自分に求めるか、自分以外(周囲のせい)に求めるかの違いもある。前者は成長するし、後者はいっこうに成長しない。そして何より、「運がいい」と答える人は、常に周囲に感謝ができる人が多い。こんな話を聞いて、僕はどうだろうと考えた。

部活で試合に出れなかった時、「あいつがいなければ」と思っていたし、大学受験で第一志望校に落ちた時も「あそこの範囲が出てたら」とか、全部周りのせいにしてきた人生だった。だから、悩みなんてない方がいいし、壁になんてぶつからない方がいいと思っていた。友人に学会の話をして悩んだ時も、全て自分以外にうまくいかない理由を求めていたことに気づけた。何より、仏法対話を続ける中、学生時代に4人の友人が創価学会に入会してくれた。本当に嬉しかったし、感謝が尽きなかった。

福岡県北九州市の小倉城と桜(筆者撮影)

人生には、うまくいく時もあれば、うまくいかない時もある。うまくいく時は傲慢にならず謙虚に。うまくいかない時は、その理由を自分の中に求めて試行錯誤する。悩みや壁は、悪いものじゃない。むしろ、自分がより成長するための、チャンスだ。学会活動をする中で、そう思えるようになったのは僕にとって功徳なのかもしれない。楽観的に生きるーー僕のモットーだ。
就職活動の時も、仕事で失敗した時も、病気になった時も、楽観的に考えれば、その事柄の持つ価値は変わった。

桜が風雪に耐え、厳冬を越えて凛と咲く桜のように、僕もどんな試練にも、逃げずに立ち向かい、笑顔満開の人生を歩んでいきたいと思う。とはいっても、まだまだ未熟な僕。一喜一憂することもあるけど、それも伸び代だ。

頭を整理したいけど、できなかった。【創価学会3世のブログ#4】はこちら

余談。世の中には好き嫌いがあるのは当然だと思う。
どんな優れた人でも、誰かの人生では悪者になることだってある。
僕のように創価学会が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
このブログは、僕を通して学会のことを少しでも知ってもらったり、興味をもってもらえたらいいなと思って書いてる。

でも僕は学会が嫌いな人を軽蔑するつもりも、揶揄するつもりもない。
ただ、一度学会を辞めた人が、執拗に色々言っているのは少し疑問に思う時がある。だって、次元は違うかもだけど、辞めた会社とか別れた恋人のことをずっと悪く言ったりするかな。僕だったら忘れて、その会社や恋人にかき乱されないような生き方をするけどな。笑 結局はまだ未練があるってことなのかな。

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