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丁寧に解説❣️ふまけん8.25事件とは(o´ω`o)(o'ω'o)

雑誌で机が破壊されそうです😇

どうも、さきまゆです


今日はふまけんの8.25事件の日ですね。


みなさんも様々な想いで今日を過ごしていることと思います(私はファンタグレープを飲みました)(単なる水分補給)



ふまけん8.25事件とは、菊池風磨が山Pと一緒に中島健人のソロコンサート「#Honey♡Butterfly」の最終日に観覧に行ったという出来事のことです。

あの日から5年。今のふまけんからみたらなんてことない出来事のように思えるのかもしれない。


ふまけん8.25事件とは結局なんだったのか。


改めて私がわからなくなったので、整理してみようと思いまふ〜💜(o´ω`o)人(o'ω'o)💙




ふまけん8.25事件が起きた場所について

2016年8月25日ーその日は中島健人が東京ドームシティホールで中島健人ソロコンサートが行われていました。

まず、コンサートについての説明をしますね🌴🌺

SexyZoneは2015年から2017年まで東京ドームシティホールで各4日程度、昼夜公演で「Summer Paradise」というコンサートを行っていた。

このソロコンサートはジャニーズの歴史的夏イベント「SUMMARY」に代わる新しいイベントでした。
今のジャニーズJrが行っているサマパラと呼ばれるイベントはこのイベントのこと。先輩のイベントを後輩が引き継いだ形です。

2015年のみ佐藤勝利、中島健人、菊池風磨のソロコンサートと3人で合同コンサートが開催されていました。
これは2014年から起きていた3:2体制が続いていたためです。松島聡とマリウス葉はSummer Paradiseに参加させてもらえず、ジャニーズJrと共に「ガムシャラ」というイベントを行っていました。

翌年2016年からは松島聡とマリウス葉の聡マリチームが誕生。4つのチームに別れてコンサートを行いました(なのでサマパラはソロコンサートというくくりではありません)

しかし、嬉しいことに2018年SexyZoneは24時間テレビのメインパーソナリティに抜擢。スケジュール的にSummer Paradiseを開催するのは困難とし、開催しませんでした。

結果的に、SexyZoneは2015年から2017年の3年間の開催で幕を下ろしました。

各コンサートは1部省略した形(著作権や尺などの大人の事情でカットされた部分があります)でDVD/BluRay化しています。 



当時のSexyZoneの状況

次にこの事件の価値に繋がる、当時の状況を私の主観ではありますが、説明しますね🌺

2016年はSexyZoneデビュー5年目です。2016年11月16日をもって、デビュー5周年と同時に6年目に突入しました。

ということはふまけん8.25事件はデビュー5周年の最中に起きたということです(o'ω'o)

しかし、デビュー5年目とはいえまだ不安定な雰囲気が残っていたように感じます。

それは2014年から続いた3:2体制によるものです。

そもそもCDを見てもらうと分かりますが、3rdシングル「SexySummerに雪が降る」から5人のカットが平等ではありません。
その後もライブの衣装、ドラマやバラエティー、歌のパート割、雑誌のカット割、すべてにおいて平等ではなくなっていきます。



そう、SexyZoneは平等ではない時期が2012年から2015年と実に3年も続いたのです。



公に言われている3:2体制は1年ですが、当時セクガルをしていた私の体感は3年です。

聡ちゃんのおやふみが約2年と考えると、この時期がいかに長く、つらいものだったかが想像出来ると思います。

デビュー5年目なのに、実際に5人で平等に活動していた時期は約2年。このことを頭の片隅に置いてください。

そんな大人の事情に揉まれまくったSexyZoneの中でも年長組のふまけんにはもちろん葛藤が出てきます。


ふまけんの絆

先ほどの状況を踏まえ、ふまけんはどんな気持ちだったのかを想像ではありますが、探っていきます🐤
その前に、まずはふまけんの平和な時期を見ていきましょう(o´ω`o)ナカジマァ

ふまけんはデビューしてから年長組という立ち位置、さらにグループの中でも人気が高い2人でした。(今とは違い、初期のSexyZoneの人気のほとんどはふまけんでした)

最年長のケンティーはグループの代表、リーダーとして動き続けます。ちびーずに対してママのような優しさで接して行きます。

世間的には「黒崎くんの言いなりになんてならない」で中島健人の知名度が若い世代を中心に上がっていたときです。

8.25のときは22歳。本来なら大学を卒業していますが、多忙を極めていたため留年していた時期です。



一方、風磨くんはちびーずを可愛がる兄のような存在でグループを支えていきます。

ソロコンサートでは独自のコンサート演出を次々と考え、後のSexyZoneのコンサートに大きな影響を与えていきます。

8.25のときは21歳。大学4年生でライブについての卒論制作をしていた時期です。

互いに忙しいながらも、グループの最善を考えていく仲間として切磋琢磨してきたふまけん。

2013年のポポロで風磨くんは

(中島の努力も知らずに、中島のキャラをバカにする人がいることに対し)

「中島をバカにしていいのは俺だけ」

と発言し、感銘を受けたケンティーは泣いてました。

このような発言からもわかるように、ふまけんは簡単には切れない絆で結ばれていました。

しかし、その絆にすき間が生まれ始めます。


そう、それを生んだのが3:2体制です。


すれ違うふまけんの感情

2014年7月、悲しいことに3:2体制が公に発表されました。もちろん、セクガルは大混乱。

それはふまけんも変わらないと思います。苦しかったと思います。それでも笑って仕事をしないといけない。

しかし、ふまけんでそのことに対する態度が変わってきます。

ケンティーは辛さを表に出さず、笑顔で仕事をこなしていきます。ただでさえ大学と仕事の両立は大変です。

ソロ活動ではドラマ「黒服物語」の主演、映画「黒崎くんの言いなりになんてならない」の撮影、舞台「Johnnys World」の主演、その他にSexyZoneで「リアルスコープハイパー」、ジャニ誌、紅白歌合戦とこなしていきます。多忙すぎ…

風磨くんも大学と仕事を両立しますが、納得のいかない仕事(3:2体制)に不満を募らせます。それが次第に態度に現れていきます。

風磨担である私がその態度を感じたのは2014年夏に行なったSexyZoneのコンサート。神戸公演で「言いたいことがある奴は直接言え」みたいな内容を発言してしまい、Twitterやサイゾーといったやべぇサイトでプチ炎上してしまいます。あぁ……

この発言やあまり笑わない姿、歌い方の癖が混ざり、「菊池風磨=怖い」というイメージがついてしまいます。あぁ……

しかし、風磨くんもバカではありません。
これらは「納得いかない仕事になんでヘラヘラ笑ってやらなきゃいけないんだ」「面白くもないことに笑ってられるか」という感情がそうさせたのです。

我慢して笑うケンティーと感情をあらわにする風磨くん、このコントラストが自然と生まれてしまったのです………

そして2人のこの仕事態度がとうとうぶつかってしまいました。
それが2014年の「FIVB女子バレーボール・ワールドグランプリ」なのです。

これは大会会場で副音声で解説やインタビューを連日行うものでした。

ここでポイントなのは「バレーの知識をどこまでいれるのか」ということです。

ケンティーは真面目で勉強熱心なため、バレーの関連本を買って勉強をします。付箋をはり、本を読み込み、知識を頭に入れます。

一方風磨くんは知識バリバリ!というよりかはその場の熱気や選手の動きに柔軟に対応するスタイルをとりました。最低限の知識に留め、試合の変化を見ているみんなと共有して楽しむ。ノリというかね。笑

どちらも間違った姿勢ではありません。しかし、ただでさえ3:2体制で普段の仕事への姿勢が異なるのに、大きい仕事であるバレーでこんなズレが起きたままでは問題です。

ケンティーからしたら、ノリで楽しくしている風磨くんが嫌になったのでしょう。真面目な彼らしいです。

が、その思いは止まらずとうとうブログに書いてしまったではないか…!!

ふざけた風磨くんの態度が気に入らないことを名前こそ伏せてますが、批判する内容をブログに出してしまいます。
もちろん、セクガルは誰のことを言っているかわかりました。

それに対して風磨くんも黙ってはいません。直接自分に言わないケンティーに腹を立てます。
風磨くんは、気に入らないことがあったら言って欲しかったんですよね。今までだってそうやって喧嘩して仲直りしてきたんだから。

ましてや、ファンが見るブログに書くとは………これには呆れるようなことを風磨くんはブログで書きました。

こうしてファンがみるブログで喧嘩が起きたことで、セクガルには「ふまけんは仲が悪いのでは?」という憶測が飛ぶようになりました。実際そうだったと言える…かな……

でも勘違いしないでほしいのは、これは仕事をちゃんとやりたい気持ちからきたすれ違いだということ。

そして、この氷河期にSexy Zoneを辞めたいなんて気持ちはなかったことです。むしろ逆です。
ジャニーズを、Sexy Zoneを続けるために、どうしても衝突してしまうことがあった。それだけです。
ふまけんはそうやって喧嘩して仲直りしてやってきたんです。

さて、真面目で不器用な2人がどうやって交わったのか。ふまけんキューピットになったのはあの"山P"でした。


雪解けへ向かうはじまり

2015年春、風磨くんはドラマ「アルジャーノンに花束を」に出演します。そしてこのドラマの主演が山Pだったのです。

ドラマの共演をきっかけに仲良くなった山Pと風磨くん。山Pにとってはドラマ「サマーヌード」で勝利くんと共演し、山PのBBQ会に呼んだりしています。なのでSexyZoneに抵抗感はありません🐻

ここからは憶測で申し訳ないですが、風磨くんはうまくいかない仕事のことも相談したんだと思います。3:2体制の最中、これからグループをどうすればいいのか…

山Pはグループを去った身です。同じメンバーで続けていくことがどれだけ難しいかよくわかってます。
だから風磨がどうしたいか、決めるのは風磨なんだと諭したのだと思います。

風磨くんはSexy Zoneを続けたいと思っただろうし、これからもっと色んなことをやりたい像があったはずです。それがソロコンに出たんですから。


そして続けるために必要なことは………
もうわかりますよね。


氷が解けた瞬間

迷いながらもグループを進んでいくふまけん。2015年夏の終わりに、そんな彼らへ吉報が届きます。


Sexy Zoneが5人に戻る。


もうJrを交えたチームにしない。5人で活動することになったのです。こんなに嬉しいことは………ない。


ファン同士、ファンとグループ、メンバー、こんなに傷つき傷つけた関係に終止符が打てる。


ここでふまけんのグループを存続させる、ちびーずを守るという荷が降り、ちゃんとグループとしてやっていくんだという喜びと覚悟が生まれたのだと思います。幸せな責任というかね。

こうして2015年冬「カラフルEyes」から5人での活動再開、セクガルに再び安心して応援してもらえるように全力を尽くすようになります。


そうした中で2人はもう争う必要がなくなってきたように思えます。もうピリピリした関係である必要はない。5人のSexy Zoneに戻れたなら、その幸せを守るために協力していく。そんな風に私は見えました。


2016年に入り、さらなる安定を求め頑張るSexy Zoneは2回目のSummer Paradiseを開催します。

2015年は忙しく、互いのソロコンサートまで気が回らなかったと思います。でも、今は……


山Pは風磨くんに尋ねます。

山下 「5人で成功したいんでしょ?」

風磨 「5人で嵐になりたいです」

山下 「バチバチしてる時間はムダだよ。健人は我が道をいくのがすごい武器だと思ってる。だから風磨がバランスをとる必要があるし、お前ならそれができるよ。どっちが先に折れるの?」

こうして2人はケンティーのソロコン最終日に観覧しに行くことになりました。ありがとう、山P…………


紆余曲折あったものの、こうして自分のコンサートに風磨くんが来たことに大喜びしたケンティー。

「世界で1番来ないと思ってたヤツがライブに来て、世界で1番嬉しかった」
「流れ星が手の中に落ちてきた」

幸せそうでなにより😌笑

こうしてふまけん8.25事件は流れ星・風磨と王子・健人のハッピーエンドで終わったとさ。めでたしめでたし•*¨*•.¸¸☆*・゚


ふまけん8.25事件の価値

最後になりますが、ふまけんは尊いです(急にIQ5)

ここまで読んでいただくとわかると思うのですが、この事件はSexy Zoneの歴史なんですよね。そしてSexy Zoneとふまけんの互いの影響力もある。

20代になったばかりのふまけん。若気の至りと言えばそれまでかもしれません。でも、ふまけんの想いはそんな言葉では片付けられないと思ってます。

このことが祝い事かは人によって違うと思います。私は想いを馳せる日です。


いつかSexy Zoneが15年、20年と月日が経ってこのことが忘れられてしまっても、ふまけん8.25事件は今のふまけんの始まりとも言える深い出来事です。

そんな出来事をデビュー10周年、ふまけん8.25事件から5年の今改めて振り返ってみました(o´ω`o)人(o'ω'o)



ふまけんに、そしてSexy Zoneに幸あれ🌹



読んでいただきありがとうございました🐈