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【台東区】天皇賞の起源?上野不忍池の競馬場

上野不忍池には競馬場があったといわれています。

明治初期には新宿区戸山の競馬場、靖国神社の競馬場があり、馬がとても身近なところにあったようです。

考えてみれば車もない時代。

都内を車が走り回るようになったのは1923年(大正12年)の関東大震災以降といわれています。

不忍池競馬の第1回開催は1884年(明治17年)11月1日。明治天皇ご観覧開催。天覧競馬です。

北側を埋め立ててメインスタンドとしました。今は上野動物園の西の一角となっています。

明23.2 東京名所図絵 によると

共同競馬会社馬見所 として

不忍池の北畔にあり 巨大なる建築にして三棟の層楼相連接せり 春秋二季の競馬はすこぶる盛大にして観者殊に夥し

と書いてあります。

春と秋の開催で天覧競馬となると、今の競馬でも天皇賞春、天皇賞秋とありますからこれも天皇賞の起源の一つではないかと感じました。(Wikipediaには横浜競馬で1880年(明治13年)が始まりとされています)

しかし、東京時層地図をみると競馬場のあったらしき形跡がない。

地図しか見ていない僕は面食らいました。

「明治期に不忍池に競馬場があった」といわれても「地図にないじゃん」

と違和感を覚えたことがありましたね。錦絵も資料も写真もあるにもかかわらず。地図にないんですから。

ものの見方が一方的で狭量だった例です。1つの方向しかみていないとこうなりやすいですね(笑)

文明開化時 1876-84(明治9〜17年)

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明治17年に天覧競馬ということですが、池が埋め立てられないのでまだ開催前なのかと思います。

馬が走れるコースっぽくはないですね。

この後、鹿鳴館時代とともに欧州文化を真似て競馬は開催されたといいます。

戸山の競馬も井上外務卿の後押しがありました。

明治末期 1906-09(明治39〜42年)

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競馬場の表記がありません。

でも不忍池は埋め立てられていますしコースっぽい形状ではありますね。

それもそのはず

上野不忍池競馬は1884年(明治17年)から1892年(明治25年)の間に開催され、その後は資金難のために閉鎖。

鹿鳴館の終焉とともに上野不忍池競馬も終焉となりました。

ですので、明治末期のこの地図にも競馬場の表記はありません。

商品陳列所と書かれているところが

「三棟の層楼相連接せり」

と書かれているところなのかなと思いましたが写真をみるとどうでしょうか。微妙なところですけど、撮影場所と右手前の建物の戸数を考えるとこれがそうなのかなと思います。

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訪れたときはコロナ対策で予約必須の動物園内の池のほとりで、のんきにホットドッグを食べていましたが明治時代はまだまだ池の中だったんだなと感じました。

不忍池、昔はもっと大きかったんですね。

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