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【渋谷区,目黒区】恵比寿ガーデンプレイス

2021年8月24日14時頃 パラリンピック開催でブルーインパルスが上空を回っていました。

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ブルーインパルスと恵比寿ガーデンプレイスとスマホをかかげて撮る人々。これは一生に一度しかないイベントでしょうね。

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2020東京オリパラも終わりました。あっちを立てればこっちは立たずで難しい世の中ですね。

明治初期の地図

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一面が畑、茶畑ですね。江戸時代の地図を見ても下野佐野藩 堀田左京亮正頌(まさつぐ)の領地がかすっているくらいでした。

明治後期の地図 

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1887年(明治20年)日本麦酒醸造が設立した工場。恵比寿麦酒製造所です。
ビールを運び出すための貨物駅が恵比寿駅となったようです。ビール工場って水場が必要ということがわかります。

その後、明治39年 1906年に日本麦酒は大阪麦酒(のちのアサヒビール)、札幌麦酒(のちのサッポロビール)と合併して大日本麦酒となります。

なんとなくイメージでサッポロビールに買収されたエビスビールというイメージでしたがそれは違って、アサヒビールとサッポロビールとエビスビールが合併した巨大なビール会社があったんですね。

明治41年 漢文日本東京総覧より むしろエビスビールが頂点的な。

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大正時代 1915年頃

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大日本麦酒は1945年の終戦まで中国のチンタオビールを経営、韓国のハイトビールの設立にも関わります。

みんなビール好きなんですね。みんな好きだからビール会社は大きくなる。

2021年、この状況で僕のようなお酒を飲まない人間というのは目立たずにしてるのが良いのだと思いました。

緊急事態宣言で外飲み20時までといわれてもそもそも飲みにいかないからなんのストレスにもならない。しかしその対岸には困っている人が大勢いるということがはっきり明確になったので、あえて「僕はお酒飲まないんですよね」なんていう必要はないんだなと思いました。


昭和初期 1935年頃

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戦争突入により1943年 昭和18年にビールの商標はとりけされますが、それは戦争末期の事なので、この時代は地図に記載がないだけですね。

今上陛下北海道行幸記念札幌工場写真帖 大日本麦酒株式会社 1936年

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この写真と地図をみると恵比寿駅は工場直結しているように見えます。

昭和19年に大日本麦酒科学研究所から 生物化学実績という調査研究が出ていましたので活動はしていたようです。

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高度成長期前夜 1960年頃

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日本ビール会社目黒工場。 戦後、過度経済力集中排除法で大日本麦酒はアサヒビールと日本ビールにわかれます。財閥解体みたいな感じでしょう。

1964年にサッポロビールへ名称変更。

バブル期 1988年頃

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サッポロビール工場になっています。

いろいろと資料を集めようとしていたのですが、サッポロビールとアサヒビールのHPをみたほうが早かったです(汗)元は一緒にやっていたというのも面白いですね。

1994(平成6)年工場の跡地に「恵比寿ガーデンプレイス」ができます。

私も1995年に上京したので、恵比寿ガーデンプレイスには何回か行きました。なにか良い所がありそうなオシャレスポット的な位置づけだったけれど、結局はお金がないとなんもいいことはないんですよね。

ビルの中で高いお金を払って食べるような所が良い所なんで、外をうろちょろしているだけの人はおよびじゃないんです。都会の空虚さというのを味わった場所でもありますね。

いちいち雑誌やテレビに踊らされてないで、地に足つけていたら良かったですがこれも社会勉強かなと思います。行ってみないと空虚さは感じられなかったわけですし。

2021年ブルーインパルスの舞った恵比寿ガーデンプレイスを見れるのはこの一瞬間だけ。

偶然の通りすがりでしたが、大げさにいうと一生に一度の思い出ができました。

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