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【中央区】新富町駅付近

月島の隅田川で釣りをしていたときの帰りに新富町駅を使ったので東京時層地図を開いてみました。

新富町駅は有楽町線。日比谷線築地駅との乗り入れもあります。

2022年の一日平均の乗降者数は39,693人

https://www.train-media.net/report/2310/metro.pdf

駅周辺でなにか食べるかとお店を探したところマクドナルドも吉野家もちょっと歩かなければならないところにありましたので、近辺には立ち寄らずに帰宅しました。

西に歩くと銀座ですし、東にあるくと下町の月島。(といっても高級タワマン街といったほうがいいですが)
その間の絶妙な区間にあります。


新富町駅の交差点付近を西側に向かって。

2023年の地図

新富町駅の表示がない・・・それくらいマイナー駅ということでしょうか。
駅ができたのは1980年で当初は明石町駅だったのだけれど、住民の要望で新富町駅になったのだとか。
住所は築地1丁目となります。

地図上にみえる南側の築地川公園の西側は外からだと川にしか見えなくて、のぞいてみたところ、昔は川だった様子。

奥が築地橋。まさに河川跡という感じです。


明治初期 1875年くらい

これは興味深い!
明治初期でも江戸時代の様子が見てとれるようです。

○ 築地川が流れていて目の前の橋は軽子橋と言われていた。
鏑木清方が軽子橋を描いた下絵があるのですが、現在地あたりから描かれたものだと思います。


○ 東側にある立派な大名庭園は江戸時代の地図によると
越後村上藩(新潟) 御老中 内藤紀伊守信親 五万九十石あまり
越後村上藩は戊辰戦争で新政府軍と激しくやり合ったようですね。戦後没収でしょうか。

その内藤邸の西と南にある建物は

天主教会と天主学校

江戸時代の地図によると

豊後岡藩(大分)中川修理大夫久昭 五万四百四十石余り

ローマ・カトリック教会がなぜここに?

以前、浅草橋近辺で東京時層地図を開いてみた時も大名屋敷跡地近辺に天主教会が建っていました。

豊後岡藩は歴史的にキリシタンとつながりが深い場所ですのでその影響があるかと。

他のホームページによると豊後岡藩は隠しキリシタンの里として有名だったそうで、藩ぐるみで隠していたということのようです。
他藩とくらべるとキリシタン関係の処刑者が一桁少ないなどの謎があるそうです。

そう考えると豊後岡藩の大名、中川邸跡に天主教会があるのは、明治維新のタイミングで招き入れたのではないかと妄想。(Wikipediaによるとこの辺り近辺は外国人居留地になったからだということでした)

○ 西の隅田川沿いに米国公使館があります。横浜の居留地からこの地に移転したようです。明石町に居留地通りというのがあるのがその名残りなのですね。


明治末期 1910年くらい

○ 江戸時代の名残があった明治初期とはガラッと変わりました。大名庭園は埋めたてられ、米国公使館は赤坂に移転。

○ 今の聖路加大学の場所に立教大学ができます。これも発見だなぁ・・・・

1874年 宣教師チャニング・ウィリアムズ主教が学校設立。
1904年 立教大学と称する。
1918年 池袋に移転。

周辺が天主教会や天主教学校、外国人居留地だったことが学校設立に
繋がったのではないでしょうか。

立教大学のバックにあるのはアメリカ聖公会。
天主教会のカトリックとは西方教会なので割合と近い立ち位置のようです。

大正時代 関東大震災直前 1920年くらい

○ 立教大学が立教中学になっています。立教大学は大正7年 1918年に池袋に移転。立教中学は1923年の関東大震災で焼失し、池袋に移転。

○ 明石町、一般住宅が入りこんでいないあたりをみると、この辺りはやはり米国関連の領地になっている感じがしますね。
このあたりだけ別区画の扱いに見えるんですよ。

なぜ、ここなのか。

明治維新当時は南に浜離宮と築地の海軍兵学校があるのでそこを避けると明石町が日本の中枢に一番近いからではないでしょうか。


昭和初期戦前 1935年くらい

○ 聖路加病院が地図上にあらわれます。その原形は明治17年 1884年に米国聖公会のフランク・ハレルが築地居留地に診療所を開設したことに始まります。

なるほど、立教大学は米国聖公会が建て、聖路加病院も米国聖公会ということか。

さらに日本の有力者の大隈重信、渋沢栄一、後藤新平、坂谷芳郎が協力し、関東大震災後の1933年 昭和8年に皇室、米国聖公会、米国赤十字の寄付で新館建設。

なんなんだ、この国ぐるみのバックアップ体制になっている感じは・・・

そして1944年の東京大空襲では、この辺り一帯は空襲を免れます。

理由もちろん聖路加病院があるから。

日本におけるビザなしで入れる米国領ですね。
なんだか鳥肌。

なにげにスゴイ場所だな。

さらに、日米野球でメジャーリーガーとして来日したモー・バーグ選手は入院患者見舞いと称して、聖路加病院屋上から写真を撮って東京一円の写真をとり、それが後の爆撃に利用されたと。
大リーガーがスパイ。そんな話あるんですね。

戦後 高度成長前夜 1955年くらい

○ 米軍聖路加病院 国際聖路加病院とあります。

○ ビクター・レコード というのも現れました。蓄音機の前で犬が首をかしげているマークですね。

○ この当時も築地川は流れていたようです。

バブル期 1990年くらい

○ 1980年に新富町駅ができます。
築地川は築地川公園となった様子。今はリニューアルされデイキャンプもできるようです。


まとめ

ちょっと利用しただけのマイナーな駅の近くを東京時層地図でみたら、近くに日本の米国があって、予想以上の内容にビックリしました・・・もっと気軽なはずでした。

そして隅田川沿いを釣りをしながら、ビルの間に空中通路があって怖いなとおもっていたビルが聖路加タワーでした。

ビルの間の通路がなんか怖い

聖路加病院近辺もじっくり回ってみたいです。
立教大発祥の地、米国公使館後、天主協会、付け足せる所たくさんあるなあ。

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