見出し画像

【千代田区】皇居三の丸尚蔵館

皇居の三の丸尚蔵館がオープンしたとのことでいってまいりました。

三の丸尚蔵館のある皇居東御苑については150回目の時に取り上げましたが、当時工事中でした。

三の丸尚蔵館は皇室から宮内庁への美術品類の御寄贈を契機として平成5年開館
令和5年になって管理が宮内庁から独立行政法人国立文化財機構に移管したようです。ですので入館料がかかります。

皇居東御苑が入園無料というのも宮内庁が管轄だからなんですね。こちらは個人的にかなりのお気に入りスポットです。
そもそも江戸というのは江戸城の為の設計ですから、江戸城(皇居)にいって良いなーっておもうのは当然でしょうね。



現代の地図

○三の丸尚蔵館は皇居東御苑内にあるために御苑が開いているときしか入れません。さらには事前の予約が必要。そして時間は厳守。

難攻不落の江戸城に相応しく何重ものハードルが設定されているように感じます。

○北側には宮内庁病院 皇室、宮内庁関係者とその家族、その紹介者が利用できるということですが、大手門はこの時期16時には閉まる、午前中は休診。
中で働いている人以外は現実的ではないですね。昭和39(1964)年建築ということから東京オリンピックの頃からある建物となります。

明治初期

○ 大手門の外は内堀ですがさらに二の丸のあった教導団工兵作業所に至るまでにさらに堀があります。なんたる守りの厚さ。

教導団は明治3年から32年まで (旧広島藩邸) 存続した下士養成の機関だそうで、現在地でいうと日比谷公園の場所にあたります。

○ 現在地は下乗橋。馬を降りる場所だったようです。現在の三の丸尚蔵館は当時の堀に位置していたことがわかります。

○ 現在水で満たされている白鳥濠は空堀だったようです。

○ 天神橋と書いてあるあたりの堀は天神濠というのですが、天神橋があったからだったか。天神様といえば菅原道真公ですが天神様を祀っていたのですね。

明治末期

○ 二の丸は主馬寮 主馬寮庁舎も二の丸に建てられたようですが、どれが主馬寮庁舎にあたるかはわかりませんでした。

主馬寮庁舎 https://www.kunaicho.go.jp/culture/shoryobu/tenji11.html

○ 南側には内閣があります。こちらの建物の写真も残っていてもよさそうですがこちらも不明。

大正時代 関東大震災前

○ 現在地の南に枢密院ができます。1921年建築 大正10年 現在の皇宮警察本部庁舎。この時期には堀を埋め立てているんですね。ちなみにこのあたりは立ち入り禁止なので写真は撮れません。

昭和初期戦前

○ 戦時中の為 白抜き

1955年 高度成長期前夜

○皇居の東御苑は昔からそのままの形でなくて、1968年 昭和43年に一般公開されるにあたって補修工事が行われたようです。
大手門の渡櫓はその時に作られたもの。石垣も組みなおしているらしい・・・(ガイドさんのまた聞き)

1990年代 バブル期

○ この時代に東御苑に行ったことがないのですが、地図をみると大手門から入って南北の道も歩けたのではないかと。今は歩けません。
門から入ってウネウネと曲がりくねった道と坂道にに、難攻不落の江戸城を感じることができます。だいぶ歩いたなとおもっても直線距離だとほんの百メートルだったり。


今回開館した三の丸尚蔵館は場所でいうと三の丸にありません。昔の場所でいうと下乗橋か天神濠かというところ。しかし文字的に三の丸が美しいですね。昔は三の丸にあったのかな。

2つのフロアにわかれており、ひとつは撮影禁止の皇室フロア、もうひとつは撮影可能の文化財フロアとなります。

こちらは藤折枝蒔絵箱

こちらは蒙古襲来絵巻 有名な竹崎季長

蒙古襲来絵詞

伊藤若冲の絵 これは絵力がスゴイ。

南天雄鶏図

小野道風の書

屏風土代 小野道風

20代のときに皇室の名宝展を見に行ったことがあるんです。
2009年の事。

その時に上記のものを見たような記憶があったので、記憶が蘇ってきました。入館時間30分区切りという厳密にして展示の数を考えると入館料1000円という比較的高額ですが、ダイレクトでお好みのものを見たい場合などは良いかもしれません。

もうちょっと落ち着いて見れるといいですけれど・・・


新しく建築された三の丸尚蔵館
大手門前で

この日は十一月初旬で暑かったですね。
都内も十二月後半になってから一気に寒くなってこの時期が懐かしい…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?