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【千代田区】有楽町ビックカメラ近辺

この辺りは江戸時代は武家屋敷と町人街の境目とあって、見どころはあちらこちらにあります。地図的にもとてもアツい場所ですね。

近隣でも数寄屋橋御門跡や日比谷など過去に取り上げましたが、今回は有楽町のビッグカメラ付近から東京時層地図を見ていきたいと思います。


現在の地図

この近辺はちょっと歩くと違う世界が広がるから面白い場所であります。ガード下の雑多な雰囲気から南にいけば、銀座の高級街、西側にいけば目の前に広がる皇居。昔からのザ・東京という感じの場所。
有楽町名物?ビックカメラ 上階にはスシローもあります。スシローは外国人観光客で激込みなので、アプリでネット予約しないと厳しいですが、持ち帰りなら15分ほどの待ち時間ということを最近覚えました(笑)
JR有楽町駅 後ろのビル以外は昭和の雰囲気です。いやいや、このレンガのアーチは明治の有楽町駅開通由来のもの。そう考えると趣深く見えてくるから人間というのは勝手なものです(汗)

明治9~19年 1876~1886年

○ 明治初期の地図で明らかになるのが、旧大名屋敷と町人街、それとお堀のコントラストです。

かなり立派なお堀があったということがわかります。

江戸城には36つの見附があったといわれていますが、そのうちの数寄屋御門と山下門がみえますね。よくよく過去の記事を見たら100m離れていないところでやっていました・・・今回は前回のやっていないところを補完したいとおもいます。


https://note.com/aratanamai/n/nab79fd9a08e6?magazine_key=mb3ab42789c94


○ 監軍本部 後の師団司令部の前身。
江戸時代は因幡鳥取藩 池田家 32万石の大名屋敷だった場所です。庭園があって築山がある典型的な大名庭園です。

○ 現在地の西にあるのが、萬里小路家と中山家 中山家は明治天皇の外祖父ですが、こちらの公家も昔から住んでいたわけではなく、明治維新後、幕府の旗本を追い出してのもの。
改めて江戸時代の地図を見てみると、萬里小路家は摂津高槻藩の永井家3万6千石 中山家は寺社奉行の三河岡崎藩の本多家5万石 明治後期にはこれらの華族の家もなくなることから、ちょっとした間借り的な感じかもしれません。

○ そして現在地は江戸時代の地図で見てみると南町奉行所の場所だということがわかりました。確かに南町奉行所跡は有楽町駅前広場にあります。

意外だったのが、南町奉行所の通称「遠山の金さん」遠山景元は勝手なイメージで江戸時代中頃の人かとおもっていましたが、意外に江戸後期の人で亡くなったのが1855年。どうやら大岡越前と混同しているようです。
遠山の金さんは北町奉行と南町奉行の両方をつとめました。
有能な方だったのでしょう。
そういえば遠山の金さんのお墓を見たことも思い出しました。
わりと新しいなと思ったのですが、亡くなったのが江戸末期ならそうなりますね。

2022年12月 巣鴨の染井霊園近くの本妙寺にて この日は大手町の将門塚を始めとして、塚を祀っていた酒井家当主、江戸幕府最後の大老酒井忠績墓にいったり、その足でコチラに出向いて明暦の大火供養塔をみたり、また近隣にある芥川龍之介のお墓にいったりしましたが、翌々日にコロナになってこの年は5月くらいまで具合悪かったです。



明治39~42年 1906年~1909年

○ 有楽町駅は1910年 明治43年開業なので、まだ出来上がる前の有楽町駅ということでしょう。駅名がありません。

○お堀もだいぶ埋め立てられます。再開発の怒涛の波が押し寄せているようで、旧大名屋敷も、公家屋敷も跡形もなくなくなってしまいました。
陸軍練兵場だった場所が府庁となっています。

府庁 1894年 明治27年建築 写真は昭和のものなので若干違うかもしれません。

○ 商業会議所
どこにでもありそうな名前なのですが、渋沢栄一関連施設で立派な建物です。監軍本部を更地にして早々に出来た施設なのでその重要度がわかります。

商業会議所1878年創立

○ 地図の南西に大神宮とあります。こちらは女性に人気の東京大神宮が明治期にあった場所です。
こちらで大正天皇が結婚式をあげたことから、縁結びの神様と有名になったということで注目を集めたようです。100年以上経った今でも女性に大人気ですから、昨日今日のブームではない。なにかしらアルのでしょうね。


大正5~10年 1916年~1921年 関東大震災直前

○ いうらくちやう という駅名が気になります。歴史的仮名遣いではないですよね。

○ 府庁、市役所、三菱会社、三菱銀行、郵船会社、商業会議所、農工銀行、警視庁と、行政と商業の中心地だったことがうかがえます。

農工銀行とは何ぞや 農工業者の為の銀行で、その後吸収合併をくりかえして現在のみずほ銀行となります。

○ 帝国劇場が明治44年 1911年に出来ました。オペラ、バレエ、歌舞伎などを上演。 この年の演目で「頼朝」があるようです。個人的なつながりとしてはうちの奥さんが学生時代に帝劇でチケット売ったりするバイトをしていたようです。浅丘ルリ子さんの女優オーラがすごすぎるという話を聞いたことがあります。20年以上前の話です。

皇居方面からの眺め


昭和3~10年 1928年~1935年 昭和初期戦前

○ 有楽町駅に新聞社が集結。 朝日新聞、報知新聞、日日新聞。
日日新聞というのは毎日新聞。
新聞社は戦前にかけてその力が大きくなっていったということが地図から読み取れます。


○ 商工会議所のとなりに東京会館ができています。民間初の社交場とのことで、簡単な名前のわりには重厚な建物です。戦後はGHQに接収され、将校クラブとして運営。

商工会議所と東京会館

○ 第一生命の建物も現れました。1902年(明治35年)創業ということから、創業後30年で皇居の真ん前にビルを構えることになるのですから、保険って商売としては鉄板かもしれません。戦後は接収されてGHQの本部になっています。考えてみると皇居に面したこれらの建物は戦災を免れていますから、計画的ですね。

第一生命館

高度成長前夜 昭和30~35年 1950~1955年

○ 報知新聞だった場所が読売ホールとなっています。
報知新聞は読売新聞グループで、建物は今も読売グループのもの。

なるほど勉強になる。

いまも読売ホールは7~9階で営業しているようです。
え~!!6階のスシローまでしか知らなかった(笑) 

○ この地図より少し後、1957年 昭和32年 デパートの有楽町そごうが出店。

フランク永井のヒット曲、「有楽町で逢いましょう」は有楽町そごう出店に合わせたキャンペーンソング。1957年。

なるほど~もともとはデパートのキャンペーンソングだったものが、今も残っているというパターンなのね。これも知らなかったです。

バブル期 昭和59年~平成2年 1984年~1990年

○1974年に地下鉄も直結。読売新聞グループの力の強さがうかがい知れます。1974年の読売新聞は大手町の本社に昭和天皇光淳皇后が来訪とあり、巨人のV9の翌年。まさにもっとも勢いがあった時期なのでしょう。

○ そごうは2000年に閉店。

○ 都庁といえば西新宿のビルなので東京都庁があることに驚いてしまいます。考えてみれば明治以降、府庁があったのだから都庁があって不思議ないのですが。

○ 有楽町は明治以降の日本の行政と商工業、マスコミの中心地であったことがわかりました。

「あなたとわたしの合言葉 有楽町であいましょう」

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