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【渋谷区】青山通りの裏手の池(琵琶池)

現代の地図

大山邸で地図をみたとき南側に池らしきものが気になりましたので行ってみることにしました。

ところが全くたどり着けません。

広大な敷地がフェンスに覆われていて、池らしい場所にたどり着けないのです。

神宮前五丁目児童遊園地 ちいさな規模的になにかいわくつきなのかなと思ってしまう感じ。
池がある場所の南東 旧こどもの城や国連大学の裏手にあたります
奥のフェンスに池があるっぽい。確認できません
真ん中の木が鬱蒼としているところに池があるようです。とにかく広大な敷地です。駐車場っぽくもあるのですが入れません。

地図でみるとこの場所

共済青山病院跡 1968年開設~2008年廃止

のようでした。

青山病院と呼ばれ、青山病院になる前は交通局病院と呼ばれていたそうです。

青山+病院で斎藤茂吉を思い浮かべましたが、斎藤茂吉の青山脳病院はちょっと場所が違って、青山霊園立山墓地の北東がその場所でした。

場所を池に限りなく近い場所に移動し、

まずは大江戸今昔巡りの江戸時代の地図からみてみましょう。

大江戸今昔巡り 1860年代

京都の山城淀藩 

稲葉長門守正邦 (1834~1898年)

Wikipediaによると淀藩は執政を取り仕切るのは藩主ではなくて家老で、藩主正邦と家老は意見が違えることが多々あったのだとか。

正邦自身は二本松藩からの養子。

幕末には京都所司代、老中を歴任という幕府の重要人物です。

京都所司代といえば雅楽頭系酒井氏(上屋敷は大手町の将門首塚、酒井家が祀っていた)酒井忠績のお墓って墓所代が払えなくて無縁仏になってしまうんだとか。幕府の最後の大老も行末は無縁仏となると、市井の私なんかは墓いらないんじゃないかと、まあ、こういうことは毎回おもいますね。
「天地を柩とし、星々を装飾品とする」みたいな。何度も譫言のように言ってしまうけど。

稲葉家ですが、鳥羽伏見の戦いでは、藩主である正邦は幕府要人の佐幕派、藩は新政府に恭順。

ただ藩が二分すればどちらか生き残ることができるということがありますから、どっちに転んでもいいように戦略でやっていたという筋も見えてきます。とにかくこの時代は人の命より家が大事という時代。

稲葉正邦は明治維新後に神道に傾倒し、そちら方面で活躍。

池は稲葉邸の庭園の池だったということがわかりました。
数年前は池のほとりまでいけたようですが、現在は立ち入り禁止。

琵琶池です。

いつか再整備して、案内板を付ければ江戸幕府開闢以来400年、由緒正しき大名屋敷のお庭の池。そのあたりを掘って造った池とは訳が違います。有効に活用して欲しいです。

明治時代後期

明治時代後期

琵琶池は大きいですね。

江戸時代は老中稲葉家下屋敷の庭園の池として立派だったことでしょう。

大抵の大名は明治維新後はどこかに移転するのですが、稲葉邸が残っているのが意外です。

稲葉正邦は明治31年没なので、この地図あたりでの没年となりますが、明治維新後は神道に没頭した人らしく、お屋敷近辺に鳥居のマークが二つ。

池の周りを囲っているのは、なんと都電の運転手さんの運転の練習場だったようです。

かつての自分のお庭の池の周りを都電が走る。胸中はいかに。

北側に高崎邸という表記があります。

薩摩藩士 高崎五六 とおもわれます。

大久保利通に用いられ、岡山県令、元老院議員、東京府知事。
あまり有名な感じがしないのは、明治維新前は薩摩藩の主流派ではなかったからなんだとか。調べた所、高崎家は現在も存続しているようです。

大正時代関東大震災前

稲葉正邦亡きあとも稲葉家は存在します。

後継ぎは稲葉正縄 1867~1919年

ですが、この時代にはすでに亡くなっているころかなとも思います。

東宮侍従
子爵
式部官
宮中顧問官

を歴任 宮内庁関連の役職についていたようです。

昭和戦前

昭和5〜10年

地名が青葉町となっていますね。

なるほど、青山と稲葉を組み合わせて青葉。

すでに病院のようなものがありますが、これが交通局病院か。

戦後高度経済成長前夜 1955年ごろ

このあたりは空襲でかなりやられた地域だったようです。北東の大山邸も全焼、NHKの古地図で見る東京大空襲でも戦災焼失地域と表示されています。

1945年5月25日の山手大空襲 今も表参道の灯籠は焼夷弾の跡が残っていると伝わっています。人通りが多く栄えている表参道もそういった歴史があるんですね。

バブル期1990年代

青山病院ができたのは東京オリンピック後、池は小さくなったものの潰さなかったようです。

https://www.kyodo-aa.co.jp/topics/2019/aoyama/


病院跡は2021年東京オリンピックの際の駐車場。
知事は盛んにレガシーレガシーと仰っていましたが、ガチのレガシーは目の前の池だったということを書き残したいと思います。

一足遅くて琵琶池に立ち入ることができなかったために画像がなく多少消化不良気味ではありますので、

妄想ついでに再建計画を。

まずは琵琶池を生かして日本庭園っぽい池にし、稲葉家にならって祠を2つ、一つは水のある場所ということで弁天様でしょう。

あと一つはなんだったんでしょう・・・・

と、調べた所、京都の淀に稲葉神社というのがあるらしい。

この神様は、稲葉家の祖、稲葉正成公で再婚したのが徳川家光の乳母となる春日局。関ヶ原の戦いで武功が認められ、栃木県真岡の初代城主となり・・・

えー!!!真岡の城主??おらが村の殿様じゃないか!!
衝撃・・・・

そういえば昔々、母親が春日局春日局って連呼してて、なんの関係があるのと
思ったらこれか!!

うーん、凄い、興味深い。

稲葉邸の二つの祠は弁天様と稲葉様ということになりました。

終わり。




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