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【中央区】アーティゾン美術館近辺

旧ブリヂストン美術館に行ってまいりました。
東京駅の八重洲口になります。

背面がアーティゾン美術館

現代の地図

碁盤の目のような区画。
東京でこのような区画は珍しいです。
東京ミッドタウン八重洲は2023年グランドオープン。

明治初期

華のお江戸は八百八町、そのど真ん中に位置するのがこのあたり。
江戸時代の地図をみると現在地は越前屋。
現在地の向かいに越前屋ビルと手芸の越前屋がありました。

周辺をみると大工町、数寄屋町、呉服町、鍛治町、具足町、畳町、塗師町、桶町、鞘町、大鋸町どの職人町だったことがわかります。
江戸城ほどちかくにあるし、江戸城御用達だったのでしょう。
それらは明治になり徳川の威光がなくなったことにより産業が衰退し地名のみが残ったのではないでしょうか。

八重洲は東京駅の裏口にあたりパッとしない印象ではありましたが、江戸時代はお城直下の町人街で栄えていたことがありありと見えます。
北町奉行所も近いですし。
あの時代劇の世界は当時の都心も都心の話だったとは。

明治時代末期

八重洲橋ができてます。
八重洲橋の寿命は短くて
1884年 明治17年 架橋
1914年 大正3年 取り壊し

30年

1925年 大正14年 再架橋
1948年 昭和23年 外堀埋め立てで取り壊し。

23年

まあ短いってほどでもないか・・・


大正時代 関東大震災前

関東大震災前のこの地図からは八重洲橋が姿を消している。
関東大震災後に再架橋。


昭和初期戦前

○ 地名が変わっていますね。そして関東大震災後の復興計画で八重洲通りが出来ています。昭和4年完成。

○ 高島屋と丸善ができています。 1933年 昭和8年開店

戦後高度成長期前夜

○ 戦後は八重洲と京橋というくくりになったようです。
1952年にブリヂストン本社にブリヂストン美術館開業。
このころからあるんですね。
ブリヂストンは1931年 昭和6年創業の世界最大級のタイヤ製造ゴム加工会社。

ブリヂストン創業者の石橋正二郎の子孫は政治の世界にも食い込んで、鳩山由紀夫と鳩山邦夫の祖父でもあります。

○ 東京駅に大丸ができています。京都の呉服店発祥の百貨店 この時期は東の三越に並んで西の大丸と呼ばれたようです。現在は松坂屋と吸収合併。

私には馴染みがないですが北海道出身の奥さんには大丸は札幌一の百貨店だそうで、なにかにつけて大丸大丸といっています。

バブル期

東側に 中央区立城東小学校 がありますが、この地が東京ミッドタウン八重洲となったあとも、その1~4階に学校がそのまま入るという荒業。
スゴイ。母校が商業ビルってインパクトが大きい。
まさに都心も都心の小学校。いったいどんな人達が通っているんだろう。


こちらからはアーティゾン美術館の内部

石橋正二朗さん 1889~1976

橋 ブリッジ 石 ストーン でブリヂストンというのはあまりにも有名な話。

「世の人々の楽しみと幸福の為に」

沢山の美術品ありがとうございます。



当時やっていた展覧会 この記録映画の脚本を娘の曽祖父がバイトで書いたのだとか。(奥さんの祖父なので私は血縁ありません)


同時にやっていた現代美術家の山口晃さんの展覧会

ここへきてやむに止まれぬサンサシオン

驚愕でした。スゴイすごすぎると思ったと同時に、あまりにも突出しているので生きにくいんじゃないのかな、大変だろうなとも思いました。

後ろの絵は皇居(江戸城)を中心として新旧の絵が描きこまれています。

この画は東京時層地図と非常に相性が良いです。

題名は東京図。浅草の凌雲閣や江戸城天守閣や青山練兵場や国立競技場や六本木ヒルズが時代を越えて絵描かれていました。

モスキートルーム なにやら楽しむ為の技法が書いてあったのですが、全面白壁だと私の飛蚊症がひどくてもう大変です。

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