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選択肢を減らすのも悪くない

2ヶ月以上のSTAY HOMEの自粛生活。

当初は不自由に感じつつも、次第に「悪くないな」と思えてきて、後半は「むしろ快適」、そして終わる頃には「ちょっと名残惜しい」気持ちにもなっていた。

なんでだろう。

様々な要因が考えられるけど、ひとつは「選択肢が減った」ことではないか。

「ゴールデンウィークに何をしよう、旅行に行こうか、国内か海外か、安くて快適なエアラインはどこだ?」
「いや、久々に実家に帰省しようか、何泊にしようか、手土産は甘いものがいいか、つまみがいいか。定番のひよこがいいか、それとも珍しい限定チーズケーキがいいか。」
「まてよ、もしかして友人からバーベキューのお誘いがあるかもしれない、もう少し予定を決めるのは先にしよう。」と、続く…

しかし、そんなことは今年は一切考える必要なし!
STAY HOME一択だ。

平行世界で自粛のないゴールデンウィークを過ごしたら

でも仮に、今年も自粛の必要がなかったとして、帰省を選んだとする。
家族と楽しい時間を過ごし、久々に親孝行して自分の選択に満足していたとしても、タイムラインに目をやると、友人の楽しげな海外旅行の写真。
もしかして自分もエーゲ海を眺めながら、ビールを飲んでいたかもしれないと思うと、帰省の達成感も下がってしまう。

実際はもちろん、そんな思考に陥らないように、自分で納得の行く選択を行うためにベストをつくすのだが、選択肢が多ければ多いほど、選択をすること自体がストレスになってくる。

心理学者のバリー・シュワルツの言う、選択のパラドックスだ。

選択のパラドックスとは

一般的には自由とはより多くの選択肢から自分の意志で選べることだが、選択肢が増えることで、かえって人は無力感を味わうことになる。

選択肢が多いことの弊害

として

・選択することのハードルが上がり、ついには選ぶことを先延ばししてしまう。
・選ばなかった選択肢のことが気になり、満足度が下がってしまう。
・以前は満足できていたことが、自由度が増えたことで期待値が上がりすぎてしまい、いつも満足できない。

もちろん自由であること、選択肢が多いことは、それだけ自分にぴったりなものと出会うこともできるわけで、良いことだ。

窮屈さを感じること無く、かといって多すぎない選択肢がある状態が理想的なのだが、すでに与えられている選択肢を自ら減らすことはなかなか難しい。

今回の自粛生活では図らずも「外出する」「友だちと会う」ことの制限をかけられたことで、選択肢が狭まり快適に感じたのではないだろうか。

そう考えると、テレビを手放すメリットや、スマホを見ない日を作るなどのデジタルデトックスも選択肢となる情報を減らして、時間も手に入れられる有効な方法なんのだと改めて思う。

大事だな、余白って

ちなみに、私は自粛中、毎日早起きをして窓を開け、鳥のさえずりを聞き、ラジオ体操をして、掃除をし、お茶を淹れ、断捨離もして、部屋には緑が増えた。週末は配信で映画を観て過ごす。自由度は減ったはずなのに、幸福度は増したのでした。

選択肢を減らしてできた余白のところに、幸福を見つけた感じ。
余白って大事だな。

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