ブラックパレード

「つまり夭逝して顕彰されたいんだ」
……私は目の前の友人から視線を落として右手で頭を抱えた。小学校以来の友人がここまでおめでたい奴だと言う現実を受け入れたく無かったからだ。
「おい、聞いてるのか?もしかしてもう酔ったのか?」
その台詞はこちらが言うべきでは?そう思い顔を上げてもアイツは相変わらずいつもの真顔で酔っている素振りがなかった。お願いだ酔っていると言ってくれ。
「……自分の言っている事を理解しているのか?」
言外にこのビジネス街の一角にある安い居酒屋で話すような事なのか?という意図を込めて、私は額に当てていた手をハイボールが注がれているグラスジョッキに移しながらそう聞いた。
「もちろん、むしろ何処がおかしいんだ?文学なら芥川龍之介や太宰治、音楽なら尾崎豊やhide、天才は皆若く死に伝説になるんだ」
そう言ってアイツは自らの前にあるからになったグラスの森から、まだ半分程残っているレモンサワーを見つけ出してそれを飲み干した。
「そしてお前はその列に加わると?」
コイツは馬鹿みたいに飲むが、潰れた所はおろか酔っ払い特有のテンションのような物を感じたことはなかった。この突拍子もない話も恐らく酔いからではないのだろう。
私は掴んでいたハイボールを一気に飲み干した。コイツが酔わないなら私が酔うまでだ。
「……まず前提がおかしい。彼らは優れた作品を世に残した、その実績があって讃えられている。お前にそう言った物があったか?」
小学生来の付き合いだがコイツの思考は突飛で極端だ。ただ記憶をたぐり寄せてもこのような会話をした覚えは無かった。
少なくとも我々は大して特別ではない大学を出て、有名でもない企業に就職して3年目の24歳一般人だ。大学を中退して起業した訳でもなければ、壮絶な差別を受けた訳でもない。
そもそも彼らに比べれば実績なぞ完全に“ない”だ。
「そうでも無いぜ、我々は”創作者”だ。共に文学賞に応募していて名前ものってる」
コイツはこちらを見ずにテーブルに併設されているタッチパットを操作しながら返してくる。コイツまだ飲むつもりなのか。
「たかだか佳作として名前がのっただけだろう。それに私はともかくお前はいつの話をしているんだ」
私はそれなりに作品賞に応募をしているがコイツが入選したのはもう何年も前だ。それ以降コイツが作品を書いている所は見ても、完成させている所は見た事がない。
「もう6年も前かあ、あん時はまだ大学生で若かったなぁ」
「なにが若かっただ。我々はまだ今年で25だ。これからだという時に作品を上げなくてどうす--」
--失礼します。
声が聞こえて振り向くと女性の店員がハイボールジョッキを2杯持っていて、それをおいてから我々のテーブルにあったから空ジョッキ6個を一度に持ち戻っていった。
呆気に取られているとアイツが頼んだ覚えのないハイボール1杯を此方に向けてきた。どうやら私の知らぬまに私の分も頼んでいたらしい。意外とこういう所で気が利く男だ。
酒に続いて複数の肴もテーブルに並び始めて自然と会話は一旦の小休止となった。
私はハイボールを片手になんの気無しに周囲を見渡した。この店は値段の安いチェーン業態の居酒屋で、学生のうちは大学の近くにある同じ系列の店にお世話になっていた為、今日初めて来た気がしなかった。
だが学生街にあったあの時の店では同年代の大学生がひどく煩く、言ってみればカオスな空間であってそれが私には気に入らなかった。
だがこの店はビジネス街に隣接していてスーツ姿が目立ち、年齢の幅も広くかつての店程は煩くもない。あの時よりもそれなりに整然としてゆっくりとした時空が流れていた。
ふと目の前のボンクラが言った「若かったなあ」の一言が頭を過りなんとも居心地が悪い。
「話を戻そう、夭折して顕彰されたい、だが作品は完成を見ない。それでは顕彰されるわけないと思うんだが?」
食事を中断して今度は私から口火を切る。これは八つ当たりでは無い。
「確かに何かを残さないと顕彰はされないだろうね」
コイツは何でも無いように話し続ける。
「だがそもそも小説は文字しか使えず表現の幅が小さだろ?今の世の中それじゃあ顕彰されないと思うんだ」
また出たよと心の中で独りごちる。
長い付き合いだからわかるがコイツは小説を馬鹿にしているわけでは無い。単に小説が自分の中で“来て”いないのだ。
飽き性であるコイツは色んなものに手を出す。共にの小学生の頃から文を書いていて、私の創作物は文章一筋だが、この男は中学時代に音楽、高校時代に映像と節操がない。
「で今度はなんなんだ?」
呆れながら聞き返す。
「今はゲームを作っていてそろそろデモ版が出来そうなんだ。今度送るからやってみてくれ」
そしてまた“デモ”……つまり習作である。コイツのデモテープ、デモムービー、そしてデモゲーム……。私はそれらの鑑賞を(半ば無理矢理)させられて、確かに光るものはあったがそれらの“完成”をみた事は終ぞなかった。今回のゲームも“完成”しないのだろう。
「デモ版ねぇ……。やってはやるよ、完成は期待してないがね」
コイツは器用だ。全く新しいものを触れてそれなりに形に出来上がる。でもそこまででその先はない。
「おいおいそりゃねえだろ。今度はちゃんと完成させるって」
笑いながらコイツはそう答えた。
「どうだか、せめて完成させた経験がある小説に戻ってやり直しては?」
私の方はそれなりに何度か名前が載り、無署名のライターとしての仕事も少数だがもらえていたのだ。
正直な話、私が末席に名を連ねるならコイツならもう少し食い込めると思っている。言う気は無いが。
「わかってねえなあ、音楽には詩、映画には台詞、ゲームにはテキストと全てに文は不可分だ」
論点はそこでは無い、完成させろだ。と言いたいが何を言っても無駄だろう。
「いいか、今度はちゃんと完成させてクリエイターとして名を売るぞ。2作目はお前が脚本を書いてもいいんだ」
取らぬ狸の皮算用を飲みの場で提示してくるうさんくさい友人、そういう奴だコイツは。
「せいぜい期待しないで待ってるよ」
そう言ってハイボールを飲み干す。
「そもそもの話だがなぜ夭折しなければいけないんだ?長く生きて作品を作り続けて名を残せばいいじゃ無いか」
酒の席では話が前後してとっ散らかるなあと思いながら最初の話の疑問点をつく。
「未来はわからないだろ?長く生きたら晩節を汚した、だの、一発屋だった、だの言われかねない」
そう言うとコイツは少し身を乗り出して続ける。
「伝説は死んで伝説になるんだよ、死で完成されるんだ」
ふーむ……一理がない事もない、か?
「だが“夭折”となると20代ないし30代前半くらいまでだろう?今から5年かそこらで伝説が作れると思ってるのか?ずいぶん甘い見通しじゃないか」
才能より成果物の問題だ、特にコイツの場合は。
「むしろ俺からすると今から20や30年先まで絶対に生きているかのように語ることの方が甘いだろ」
現代の日本では違和感のある考え方だ。
「まさかと思うが死ぬ予定でも入ってるのか?」
「残念ながら健康そのものだ。そもそも病弱なら大学時代から月1でお前と飲んでないだろ」
まあそれもそうだ。さっきから私の3倍は酒を飲んでいる奴が死に掛けのわけがない。
「刹那的世界観だ。私はそうは考えないな」
「真逆だろ。永遠に残る事こそが目的なんだ」
酒に呑まれて禅問答と化していないか?
「作品を残したいのか名を残したいのかどちらを考えている?」
「両方に決まってる。そもそもお前はなんで作品を書いているだ?」
そう言われて酒に呑まれていた思考が戻る。幼少の頃から書き続けてきてあまり考えた事がなかったからだ。
「……何故だろうか。見たもの、聞いたもの、考えたものを残したいからか?」
「いや、俺に聞いても答えは出ないだろ」
「生きる事に直結していて考えてこなかった。私は残したいから書いているのか……」
「一般的にはそうなんじゃね?最も俺からするとお前はそうじゃねえとは思うけれどな」
コイツはそう言うとまたサワーを飲む。珍しく目が座っている。
「さっきはわからないと言っていなかったか?」
「そうじゃねえ、答えは出ないと言ったんだ。だが俺の考えはあるんだよ」
違和感がある。コイツはそういう事を言う奴だったか?
「じゃあ聞かせてくれ」
私は酔いの中で聴覚神経をなんとか奮い立たせる。
「“自分の物”にしたいからだよ」
……あまり腑に落ちない。書く事がどうして自分のものにすることになるのか?
「どうして書くことが自分のものになるんだ」
「お前は書くことによって自分をその物に入れ込むんだよ。そして自分の一部にする。そうして世界を“自分の物”にしようとしている」
「だが俺は違う。世界は他人だ。だからこそ顕彰に意味があるんだ」
コイツが言っている事は真実なのだろうか?私はにわからない。だが間違っているとは決して言えない何かがあった。
思えば全く違う考えを持つ人間が何故友達になったのか?
「それは全く違うから友達になったんだろ」
どうやら言葉が口から漏れ出ていたようだ。アイツは私が限界である事を察して伝票を持ってテーブルをたった。
アイツの訃報を聞いたのはそれから3年の月日が経った初夏の事だった。
当然私はもう28になっていて、そして相変わらず小説を書き続けていて。その間に意外にもアイツはゲーム制作を続け、デモ版は徐々にブラッシュアップされていっていた。
私の方もやっとある公募の新人賞に名前が載り、本業の傍ら誌面への掲載に向けてお互い充実した忙しい日々を過ごしていて、そしてその中で会う回数も次第に減っていった。
最初の方は1ヶ月に一回だった飲み会も2ヶ月に、3ヶ月にと徐々に間が開いていき、情報交換のオンライン通話も徐々に回数が減り続けた。
だがそれでも、お互いの作品の進捗があればそれを見せ合い、褒めたり貶したりを繰り返す。そこには幼なじみという一般的な関係より、創作者の紐帯といった物がアイツと私をつなぎ止めていた様に思う。
訃報を聞いた私は新人賞作品の打ち合わせを何とか後ろ倒しにして、東京から数時間列車に揺られ地元に帰郷する事になったのだ、アイツの為に。
アスファルトとビルと人の群れで出来上がっている東京から、木と田畑しか無い茶と緑の地元へ。車窓から見える建物の高さは下がり、人も減り、田畑が見えてくる。
そのような景色にノスタルジックな気分にはなるが何故か友を失った悲しみが無い。薄情者だな。
通夜の当日は地元の友人が来るかと思いきや、誰一人として来ない。薄情者ばかりかと思えばどうやらアイツは地元の友人との縁をほぼ切っていて、上京してからは私が唯一の友人であったらしい。つまり薄情者はアイツであったわけだ。
芳名帳に記入を済ませて待合の椅子で一息つく。アイツの死因は事故死“らしい”。“らしい”というのは直接誰かから聞いたわけでは無く、会場で誰とも解らない、おそらくあいつの親族だか同僚だかの話が聞こえたからだ。
暫くそこで待っていると会場で一人浮いていた私を見かねたのか或いは好意なのか、アイツの両親は私を家族側の参列席に座らせて色々と話を私に振ってくれた。
アイツの両親は私とアイツが地元で遊んでいたときの話ばかりしていた。どうやらアイツが未だに創作を続けている事は知らない様子だった。
何故アイツは死んだのかを聞きたかったが、時々すすり泣きする母親と目を赤くした父親を前にしてはさすがの薄情者も聞けない。
そうこうしている間に通夜は始まった。
僧侶がやってきて経をあげ、そしてつつがなく営まれていく。会場は厳粛な雰囲気が支配する。
鳴り響く仏具の音と僧侶の読経の中で、私は余りにもあっけなく、そしてどこか当然のように逝ってしまったアイツの事を考える。何故当然と考えた?
思考がおかしい気がしてきた。今日ここに来るまで私は悲しいだとか寂しいだとかそういった感情を持たずに来た。
アイツとの記憶が映写機の映像のように一瞬一瞬がコマ送りで流れていく。私はここに来てアイツが夭折し顕彰されたいという話をした、あの日の事を思い出したのだ。
アイツの顕彰されたいという願いは成就されなかった、しかもこれは最悪の形だ。夭折するという方は叶ってしまったのだから。
何故あの時アイツはそのような事を言ったんだ?まさかこうなる事が見えていたからか?だがまだ何もなさずに逝くのはおかしいのでは無いか?何故生きたいと願わなかったのか?
記憶の濁流にのまれていて気づけば通夜は終っていた。通夜振る舞いは無く、葬儀は親族のみの予定のはずでつまりはこれでおしまいだ。余りにも呆気なく。
式場の入り口につくとアイツの両親から声をかけられた。よかったら葬儀の方にも来てくれないか、その方がアイツも喜ぶだろうという話だった。
私は首を縦に振った。
翌日のため、東京には帰らずに実家に帰ったが誰とも何も話したくなかった私は二言三言話すと直ぐに寝てしまった。
葬儀のは快晴だった。それが何となくイラついたが、雨が降って欲しい訳でもない。式場に来るともう準備は済んでいてアイツの両親が私を待っていた。
アイツは一人っ子で核家族の家庭、つまりアイツの両親と私だけのささやかな葬式だ。気持ちの整理がつくかと思ってここに来たが想像以上に段取りが多く、人が少ないからか時間の過ぎるスピードが早く感じる。
忙しさという物は思考を妨害するので葬儀はもしかしてあえて忙しくして悲しみを考えなくさせるためにあるのでは?そのような事を考える間にもう出棺の時間となってしまった。
最後に棺の窓からアイツの顔を覗く。月並みの表現だがまるで眠っているかのようだ。饒舌でぶっきらぼうなアイツのこんな表情はまず見る事が無かった。
会場を出てすぐそばの火葬場まで式場の人間を除いてわずか3人の葬列が晴天の中を歩く。そこでは何一つ考えがまとまらずにただただうっとうしい太陽に光に目を押さえていた。
火葬場に着くとスタッフが待っており、ボイラー室に案内される。中は大理石で出来たモダンな作りになっていて、ボイラーの扉はまるでエレベーターの扉のようだった。
その扉が開き正に焼け焦げたエレベーターの個室のような空間に棺が収まる。アイツの両親は泣いている。私はただただ不動だ。
火葬の間は1時間弱、その間私は一人南に上がった太陽に照らされながら待っていた。
奴の願いは叶ったか?そんなわけは無い。ただただ死んだ。もし神がいるならそれはなんとも残酷な神で、願いを中途半端に叶えていったのだ。
最も私は神を信じていない。しかしそれなら何故葬式に来たのだ?何故死を必然だと考えながらここに一人たたずんでいるのか?
結局答えは出ず、アイツの両親にもたいした話は出来ない。心底人でなしだなと思う。
納骨が終わり近くの墓地に埋葬するまで、つまり私は最後まで付き合いながらも結局の所別れという物を理解出来ずにいるのだ。
それでも私はアイツとの別れを済ませた事にして東京に戻った。勤め先からは有休が出ているが明日の出版社との打ち合わせの予定はずらせない。
忙しいときに逝きやがってという文句が頭の中に出てきたが、言う相手はもういないのである。子供が振り上げた手をどのように下ろすべきか解らなくなったかような気分だ。
東京の自宅に着いて、マンションの入り口でしばらく見てなかったせいでたまった郵便物に気づいた私はポストを開いた。雑多なチラシや広告やらほぼ見る価値がないと思っていると大きめの封筒に目が止まる。
差出人はアイツだ!消印を見るとアイツが死ぬ3日前に出されている。おそらく家を出る前には届いていたのだろうがそれに気づかなかったのだ。
部屋に入って封筒を開けるとディスクが入っていた。表面は金色に塗られている。早速PCに入れてみるとそれはアイツの作っていたゲームだった。金色に塗られたディスクという事はおそらくこれは”完成品”なのだ。
もう一度封筒を見ると他には紙切れが1枚だけ入っていた。
「これで顕彰する気になっただろ?」
そう短く雑に書かれた紙を持ち私は立ち尽くす。きっとアイツはまず私に完成を知らせてゲームをリリースする予定だったのだろう。アイツのゲームの配信サイトに接続するとまだ配信日未定の文字があった。
途端に目頭が熱くなり、そして立ちくらむ。私は離別の意味を東京に帰った今更理解していた。
一歩だ。たったこれだけの成果物だが奴の願った道への一歩がこれだ!踏み出せられなかった一歩だった。私はふらふらと立ち上がり礼服をハンガーにも掛けずにベットに倒れ込んだ。最早シャワーを浴びる気力も無い。
アイツは才能があった。だがその才能を持て余して何も完成しない男でもあった。そして才能を持った男がいたという事実は私しか知らない。顕彰されず忘却されるのだ。
私よりアイツの作品が新人賞作品として紙面に載ればよかったのだ!そのようなアイツの作品など最初からこの世に無いのだがそう思わずにはいられない。
ベットに突っ伏していたが苦しくなって顔を上げる。pcの光が目に入る。そうだアイツの遺作はあるのだ。ただ私の手の中に。
身体を起こして机に座り直した。何度もデモ版で触っているので内容は頭に入っている。私はゲームでは無く文書作成ソフトを立ち上げる。自身のデビュー作になるはずの作品が表示されるがそれをどかし、新規作成を押してまっさらなページを写す。
全く、この忙しい時期になのをしているのだと、脳内の私がささやくが最早止まれなかった。アイツのゲームタイトルを表題に書き、主人公の名前をアイツの名前にした。
この文は残るかどうかは解らない。私は新人賞だけで終わる一発屋かもしれない、天才達の末席を汚す物書きかもしれない。そもそもこの作品が表に出るかどうかも解らない。
だがどの文が残るかなど誰が決められようか。書かれなければ残らない。それだけは確かなのだ。
私はアイツの創った鮮やかな世界を綴るのだ。

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