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ミャクミャクに見る「かわいい」の純粋形

 「かわいい」という概念をかき乱す存在が世間を騒がせている。2025年に開催される大阪・関西万博の公式キャラクター「ミャクミャク」だ。ビジュアルのインパクトは、奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」に匹敵する。その造形的な特徴と、「かわいい」という概念の関係を考察したい。

「かわいい」とは?

 「かわいい」は、多くの人にとって、小さいものや幼い者をいつくしみ、愛らしく思う気持ちを表す言葉である。特徴としては、二頭身か三頭身で、顔立ちは丸っこくて柔らかそうで、目鼻の位置は下方に寄っている。庇護欲・所有欲をかきたてる、赤ちゃんや幼児のような外見が「かわいい」のだ。人間の赤ちゃんに限らず、どんな凶暴な猛獣でも子どもの時期はかわいい。それは、単独では生きられない小さく弱いものの必然である。かわいくなくては(守りたいと思ってもらえなければ)、生き延びることができないからだ。

ゆるキャラの定義を逸脱した「わけのわからなさ」

 賛否両論になることは無く、おおむね万人から「かわいい」という評価を得た、ゆるキャラの「ひこにゃん」や東京五輪のマスコットキャラクター「ミライトワ」「ソメイティ」などがこのタイプだ。プラトンが提唱した美のイデアのように、「かわいい」という概念にも普遍的・絶対的な形があるのだとしたら、このような造形なのかもしれない。せんとくんは、そのような「お約束」から逸脱したリアルな風貌だったために、「かわいい」が前提条件のゆるキャラとしてはどうなのか、と物議を醸した。

奈良県公式ホームページ https://www.pref.nara.jp/36906.htm より
こんなお茶目なポーズがあったとは!


 では、ミャクミャクはどうか。否定派の声は、「怖い」、「気持ち悪い」、「グロテスク」、「妖怪のようだ」と散々だ。せんとくんとは異なり、リアルか否か以前に、これは何なのかという疑問が湧くのだ。手足があるのでヒトを象った何かのようだが、どこが顔でどこが頭なのか、なぜ目が5つもあるのか。実体が何なのかわからないのだ。このような「わけのわからない」存在に、気持ち悪い、怖いという感情を抱くことは自然なことだろう。公式サイトには、ミャクミャクは「細胞と水がひとつになったことで生まれた、ふしぎな生き物。その正体は不明」(註1)と記されている。多くの人が「わけがわからない」という印象を持ったのは、製作者の狙いどおりなのかもしれない。

カント的“関心を伴わない”趣味判断

 一方で「かわいいと思う」という声も少なからずあり、実は私もその一人だ。しかし、なぜかわいいと思うのかを自問してみても明確な理由が言語化できない。「かわいい」とは思うけれど、いつくしみ愛でたい、守ってあげたい、という対象ではないのだ。強いて言えば「なんとなく愛嬌がある」ぐらいだろうか。公式サイトでは、ミャクミャクの造形について次のように解説している。
 「赤い部分は『細胞』で、分かれたり、増えたりする。青い部分は『清い水』で、流れる様に形を変えることができる。なりたい自分を探して、いろんな形に姿を変えているようで、人間をまねた姿が、今の姿」(註1)。

走るミャクミャク
かわいい!と私は思う

 これは、「この姿形はいったい何を表現しているのだろう」と興味が湧いて調べてみて判ったことだ。つまり私自身はこの形状が何を意味しているのかを知らない段階で「直感的」にいいな、と思ったのである。カントの言葉を借りるとすれば、純粋な趣味判断だ。〈いいな!という感じ〉には、なんの関心も伴わない。それが本当はどういう物かなんてどうでもいいのだ。

 賛否両論のキャラクターは、よく「きもかわいい」や「ぶさかわいい」といった造語で表される。気持ち悪いけれどかわいい、不細工だけれどかわいい、という意味だ。「美しい」と「かわいい」は、異なる感情として使い分けられているが、昔は今でいう「かわいい」が、「うつくし」ということばで表現されていた。「美しい」の反対の意味を持つことばは「醜い」「不細工」「気持ち悪い」などであり、これらは「かわいい」の反意語にもなりうる。「美しい」を否定する概念を取り込んで肯定へもっていったのが、ミャクミャクに向けられる「きもかわいい」なのである。
 万博開催まであと3年、その間に否定派の人も見慣れて、嫌悪感も薄れていくだろう。せんとくんがそうであったように。

マンホール蓋のデザインにも!

(註1)大阪・関西万博公式キャラクターについてhttps://www.expo2025.or.jp/overview/character/


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