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1996年. 夏. Rochester MN

期待と緊張で到着したミネアポリス空港。今はなきNorthwest航空に乗り、全国から集まった10人の看護師の最年少メンバーとしてアメリカに降り立った。これから1か月、海外研修プログラムに参加するのだ。

入国審査の長い列の先に待っていたのはお迎えの現地担当者。「発砲事件があったからぁ、審査に時間がかかったでしょ~」の一言とその背後に見える広大な墓地。あの景色と冷や汗は忘れられない。エライところにきちゃったなぁ。この先の1か月、通訳なし、英会話は付け焼刃、楽しみを忘れさせてくれる不安に襲われながら、Rochesterに移動するバスに乗り込んだ。

テレビの世界ってほんとにあるんだ

今では想像もできないけれど、その当時の日本の病院では看護師さんは当たり前にナースキャップをかぶり仕事をしていた。白いストッキングも履いていた。その2つがない医療現場はありえない、と思っていた。だから、アメリカの医療ドラマのERを見て、こんなにカッコイイ医療現場はテレビの世界だけと思っていた。

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初日の全体オリエンテーションを受け、渡された個別スケジュールの多さに気が遠くなる。一人で病院間を移動し(バスで数分移動もあり)、約束時間に病棟やオフィスに到着し、スケジュールに書いてある担当者に会えなければスタートしないのだ。

選考結果が来たのが出発の4か月前。と、同時に始めたプライベートの英会話レッスンの初日に、先生から何でも質問して、と言われ。「How old are you?」と聞いたら、「初めて会う人に年を聞くもんじゃない!」と本気モードで言われた。(聞いていいって言ったよね・・・)能力を理解した先生が最初に選んだ教材は、先生の3歳になる娘さんのビデオと絵本・・・・。

さらに先生のレッスン中は辞書を引いてはイケナイ。先生曰く「ダッテ、通訳ナシデ病棟ノ研修ダカラ、イチイチ辞書ヒイタラ、何モデキナイデ終ワッチャウヨ」と。確かに、この先生の読みはかなり的をついていて、度胸と根性と少ない単語で話す力をつけてくれた。(先生、ありがとう)

さて、病院での研修に話を戻そう。

超・超・超緊張しながら、個別スケジュールに書かれた、がん専門病棟に到着する。担当してくれる看護師を待つ、深呼吸をして、香水と薬とプラスチックの混じった匂いを胸いっぱい吸い込むと、ようやく周りを見渡す余裕が出てきた。キョロキョロ。

ん?ジョージ・クルーニーよろしく、濃いめの顔立ち、ノア・ワイリーのようなあどけない新人さんもウロウロしている。あれ???ここは、ERの撮影現場でしょうか??緊張しながらも、日本では見たこともない素敵なドクターを眺めながら、いい気分になっていた。テレビの世界って本当にあるんだ。しかも、研修で訪問している人に優しいから声をかけてくれる。みんなが笑顔で「ハァ~イ!」すっかりいい気になって、挨拶をした3人目で担当者が到着。流れるようなネイティヴスピーチを聞いて、現実に引き戻された・・・ワカンナイ。やっていけるんだろうか?不安が再び襲ってきた。

わからないなら、引き寄せてみな

最初の1週間は、音に慣れるのに必死だった。単語を追いかけようとすればするほど、目の前を英語が流れていく。
困ったなぁ‥でも病棟でマンツーマンで説明を受けると、もっと知りたくなる。説明済みかもしれないけど、この担当者を独り占めできるのは今しかない!と思った時に、気がつけば単語を並べて質問していた。
「癌患者さん用の痛み止め(モルヒネとか)の管理ってどうしてるの?」
たしか、そんな質問だった。
そうしたら、後ついてこいと言うので、ついて行くと、ナースステーションの薬品管理庫だった。薬の管理方法について話しているのだから、何を話しているのかもわかる。
「❗️❗️❗️❗️❗️」
うわっ、見たいもの見せてもらえた!話もわかるぞ!
そこからは、質問したら自分が知りたい情報を教えてくれるんだ!と、とにかく質問。通じない時は、頭の中の単語カードをシャッフルして再度挑戦。3回も繰り返すと、さすがに相手も何を言いたいのか、わかってくれる。 そうかそこか。自分の聞きたいことに話を引き寄せると理解しやすいんだ。

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やりたいことの先にあるもの

個人スケジュールは続く。がん専門看護師、小児専門看護師、外来のフロア担当師長、次から次へと見たいもの、知りたいものを教えてくれる。そして、私の質問作戦も着実に実行していく。

一人一人に向き合っていくと、必ずその看護師さんがどうやってそこ(専門分野)に辿り着いたか、という話になった。

ある麻酔看護師のトップの男性は「僕はね、海軍の衛生兵だったんだ。衛生兵は看護師の指示で動くでしょ。その指示を出す看護の仕事が気になったんだ、だから看護学校にチャレンジして、卒業するころに看護学部に編入した。看護の仕事をしだしたらね、医師と同等の仕事をこなす麻酔の専門看護師に興味をもったんだ、それで修士に進んで麻酔の仕事ができて、本当にHappy!」と話してくれた。*簡単に話していましたが、麻酔看護師になるのはとっても大変!

がん専門看護師も、小児専門看護師も、仕事が面白くて、もっと知りたくて、その先に大学院があり。臨床に戻ってみると、もっと自由に仕事ができるから、どんどん先に進んでいったら今になったのよ、と楽しそうに話す。

そっか、学んだら自由になるんだ・・

外科病棟で会った50代半ばの看護師さんは、控室で私にドーナツとコーヒーをすすめながら「私は定年になったらね、自分のやってきた仕事の集大成で大学院に行こうと思っているのよ。私が見つめてきた看護って何か、私は何をしてきたんだ、をまとめに行くんだ」と、これから行く旅行を楽しみにするかのようにワクワクしながら話してくれた。

そっか、その先の先に学びがあってもいいんだ・・・

ちょっと酸っぱくて煮詰まり気味のコーヒーの味とチョコレートたっぷりのドーナツ、そして控室の匂い。あの看護師さんが楽しそうに話す口元も、昨日のことのように覚えている。

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気づいてしまった

そっか、そっか。学ぶということは、大層なことではなく、やりたいことの先にあるものなんだ。アメリカで気づいてしまい、気持ちが高ぶった。

そして胸にストンと落ちた。それはどうもあの時以来わたしの胸の中に居場所を見つけてしまったようで、仲良くしている。だから、帰国後に看護学で学士を取るために論文を作成し学位授与機構に申請をしたり。無謀にも文学部の修士課程の倫理学に行き、出産・子育てしながら修論書いたり。博士課程に進んで満期退学したことも。ここまで書くと勉強大好きな人と誤解を受けるけれど、勉強は好きではない。学ぶことが好きなんだ。

昨年から自分の胸の中の何かがまた騒ぎ始めた。確かに、学ぶことを数年ご無沙汰していたから、そろそろだぞ!のサインだったようだ。そこから自分の気持ちに従い、あの時に感じた「そっか、そっか」探しを始めた。

阿部さんの「超言葉術」に出会い、言葉の企画2020に参加することを決めた。いま(この年で!)こんなに刺激を受けて、友達100人できて、産みの苦しみも楽しめることに出会えるんだろうか。全ては1996年夏のRochesterで気づいたあの時の感情からだ。

あの時の自分にこっそり伝えたい。

「これから先、もっともっと楽しくなるから自分を信じて!」

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