What's in your box?

私はずっと、自分の内側には様々なものが存在していて、そこに向けて手を深くまで伸ばしてみたら、何かが見えてきたりとか、何かが掴めたりとか、するんじゃないかと思っていた。そう思い込んできた。

でも今はその時間や余裕や機会が無いから、見えないだけなんだと。だから、お休みをもらったら、ブログとか、日記とか、たくさん書こうと思っていた。私の中にある「書くべきこと」たちを。

実際その「時間と余裕と機会」を手にしてみて、私は気づく。私の中には「書くべきこと」なんて無くて、そんなものがあるなんて幻想だったということに。自分の中に深く手を入れようとしてみても、上手く入っていかないし、何かがある感じもしないのだ。

少し前なら、それについて「自分なんて、からっぽだわ」と、落胆したのだと思うのだけど、今は、なんだかそれも仕方ないか、とため息を少しつくだけでそのまま、居られるようになってる。

What's in your box?

-I tried to looked into the box, but nothing was there.

では、からっぽな私は、からっぽなまま生きるのだろうか。それでいい、というのも一つの答えだと思う。「書くべきこと」なんてなく、そのまま私の「からっぽ」な人生は続く。それも楽かもしれない。

…でも、そこで立ち止まって思う。

ここからなんだ、と。「からっぽ」な私に気づいて、じゃあそれからどう生きるかが、人生なんだと。なんていうか、私は「からっぽ」なんだけど、でも私の人生はからっぽじゃないかもしれない。

2014年初夏。私は9か月の大きなおなかを抱えて、女神山にいた。「インタビューのワークショップ」に参加するために。

-インタビューの語源は「inter(相互に)+videre(見る)」だそうだけど、「二人の間に見えてくる風景」と解釈してもいいんじゃないかと思う。僕にとってのインタビューとは、その人の案内のもと、ある自然の只中に入っていくような体験で、執筆はその風景画を描く作業に似ています。-

(西村佳哲 インタビューのワークショップ ひとの話を”きく”技術と感覚をめぐる5泊6日 告知文より)

当時の私にはこの告知文が何故かとても魅力的に思えて、お腹をさすりながら参加の申し込みをしたのだ。


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