「成長」は何のため?から40代を考える

私は「成長したい」と思っていたことはあるだろうか?
ちきりんさんのVoicyを聞いて考えた。

ちきりんさんにとっての「成長」は
・生産性を上げること…それによって仕事を短い時間で行い、自分の好きなことをする時間を確保する
・「ダークサイドに堕ちない※」ようにすること…人生で自分の意志ではどうしようもない辛いこと、悲しいことが起こった時にも、人や自分を攻撃したりしない(ネグレクト含む)ようになる
と定義していらっしゃった。

※「ダークサイドに堕ちる」ことについての話はしばしばVoicyの中でお話しされていて、ちきりんさんが「人がダークサイドに堕ちるのは何故か?」「それはどうしたら避けることができるのか?」と考え続けていらっしゃることが分かる。

一方、私は「成長したい」と思った記憶はあまりないままここまでたどり着いている…今の私が「成長した」姿かどうかは疑わしいけれども、心身ともに一応、大人になっていて、それは何によってなのか?と振り返ってみた。

①直線的な成長の時代(~20歳くらい)
②問題対処による成長の時代(10歳~25歳くらい)
③獲得的な成長の時代(25歳~35歳くらい)
みたいな感じなのかなと。

それぞれどんな感じだったかというと、

①直線的な成長の時代(~20歳くらい)
身体的にも、能力的にも直線的に成長していた時代。わかりやすくできるようになることが増えていった…泳げるようになる、英語が話せるようになる、受験勉強で頑張る、など…時代。

②対処による成長の時代(10歳~25歳くらい)
問題や困難への対処で結果的に成長していた時代。病気だったり、不登校だったり、受験だったり、大学の単位だったり。

③獲得的な成長の時代(25歳~35歳くらい)
②と近いのだけど、その困難を自ら選択しているというのが大きな変化。副業だったり(なぜ本業ではない?と思いつつ…)、事実婚+出産だったり、資格を取るために専門学校に行くことだったり。

そう書きながら今40歳を目前にして、③獲得的な成長の時代 が自分の中で落ち着いてしまっているというか、終わっていることに気づきつつある。…次に来るのはどんな時代なんだろう。

30代以降、それまでの私の人生を揺るがすような変化があった。それまで私の人生を支えてきた「頑張ったら、その後にきっと実りがある」というのは、実は思い込みなんだ、ということへの気づきだった。
歯を食いしばって頑張ってもうまくいかない。それはどちらかというと「頑張りが足らない」んじゃなく、「頑張ってもどうしようもないことがある」ということ。テーマに即して言うと「自分がいくら成長しようとも、どうしようもないことがある」ということ。

「頑張ってもどうしようもないことがある」ということは、
「頑張ってもどうしようもないことに対して頑張ることで、余計に幸せから遠ざかっている」ということかもしれない。
つまり「頑張らなくても(成長しなくても)幸せになれる」んじゃ…?

この可能性を探るには、まず私が「自分にとっての幸せ」を知る必要があり、「頑張る(成長する)」以外の方法でそれは手に入れられる(それに気づける)のかを考える必要がある。

もしかしたら私の次の時代は、それらを探していくことなのかもしれない…と、思い始めています。今ココ。

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