【感想文】映画すみっコぐらし

※注意※

この文章はTwitterでは書ききれない私の心の叫びを文章化するためのものなので、ネタバレもするし支離滅裂な部分もあるかと思います。一人の狂人が書いたものということを念頭においてください。無理だと思ったらブラウザバックしてね。

映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ

これを見たのは5月25日のことである。近場のTSU●AYAでDVDがレンタル開始になって暫くしてから。前々からTwitterで見た感想で気になっていた作品ではあった。

『泣いた』『泣ける』『大人でも泣く』『やさしいせかい』『エンドロール見て更に泣く』『鬱映画』『那須きのこ』『虚淵玄

大きなお友達御用達の物騒な名前が出たあたりで、これは見ねばなるまいとは思っていた。私が泣けるかどうかはさておいて、この愛らしいキャラクターたちでどんな鬱作品に仕上がっているかが気になってしまったからだ。

私には三人の子供がいる。長男5歳、次男(5月当時)3歳、長女(5月当時)1歳。なお配偶者は離婚したのでいない。映画を見る前から、長男次男の弁当箱はすみっコぐらしであった。なので、子供たちもすみっコに馴染みはある。子供達からすみっコぐらしへの感情はおおむね好意的である。そして私には10歳ほど離れた姉がいて、姉はすみっコぐらしが世に出てきたあたりからのファンである。なので、私も多少はすみっコぐらしに関する予備知識はあった。

ウイルスで気が滅入っている昨今、子供たちにも何かしら新しい刺激は必要だろうと思って借りて、見た。

結果だけ先に記す。

私「ひよこ?………」(ボロボロ泣いた)

長男「おーいおいおいおいおい」(私の肩に顔を埋めて本当にこんな泣き方をした)

次男「うああああああああああああ!!!うわああああああああああああああああああ!!!」(オエオエ言いながら絶叫しつつ泣いた)

長女「?」(1歳なので分かっていない)

地獄だった。


ネタバレ無し感想

とにかく皆が可愛かった。

物騒な名前を感想としてTwitterで散見したときは、どんな悪意とどん底と鬱が待っているのだろうと思っていた。しかし、その予想は裏切られる(子供向けだから当たり前だ)。すみっコたちは勿論、ひよこ?も、絵本の登場人物たちも皆可愛い。子供たちと一緒に安心してニコニコしながら見ていられた程に皆可愛くて優しくて、殺し合いどころか衝突さえも起こらない。全編通して皆が可愛い。ふわふわのクッションを敷き詰めた適温の部屋に転がって惰眠を貪っているような感覚。やさしいせかい。これのどこが菌糸類? ブッチャー? 皆可愛くて優しいじゃんハハハン。

そう思っていた時期が私にもありました。

最後十数分のどんでん返し。衝突も人死にもない。誰一人ギスギスすることはない。なのに、なんでこんなに心が苦しい。これまで仲良くやってたじゃんか。今も仲良しじゃんか。なかまじゃんか。皆『ありがとう』って言えるいい子じゃないか。なのに、なんで。

これほど『ありがとう』って言葉が沁みる作品を、私は知らない。知っている方、これを見ていたら教えてください。

私が全編通して見て、最初の感想が

これ、トゥルーエンドだけどハッピーエンドじゃないよね

だった。トゥルーだという認識は今でも変わらない。ただ、メリバに近いよねとは思うようになった。メリーバッドエンド。詳しくはお手元にある検索機器でお調べください。

では、下からネタバレ有り感想に移らせていただきます。映画見てない方はここでお下がりください。そしてどうか事前情報がない状態で映画を見て地獄を味わってきてください。私は地獄を味わいました。いえ、『味わっています』。今でも。



ネタバレ有り感想

わたしは なにを みせられているんだ

せいしんこうげき を うけている

これは ほんとうに こどもむけか?

何も考えず「みんなかわいー」でアホ面晒して映画を見ていたため、みにくいアヒルの子の時点で「よかった! 帰れる世界が見つかったね!」って思ってました。思ってたんです。でも、仕掛けから出てきた本物のアヒルの子を見た瞬間、私もすみっコ達同様に固まってしまいました。え、他にひよこが出てくる童話ってあったっけ?って必死に考えてました。湖に無表情で落ちるひよこ?見て本当に胸が苦しかった……。

そしてあそこですよ。あのページですよ

さみしさが溢れて我慢できなくなったひよこ?

もうこの一文で駄目である。こんな愛らしくてちいさいひよこ?になんて感情を抱かせているんだと憤って泣いた。ひよこ?はひよこで、まだ子供なんだぞ。子供が寂しいなんて感じちゃダメなんだぞ。子供は愛されていなければならないんだぞ。

気付けば次男が声を上げて泣いていた。長男も目に涙を溜めていた。ここらへんの記憶は曖昧である。ストーリーがショッキングすぎたから。子供向けと侮っていた自分の甘さを悔いた。ショックで頭を殴られたような感覚になる。

しろくまの「いっしょにすみっコにくる?」の言葉がまた温かい。テレビの前の家族は揃って(長女だけ何が何だかわかってないが)首を縦に振る。やったね、もう一人じゃないよ! 仲間がいるよ! よかったねひよこ?!!

物語の中のすみっコ達は、天井に帰り道を見つけて絵本の中のパーツで塔を組み立て始める。その中に混ざってひよこ?も頑張る。これはもう『手伝う』じゃなくて、自分からやってる感じがもう最高だった。自分も一緒に帰るんだ。ついていくんだ。なかまだから。って感じがひしひしと伝わってくる。

長男次男ニコニコ。皆帰れるね! ひよこ?も幸せになれるよ!!

って思ってた私はまだ甘かった。この脚本家さんはまるで血が流れない菌糸類。やさしいブッチャー。

ここを通れば帰れるって穴に、ひよこ?は通れませんでした。

「………え?」

って声がリアルで出ました。

子供向けでしょう? ご都合主義は? こんなん、子供泣いちゃうよ? って思ったし、少しの間放心してました。下に降りるひよこ?、焦るすみっコ達、それでもなんとかならんかと、淡い期待を抱いて見てました。崩れそうになる塔、駆け付けてくれた絵本の住人、手を振るひよこ?、いっしょにいこう! と言うしろくま。

駄目でした。

次男「う"-!!う"-う"-う"う"う"う"う"!!!!」

爆泣き。まだ三歳、もうすぐ四歳の次男が声を上げて泣いてます。五歳の長男は必死に涙を抑えています。長女だけ何もわかってない。

それでも最後、ぺんぎん?としろくまが残った時は、まだ何とかなる! なんとかしてくれる! なんとかして!!(叫) って感覚でした。

でも、ぺんぎん?は泣きながら行ってしまいます。私も解ってました。どうにもならない隔たりは、子供の世界でもあることを。どうにもできない違いは、どう足掻いたってなにも変わらないことを。

ナレーション、『落書きの強調すんなや(涙目)

元の世界に戻ってからのすみっコ達。絵本には、あのひよこ?が……。それからエンドロールまでの映像は、皆さんもご存じの通り。

次男「みん、なっ、なかまっ、なかまだからっ、なかまだからっ!!あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!」

次男が一番泣いた。長男もエンドロールに入ってから、ぐずぐず言いながら近寄ってきて私の肩に顔を埋めて

長男「おーいおいおいおいおいおい」

と泣いた。そんな泣き方するんやね、と親の私としても驚いた。

最初から最後まで、悪人はいなかった。優しい世界なのに、救われなかった。皆あんなに頑張ったのに、ひよこ?は一緒に来ることが出来なかった。その日から、私は物思いに耽ることが多くなってしまった。主にひよこ?のことでである。集中して仕事しろ。

期待させて、させるだけさせておいて、高いところから叩き落とされたような。子供向けだと信じて勝手に抱いた期待が完全に裏切られていた。先に見た人が流していた涙は『感動』『よかったね』の涙だと思っていた。こんな、火垂るの墓でも見たかのような涙は想像もしてなかった。冷徹な鬼灯様でも動物には優しいのに。

なお次男は映画すみっコ4回目で、やっと涙を流さなくなった。

胸に残るモヤモヤ

子供達はすみっコ達を更に好きになった。親である私ももっと好きになった。同時に、胸に刺さって抜けない棘があった。棘ってよりもう包丁くらいの痛み。

エンドロールまでしっかり見た。幸せそうだった。すみっコ達も満足そうだ。でも、私だけなんでか納得いってない。登場人物たちが納得してるならいいんじゃない? そう思うことで紛らわせようとした。でも、何かが違う。

Twitterで毎日のように『すみっコぐらし』『すみっコぐらし 映画』『映画 すみっコ』『すみっコ ひよこ』と検索しまくった。そこで目に入る呟きに、共感したり笑顔になったりした。「今から映画すみっコ見ます」なんて呟きにはいろんな感情が混じってにっこりした。そうしていくと、誰かが呟いてた言葉が目に留まる。

バッドエンドと思ったのは私だけ?

バッドエンド。そうか、違和感の正体はこれか、と気づいた。無意識にそうと思わないようにしてきて、でも、実は私はバッドエンドだと思っていたんだ、と。でも、同時に思う。こんなに皆が嬉しそうにしているのに、なんでバッドエンドなんだろう? と。勿論、この物語をハッピーエンドと捉えた人はたくさんいる。けれど私は違った。ハッピーエンドと思うことができなかっただけなのだ。解釈はいろいろあるからね。仕方ないね。

賢くない頭で必死に考えた。他にすることあるだろう。今思うと馬鹿である(現在進行形)。

確かにすみっコ達の分身とも言えるひよこ達は絵本の中で一緒に暮らしている。もう離れることはないだろう。他の物語のおにやおおかみや桃太郎の家来とも仲良くなれた。一緒に遊んで一緒に食事して一緒に寝られる『なかま』。絵本の中では成長することもない。死ぬこともないだろう。皆優しいし、誰かを傷つけるものはいないはず。おおかみのアイデンティティの崩壊である。ずっととんかつひよこに追い掛け回されててください。

優しい世界はそれで完結する。

本体のすみっコ達は、ひよこ?にもう会えないし、また絵本の世界に行けるなんてことはないだろう。私は『落書きのひよこ?にすみっコ達の姿を模した落書きを追加して、家も描いて仕掛けも付け足して完成させたひよこ?の世界』が、どうしても『一人ぼっちのひよこのためにしてあげたいこと(前向き)』ではなく、『一緒にいられなかったことに対する仕方なしの代替案(後ろ向き)でしかないと思ってしまったのである。これが、結局のところ『トゥルーエンドであってもハッピーエンドとは思えない理由』なのだろうと整理した。

『はなれていても、ずっと、なかまだよ』

なんて言葉で誤魔化されないくらいには大人になってしまったのである。確かにずっと仲間だろう。でも、相手は本の中の住人である。あ、やめて、夢豚である私の心の柔らかいところが今抉られた。

いつか時が流れて、すみっコ達がいなくなって、本だけ取り残されて、そしたら、本はどうなるんだろう、と。ぺんぎん?が大事に抱えている本は、すみっコ達がしてきた冒険を知らない者が見たら、ただの古い本だろう。すみっコ達はもういない。でも、本の中の住人はいつまでもそのままである。次元が違う、生きる世界が違う、年を取ったぺんぎん?の本棚にある絵本に描かれた落書き達は永遠に変わらないまま。

同じ時間を歩んでいけない。もののけ姫で言うところの森とたたら場以上の差である。

会いたくなっても会えない。話したくなっても話せない。ただ、自分の中の過去の思い出を時々振り返って、楽しかった記憶を大事に思い出すだけ。

それはまるで、もう死んでいる相手を想う時にする行為じゃないか。

この切ない関係は、変わることはないんだろう。

いつかひよこ?が思わなければいい。「アバターじゃなくて、あなた(本体)にあいたい」と。

ぺんぎん?が本を抱いて眠るシーンがあるけれど、あそこでぺんぎん?が思っているのは、ひよこ?の為にしてあげられることは全部したという満足感であるように願う。どうしても私は、置いてくるしかなかった無念を考えてしまう。でも、この先ひよこ?がすみっコ達の世界に出ることが叶っても、もう絵本の中に自分の世界があるひよこ?は結局すみっコ達と一緒にいられないんだよなぁ。

エンドロールのひよこ?は『ぺんぎん?が夢に見ただけの願望』でなければいいなと思うくらいには私はひねくれているのである。ひよこ?よ、幸せであれ。


家で増殖するすみっコ

そんなこんなで、レンタルDVDは一週間で返却した。同時に、Amaz●nでDVDの購入手続きを取った。丁度次男と長女の誕生日が近かったので、それを言い訳にして私が欲しくて買った。今思えば、ぬいぐるみ付きを買えばよかった……。

子供達が保育園に行っている間、私が家にいる時一日中映画すみっコを流している日もあった。

『寂しさが溢れて我慢できなくなったひよこ?』

このフレーズで、一日に何度も泣いた。

ある日、Twitterでクレーンゲーム筐体の中、在庫のある場所にみっちり詰められたXLサイズのひよこ?のぬいぐるみの写真がTLに流れてきた。気が付けば、そのひよこ?がうちに来ていた。財布からは五千円が消えていた

長女の誕生日が来た。私の姉(子供たちにとっての伯母)からのプレゼントはねこのぬいぐるみ。

一番くじが始まった。すみっコぬいぐるみが一気に三体増えた。これでうちにいないメインすみっコのぬいぐるみはとかげだけである。とかげも狙っている。

本は結構増えた。間違い探しにすみっコ探しの本に手のひらサイズの本にそらいろのまいにちに雑誌に。

姉から譲ってもらったグッズもある。ルーズリーフやノート。衣料店で見つけてタオルケットも買った。すみっコならなんでも欲しい勢いだ。ください。まだ増やす気でいる。

そこまで来て気付いた。ここ、沼だ。最推しはひよこ?である。今となっては私はTwitterで時折「ひよこ?………」と鳴いている。完全にひよこ?ロス。


今の心境

決して長くなった訳ではないが、ここまで書いてもまだ言い足りないものがたくさんある。それくらい、映画すみっコは私の心に傷を付けた。優しい世界の残酷な話。子供向けだと思っていたのに、世界の仕組みはご都合主義を許さなかった。悲しくて苦しくてどうしようもなくて、仲良しの相互フォロワーさんに映画すみっコを勧めた。アマプラで見てくれたそうだ。泣いたらしい。やったぜ。

『ヲタ特有の大袈裟評価』とか『期待外れ』とかいろいろ言われていたりもする映画すみっコだが、私としては大袈裟でもなんでもなかった。寧ろ評価ど真ん中の感想ばかりで、なんとも言えない。ごめんねヲタで。

結局『ひよこ?が笑顔で幸せならそれでいいじゃない』というところに落ち着くまでに一か月以上かかって、映画を初めて見てから二か月経過した今は泣かずに全編見られるようになった。しかしnoteで映画すみっコの感想を見まくって、再び感情が溢れてしまって泣きまくった。そして溢れた感情を持て余して今に至る。これが初記事である。バカデスネー

纏まっていない感情を垂れ流しているだけなので自分の文章力の無さに溜息が出る。けれど、きっとこの胸の内を纏めて収めるなんて、この先もできないのだろうと思う。

私の中で特別な場所に位置づいた映画すみっコぐらし。

物語の設定上、もうひよこ?が関わってくるのは難しいと知りながら、それでもひよこ?がいた証として、またどこか別のところで、あの絵本を持ったぺんぎん?を見たいなぁ……と思ってしまうのでした。


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