大塚幸代さんのこと

大塚幸代さんが亡くなったことを4月1日に知りました。まだ実感が湧いていないのが正直なところです。

僕にとっての大塚さんは、ライターとしての自分がいちばんお世話になった人、という形容が最もしっくりきます。新卒で入った編集プロダクションを半年で辞め、フリーとして出発した時に拾ってくれたのが大塚さんでした。当時大塚さんが在籍していた『クイック・ジャパン』(以下QJ)は、憧れの雑誌で、大塚さんの原稿も当時から気になっていました。「フェイ・ウォンはなぜ嫌われるのか?」というコラムや、みるくの堀口綾子さんの自死を追ったルポ、女装男子・広末洋子さんの紹介記事等々、編集者なのに文章も面白くてどんな人なんだろう?と思っていました。個人サイト「日々の凧あげ通信」も当時は頻繁に更新されていて、熱心に読んでいました。

そんな大塚さんから突然電話がかかってきた時は本当にびっくりしました。「あ、大塚幸代さんって本当にいるんだ!」と思ったくらい。当時、仕事をもらうために、過去に書いた作品を色々な雑誌に送ったのですが、確か最初に原稿依頼の連絡をくれたのがQJ、というか大塚さんでした。それからずっと後、「なんであの時僕に依頼してくれたんですか?」と尋ねたら、「カンです」とあっさり返されましたが(笑)。

それから彼女が担当編集者になって、大塚さんから、とにかく色んなことを教わりました。ものすごーく基本的なことです。インタビューの編集の仕方とか、レビューの書き方のコツとか。インタビューやライヴの現場でも、楽しかった現場には大体彼女がいました。「すごい人がいるんですよ」と、メジャー・デビュー前のつじあやのさんのライヴに誘ったら、終演後にこちらから感想を尋ねる前に「記事にしましょう」とビシっとひとこと言い放ち、そのままつかつかとインタビューの交渉に入っていたのも印象的でした。その辺のフットワークも軽かった。

彼女がQJを辞めてからも個人的な付き合いはなんとなく続いていて、00年代半ばあたりまではミクシィで近況を知って、一緒に遊んでもらったりもしました。タイフェスを一緒に周ったり、ギターウルフのライヴに行ったり、ゴールデン街に初めて連れて行ってもらったり、旧友であるコアグラフィックスの藤枝君と3人で「90年代恨み飲み会」(大塚さんがそう名づけたのです・笑)をやったり。彼女がもう一度バンドを組みたいと言い出して、何度か打ち合わせしたこともありました(クラムチャウダー・シベリア・アタックのあとです)。結局、実現しませんでしたけど。

でも、07年ぐらいからはすっかり疎遠になりました。ちょっとしたメールのやりとりの中で彼女を傷つけてしまったことがあって、それ以来連絡が途絶えて。なんとなく気まずくなって、イベントで会っても軽く挨拶する程度。そんな間柄なので、お通夜に行くのはちょっとはばかられるのですが、6日の「偲ぶ会」にはうかがうつもりです。

新しくて面白いものを見つけてくるセンスの鋭さとか、個人的な想いを織り込んだ原稿の面白さとか、そういうことはもう皆さんお気づきだと思うので書きません。小沢健二を追ってNYに行った記事が反響大きかったけれど、今から大塚さんの仕事を知るなら、彼女が編集を手掛けた松本亀吉さんの『歌姫2001』なんかもお薦めです。彼女はライターとしてはもちろん、編集者としても大変優秀でした。僕の中での大塚さんが、編集者時代のイメージが強いからかもしれませんが。

というわけで、90年代に教わった諸々は今でも文章を書く上での礎になっていますよ、ありがとうございます、と大塚さんには伝えたいです。「偲ぶ会」に行ったら懐かしい面々と再会しそうなので、そうしたら大塚さんの話をたくさんしたいな、と思ってます。

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『大塚幸代さんを偲ぶ会』 @8bit_cafe(新宿三丁目8bitcafe) 4月6日(月)17時〜23時 会費1000円(ドリンク別) 大塚さんへのメッセージをみんなで書いてご親族の方にお渡しします。ご友人、お知り合いの方、ファンの方、よろしかったらいらして下さい。




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